町田のジャズの老舗「Noise」

 

町田はでかい街である。

人も多い。

新しい建物と古い商店街が混在していて、
猥雑で、なんだかとてもエキサイティングなのである。

街をまるごとつくりかえないところが良い。

できすぎた街ほど居づらいところはない。

近くのたまプラーザとか新百合ヶ丘には隙がない。

その点、隙だらけの町田。

 

ブランド服が目的であれば、それもある。

昼間から升飲みしたければ、そうしたお店もある。

いまだに歩きタバコをしている人がいる。

煤けたバーがいくつも軒を連ねる。

大判焼きだってイカ焼きだって、

探せばあるのが町田の魅力でもある。

 

ボクは学生時代の3年間、

JRの町田駅と小田急の町田駅を使っていた。

その頃は「Noise」はまだなかった。

 

 

まあ、高校時代のボクはジャズに縁がなかったし、

ロックしか知らなかった。

それよりなにより部活の帰りに寄る

JR町田駅前にあった立ち食いそばがやたらにうまかった。

 

そしてJRの町田駅が小田急側に移動してから、人の流れも変わった。

この立ち食いそば屋も移動してしまった。

で、駅付近を2階建てのターミナルにし、新しいビルが建ってテナントが増え、

残った猥雑さをそのままにしたのが町田なのだ。

 

もともと「Noise」はジョルナの建物の中にあってその後に引っ越し、

現在の小田急線の町田駅から数分の雑居ビルに落ち着いた。

 

ここに来る客は若年老齢を問わず、

皆ふらっとジャズを聴きに来るようなラフな人たちが多い。

さすがにいま店内は禁煙になったけれど、

店の前に置かれた灰皿の横では常に数人がタバコをふかしている。

 

コーヒーとジャズとタバコ。

ウィスキーとジャズと瞑想。

ビールもシフォンケーキもなかなかイケる。

 

とてもカジュアルな雰囲気が気に入って、

ボクもたまに仲間にいれてもらう。

 

老いも若きもジャズという共通項があるから、

なんだかこの店は落ち着く。

 

しゃれたクラブハウスサンドではなく、昭和のピザトースト。

カフェ・ラテなんて呼ばず、昔ながらのカフェ・オーレ。

 

この町田という不可思議な街に、

なくてはならない店のような気がする。

 

 

 

AIに短歌をつくらせてみた!

 

最近では、すっかりAIに頼っていて、だんだんアタマが悪くなっているのがわかる。

だって、そこそこの質問を投げれば、資料調べから企画の概要~組み立てまで、

けっこう質の高いレポートをつくってくれる。

 

最近まで、AIのことを弟子と呼んでいたが、いまでは格上げされて、

仕事仲間とか、下手すると上司のような回答を出してくるので、

立場的になんだかヤバいと感じている。

 

で、ボク的にはいま短歌にハマっていて、もう30首くらいできた。

本職のコピーライティングは、常にクライアントの要望に添った仕事なので、

永年にわたり未消化のようなモヤモヤが溜まっていたが、

それが短歌で払拭できたのである。

 

短歌をつくるのは、ときに難しくて、なのにふわっとアタマに浮かぶ。

なので短歌ってまるでことばのマジックなのである。

 

ボクたちは まばたきの間を 

走りゆく      切ないほどの ときの旅人

(↑ちなみにボクの最新作です)

 

俳句は短く厳密さが求められる。

小説は短編でさえ驚くほど疲れる。

ほどよいのが短歌だと私的には思っている。

 

で、興味本位でAIに短歌つくれる?って上からエラそーに質問してみた。

で、下記がそのやりとりなので、そのまま掲載する。

 

以下

 

ボク「短歌つくれます?例としてひとつつくってみてくれませんか?」

AI「もちろん、短歌を作れます!では、春の訪れをテーマにした一首を詠みますね。」

風そよぐ 桜の枝に 手を伸ばし
君の笑顔を 花に重ねる

春風に揺れる桜と、大切な人の笑顔を重ねた一首です。
どんなテーマの短歌が欲しいですか?

