日本史物語7 [明治時代] | Strange Chameleonの頭の中

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前回:
日本史物語[文明の起こり~古墳時代]
日本史物語2[飛鳥時代~奈良時代]
日本史物語3[平安時代~鎌倉時代]
日本史物語4[室町時代~安土桃山時代]
日本史物語5[江戸時代(前半)]
日本史物語6[江戸時代(後半)]

・明治時代(18681912

 

新政府により権力を奪われた徳川慶喜は新政府と対決姿勢に入り、旧幕府軍を率いて挙兵し、鳥羽・伏見の戦い(京都)を起こします。しかし、新政府軍に敗れ、徳川家の存続と引き換えに江戸城を明け渡すこととなります。

一方で旧幕府軍の中には最後まで抵抗しようとする者がおり、最終的に函館まで追い詰められ旧幕府軍は一掃されることとなります(戊辰戦争)

 

新政府は18683五箇条の御誓文を発し、国の基本方針を示します。7月には江戸を東京と改称、9月には元号を明治としました。また、欧米の強国に対抗するため「富国強兵」を掲げ、土地と人民を天皇に返上させる版籍奉還を行い、藩を排して県をおく廃藩置県、税制を変える地租改正を実施します。地租改正で得た資金で海外から人や機械を買い、産業の近代化を進める殖産興業を推進しました。これにより群馬県には富岡製紙工場が作られました。このころから欧米思想や文化を積極的に取り入れる文明開化が起こります。

 

新政府による急な改革に不満を抱く士族たちは暴走し、それを止めることのできなかった西郷隆盛は首領として兵を上げざる負えなくなり、九州全域を舞台に西南戦争が起こります。1873に始まった徴兵制の部隊によりこの戦いは西郷の自害によって幕を閉じました。

 

文明開化とともに福沢諭吉らによって欧米の思想がどんどん日本に取り入れられ、板垣退助自由民権運動を全国に推し進めます。西南戦争後、士族たちも政府に反対する際には武力でなく、言論で抵抗することを考え、自由民権運動はより広まっていきました。こうした流れもあり、自由民権運動に携わった人々を中心に政党が作られます。板垣退助自由党を、大隈重信立憲改進党を作り、国会開設を求める声が大きくなります。政府は1890年に国会の開設を約束しました。

 

国会開設を約束した政府は憲法制定のため伊藤博文をヨーロッパに派遣し、各国の憲法を調べさせ、ドイツのプロイセン憲法をもとに憲法の草案を作ります。そして、1885年内閣制度が定められ伊藤博文が初代総理大臣となり、1889211大日本帝国憲法が発布1990直接税15円以上を納める25歳以上の男子による選挙が行われ、第一回帝国議会が開かれます。

 

しだいに、日本は朝鮮半島に目をつけ始めます。1876年に日朝修好条規を結ばせ、朝鮮を開国させると、清と朝鮮半島の支配権をめぐり、両国に緊張が走り、1894年日清戦争がはじまります。富国強兵により、戦争の準備に万全を期していた日本はこの戦争に勝利し、1895年下関条約を結び、講和が成立します。この下関条約により、清は日本に遼東半島・台湾などを譲り賠償金を支払うこと、港を開くことなどが決められました。しかし、アジアに進出しようとしていたロシア、フランス、ドイツ遼東半島を清に返還するよう強く求め(三国干渉)、これに対抗できなかった日本は要求を聞き入れます。これにより、日本国内ではロシアへの対抗心が強まることとなります。

 

この時代には欧米諸国の日本への信用も高まっていき、1894年日英通商航海条約を結び、領事裁判(治外法権)の撤廃に成功します。日清戦争への勝利により、他の国々とも条約改正に成功していきました。

一方、欧米の国々は産業革命が終了し、アジア、アフリカに植民地を求め、進出してきます。このように資本主義国家が植民地を獲得するための対外政策を帝国主義といいます。アフリカではこの帝国主義が進み、エチオピアと、リベリア以外のすべての国が植民地とされます。また、日清戦争に敗れた清も標的となり、欧米に攻められ、次々と領土の一部が欧米の手に渡り反植民地の状態になります。欧米による中国侵攻が進むと中国国内では産業が大きなダメージを受け、義和団と呼ばれる民衆の組織が立ち上がります。これに乗じて清は欧米各国に宣戦布告しますが、日本、ロシアをはじめとする連合軍によって制圧されます(義和団事件)。この時、日本は韓国、満州でロシアに対抗するためにイギリスと1902日英同盟を結びます。これにロシアは衝撃を受け、韓国に軍事拠点を作りだしました。そして、1904日本はロシアに宣戦布告し、日露戦争が始まります。

 

世界一の陸軍大国であったロシアとの戦争は困難を極めますが、海上線で勝利を納めます。しかし、国力を使い果たし、アメリカのセオドア=ルーズベルト大統領に調停を依頼し、1905年ポーツマス条約を結び日露戦争の終焉を迎えます。

 

この条約では日本は賠償金を受け取ることはなく、不満に思う国民は暴動を起こしました。この日露戦争のとき、与謝野晶子は出兵した弟の身を案じ、「君死にたまふことなかれ」という詩集を発表しました。

 

日露戦争後、日本は韓国に軍隊をとどめ、軍政を行います。これに抵抗した韓国人により、伊藤博文が殺されるという事件が起こります。しかし、1910日本は韓国併合し、朝鮮と改め、植民地支配を開始します。

 

日露戦争への勝利、韓国併合により、日本の国力はいよいよ認められ、

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1911年に欧米諸国との関税自主権を回復する条約改正が行われました。


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