この国に戦う民衆はいるのか?
アメリカはようやく新しい大統領が就任式を終えたようです。
この国では、いまだにトランプ派の一発逆転の秘策があるのだというようなことをいっている人がいるそうだけど、とにかくアメリカにはトランプ政治にうんざりしている市民がトランプ派よりももっとたくさんいるのだということは事実であろうし、トランプ派の中の半数以上も「もう無理だ」とあきらめていることでしょう。
なんのかのといっても、民主主義の意識も国家に対する愛着も、日本人よりもアメリカ人の方が高く熱いのでしょう。
また、現在の高度資本主義社会の不条理な構造は、とんでもない大金持ちがたくさんいるアメリカの方がもっとあからさまなのだろうし、それを克服しよとする市民の意識も、政治の話をしたがらないこの国の民衆よりもずっと進んでいるのでしょう。
トランプ派の一発逆転なんて、そんなことは起きないだろうと僕は考えています。そんなことはさせない民衆の力をアメリカは持っていると思います。
バーニー・サンダースが若者の支持を得て、たくさんの女性議員が国会に送られているということは、民衆の意識が権力社会よりも一歩前を行っているということでしょう。
それに比べてこの国の民衆はまだ、権力者を置き去りにしてしまうような動きを持つことができていません。
人と人の関係が、めちゃくちゃになってしまっていますよね。
いがみ合ったり、冷笑したり、かんたんにだまされたり、物欲しげに自己啓発とかスピリチュアルとか金儲けの情報とかに飛びついていったり、このぐちゃぐちゃ感はいったい何なのでしょうね。
日本人が日本人であることを見失ってしまっているというのか、「日本人に生まれてよかった」といっているというそのことが、日本人であることを見失っていることだと思えます。
日本人らしく、人と人が他愛なくときめき合うことができる社会というのは、どのようにすれば取り戻せるのでしょうか。
イザベラ・バードの日本紀行なんか読んでいると、明治初期の日本列島の民衆がいかに他愛なくときめき合うことができる人たちだったかということがよくわかります。
自意識の薄い他愛ない民族だから、他愛なくときめき合うことができるし、他愛なくぐちゃぐちゃになってしまいもする、ということでしょうか。
こんなにもくだらない政治に、こんなにも他愛なくしてやられるなんて、日本人はいったいどうしてしまったのでしょう。
たぶんわれわれは、この他愛なさで権力社会なんか置き去りにしてしまわないといけないのだろう、と僕は思っています。
国の政治なんかあてにならない、民衆社会自身が活性化しないことにはどうにもならない、伝統的にそういう社会の構造があるように思えます。
この国の政治家なんか権力闘争にしか関心がないのだし、それはもう古代の大和朝廷の発生以来の伝統でしょう。
ここにきて志の低いバカな政治家ばかりがのさばり出して、ますますその傾向があからさまになってきているようです。
野党の政治家たちだって同じかもしれません。
まずは民衆社会の可能性について考えたい。そしてそれは「人間とは何か」あるいは「日本人とは何か」と問うことだ、と思っています。
それが、僕にとっての階級闘争です。
民衆社会が活性化して権力社会を置き去りにしてしまわないかぎり、この国に未来はないのでしょう。
みんなが他愛なくときめき合い助け合う社会は、どのようにして実現されるのでしょうか。この国には、どこよりもそれができる可能性と、どこよりもそれができない限界の両方があるよう思えます。
お気楽なこの国の民衆も、もう戦わないといけない段階に差し掛かっているのでしょう。
人間であるかぎり、戦いたいという願いはだれの中にもあるはずです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、日本文化論について話すユーチューブをやっています。
みすぼらしいジジイがぼそぼそしゃべっているだけの代物ですが、いちおう本名の「山本博通」で登録しています。
そうやって、恥をさらしています。晒すのは嫌だと思った瞬間にやめてしまいそうだからで、そういう自分との戦いということでしょうか。
僕は僕なりに、どうしても言わずにいられないことやせずにいられないことがあるわけで、言ってることの内容に関しては、多少の自信はあります。
でも、自分のいうことが絶対正しいと思っているわけではありません。そんなことは第三者が決めることだと自覚しています。
ただもう、僕は僕なりの守備範囲で階級闘争を仕掛けていきたいだけです。
だから、思い切り恥ずかしいけど、恥ずかしがっていられないのです。
話したいことは、山ほどあります。
もしもチャンネル登録してくれる人がいるなら、その人に向かって話します。
まあ、人気になることなど限りなく絶望的でニッチなジャンルのチャンネルです。