※うん、まあまあですよね? 頼んでもいないのに歌の説明までする訳です。
ついでに「どんなテーマの短歌が欲しいですか?」とかなりエラそー。

 

ボク 「では春をテーマにもうひとつお願いします」

AI

春雨に 霞む街路の 石畳
足音そっと 季節を刻む

春の雨が降る静かな街で、ゆっくりと歩く様子を詠みました。
春の情景にもいろいろありますが、どんな雰囲気の短歌が好みですか?

 

↑コイツ余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)でしょ?

なんか人を見下しているようにも思えますよね?

以前よりアタマが良くなっているというか、腕を上げているというか、
口の利き方からしてだんだん性格は悪くなってきた気がする。

AIって、

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

という徳のある人間がもつ謙虚を知らない。

 

という訳で、こいつ(AI)はまだまだだ修業が足りない、

と思うことにしていますがね 汗

 

寒川神社は霊験あらたか

 

去る2月23日の天皇誕生日に
寒川神社へ参拝に行ってきました。

 

 

寒川神社は、神奈川県のほぼ中央にある。

相模国の一之宮である。

相模国は、神奈川県とほぼ被っているが、
その昔、川崎と横浜は武蔵の国だったので、
現在の神奈川県は相模国よりひとまわり大きい
ということになるのかな。

 

 

この日は参拝客が多く、
夕方に行ったにもかかわらず
かなり賑わっていた。

駐車場は臨時の駐車場もいっぱい。
神殿までけっこう歩きました。

雪がちらつく天気で気温も低かったが、
あれこれと動くうちに汗をかくほどに。

さて私が今回寒川神社に参拝に訪れたのは、
ここが全国で唯一、八方除守護神だから。

今年はなんだかあちこち動き回りそうなので…

 

 

で、寒川神社の建つ場所だが、
江戸城の裏鬼門に位置しているとのこと。

さらに千葉県にある玉前神社、富士山、鳥取県の大山、
さらには出雲大社を結ぶレイライン上にあるのが、
寒川神社なのである。

また、このあたりは冨士山からの地下水が届くともいわれ、
その川が寒川だった、との話もある。

 

 

なんか霊験あらたかなんです。

 

帰りに小腹が空いたので、
出店で広島風のお好み焼きを買って、
車中であけたのですが、
マヨネーズが垂れたり焼きそばが飛んだり、
なんだかとんでもないことになってしまいました。

 

トラブルの予兆ですかね?

 

書アート展へでかける

 

 

懇意にさせていただいている書家の先生より、
展示会をやるので来ないか、とのお誘い。

早速、山の手線大崎駅至近のO美術館へでかけました。

 

            ↑大崎の変貌ぶりがすごい

書家展を観るのは初めてで、
気難しいものであれば行かないのですが、
先生の作風を知っているので、
他の作家さんもそうだろうと、
気楽な気分ででかけました。

 

 

過去、先生はニューヨークやパリにおいて、
書のパフォーマンスも開催。
海外のファンも多いとおききしました。

「海外の方でも書が分かるものなのでしょうか?」

「私の経験から感じたことですが、書の美しさと
その魅力は海を隔てても伝わりますね。
モノクロの色彩とでも言うのかな、
墨の濃淡で色をイメージする。
その過程にアートとしての書の面白さがあるようです」

「海外の方は、漢字、ひらがなをどのように捉えているのでしょうか?」

「もちろんその文字には意味があるので、
それを知り考えることもひとつですが、
文字の造形にどうも皆さん惹かれるらしいのです」

「かたちですか?」

「そうですね」

「日本は引き算の文化とよく言われますが?」

「ええ、それは書に於いても同様でして、
白場を最大限に生かした抑制された文字の配置に、
皆さん興味をもたれますね」

 

 

そして、
「書は歴史や伝統に則っているだけでは廃れてしまう、
そこに新たな息吹を…」

との考えから先生は頑張っていらっしゃる。

造形美としての書。

そして墨以外の色を使っての挑戦、
掛け軸という固定されたものを外して額装に変化をもたせる等々、
新たな書の挑戦は続きます。

 

帰路、ボクは細筆で短歌に挑戦してみようと思い立ちました。
そうですね、墨に変更はありませんが、少し色の付いた和紙に
書いてみたいと思いました。

なんだか、狭い箱庭から飛び出せた、

そんな気にさせてもらいました。

 

短歌、はじめました。

 

せんじつ、「短歌、はじめました。」という文章を書いていたら、
突然PCの画面に英文の警告のようなメッセージが点滅して現れ、
「ん?なんだ」とながめていると次に画面が真っ暗になって、
再起動をはじめてしまった。

ボクの書いたテキストは保存していないので、文章はそれっきり
どこかへ消えてしまった。

1000字以上は書いたと思う。
なんで短歌をはじめたのか、短歌のお師匠さんは誰なのか、
コピーライティングと何がどう違うのかとか、
けっこう書いたのに、すべてはマジックのように消えた。

で、出張に行ったりあれこれと用をこなしたりしているうちに、
何を書いたのか、ほぼ忘れてしまった。

けっこう腹立たしい。

けれど、よくよくかんがえてみると、思いつきから書き始めたものだし、
こんなものなのかも知れないと思うようになった。

PCはそれから何ごともなかったかのようにしれっと稼働している。

しかし、だいじな仕事で締め切りが迫っていたりして、
同じような事態が生じたら、
おそらくこんな悠長なこととは思わない。

PCをぶっ壊すとかね…

で、短歌なんですが、
まず5、7、5、7、7の字づらを意識すると、
なかなか字数が合わない。
全31字に気持ちとか想いを総て入れ込もうとすると、
なにを言おうとしているのかが分からなくなる。

自信もへったくりもないのだけれど、
初心者なので自己の評価さえままならない。

けれど、発表しちゃうんだよね!
せっっかく苦労した第一作なので!

 

この風の におい

あの日の 君がいた

ボクらはいつか

遠い人となり

 

 

もう一首

 

 

凍る朝

黒いハエがぶ んと飛んだ

君も命だ

南へ向かえ

 

 

お粗末さまでした!

 

明けましておめでとうございます!

 

明けましておめでとうございます!

するっと年が明けてしまいました。

朝から快晴です。
早朝、庭の榊(さかき)の葉を採り、
米と酒と塩とを神棚に供え、
今年一年の祈願をしました。

仏壇に線香をたき、
ご先祖様に新年の挨拶。

こう書くと、堅苦しいようですが、
両親がやっていたことを見よう見まねで、
続けているだけです。

そしてお屠蘇(おとそ)とお雑煮をいただき、
LINEで新年のやりとりとか、
年賀状に目をとおして、
合わずじまいの友人を懐かしんだり、
近況報告をいただいたりと、
いつもとちょっと違う時間です。

午後は近所の鎮守さまにお札をもらいに。

ついでに陽射しの川沿いを歩いて、
サギが飛ぶすがたやカモが泳ぐ池をのぞいて、
やれやれと帰ってきました。

若い頃は家に居たくなくて、
年越しはいろいろなところへ出かけました。

新宿や渋谷での年越し。
横浜港近くのクラシックホテルで
汽笛をききながらの年越し。
歩いての年またぎ箱根越え。
富士の麓で極寒に耐える年越し。
東名高速を走り続けての年越え…
(なんかスケールが小さいですね)

そうこうしているうちに年をとってしまい、
家がいちばん良いと思うようになりました。

で、両親がやっていたことがいつのまにか習慣になり、
それは正月だけでなく、日常のいろいろな場面でも
同様のことを続けるようになりました。

ボクは生まれてから十数回引っ越しをしていて、
いつの間にかふるさとと呼べるところも、
遂になくなってしまいました。

よって浮き草のような旅人のような人生観が、
いつの間にか身についたようです。

だからなのか。
何か確かなものを欲していて、
それが先の慣習なのかも知れない…

アイディンティティーの拠り所となっているようなのです。

さて、いま日本の人口はどんどん減り続けているそうです。

現時点で山積する諸々の社会問題も、
今後はさらに加速すると予想されています。

たとえば、近所の荒れた休耕田をみるにつけ、
農業も危機ではといらぬことも考えるようになりました。

と知ったところで、ボクたちにできることは限られている。
守りたいものすら見過ごしてしまっている状態です。

待ったなしの状態ですが、大きな視点からの問題は、
彼ら(政治家や行政なんですがね)に期待するしかない。

彼らが鳥の視点なら、
ボクたちは虫の視点で、
盲点に気づくように、
目を凝らすしかありません。

できることからひとつひとつ。

些細なものでも積み重ねれば、
いずれは歴史となります。

これってとても大事なことのように思います。

自分がたまたま生まれ育った国ですが、
実はたまたまとか偶然なんてない。

そこには100㌫の必然しか存在しない。

それがボクたちの存在理由だと思いたいのです。

 

 

江ノ島のサザエ(その2)

 

 

忙中閑あり。

雑用を投げ出して江ノ島をぷらついてみた。

結果、どこもとても混んでいる。

 

おおげさに言うと島中が人だらけ。

インバウンドの外国人がやたら目に付く。

きっと日本を紹介するサイトや冊子などに、

江ノ島が載っているのだろう。

 

 

 

ところで江ノ島か江の島か?

諸説あるらしいが、今回は江ノ島でいきたい。

 

久しぶりに海の幸でも食おうと思ったが、

サザエのつぼ焼き¥1700円で萎えた。

とても小柄なサザエがふたつだよ?

 

腹の足しにもならない。

で、ボクはサザエのあの先のほうの黒いのが、

どうしても食えない。

 

我にかえったボクは、そもそもサザエって、

好きでも嫌いでもないということに気づき、

その場を去った。

(勘だがサザエってむかしほど捕れないのかねぇ、

きっと貴重な海のダイヤモンドなのかも知れない)

 

で、やっすい江ノ島バーガーで済ます。

確か¥1200だったかな?

さつま揚げとしらすがなかなか。

空腹だったので助かる。

 

ついでに江ノ島コーヒーというのもいただいた。

こちらは完熟豆で香ばしいとの触れ込みだが、ボク的に味はフツー。

 

 

あとはとにかく高い。

インフレに加えて、観光地価格でしょ。

が、こうした観光地では皆、ケチなことは考えない。

店はどこも客でいっぱいなのであった。

(ここで自虐的に己のセコさに笑ってしまったが)

 

10代で初めてクルマを手に入れたとき、

江ノ島を訪れたことを思い出した。

振り返ると、あのころ江ノ島って閑散としていた。

 

だだ広い駐車場には、神奈川、東京、千葉の走り屋たちが

集まっていたくらいで、山の上にのぼる人もとても少なかったと

記憶している。

 

 

当時の湘南の人気スポットは、

葉山の茶屋とか材木座海岸のタダのパーキング、

七里ヶ浜あたりで寝そべったり、

鵠沼海岸・茅ヶ崎のサーフ・ポイント近くのお店とか。

 

とりわけ逗子の渚ホテルと江ノ島の対岸にあった湘南ホテルは、

もういまはないけれど、みんなの憧れでもあった。

 

で、ときは流れて時代が移り変わり、

寺社仏閣巡りが流行りはじめて、

御朱印帳を手にした方々が、

鎌倉を始め、湘南各地に眠っていた各所に、

訪れるようになった。

 

現在、江島神社の社殿にまつられているのは弁天様で、

それはいまもむかしも変わらないのだけれど、

以前はカップルで来ると弁天様が焼きもちを焼いて

わかれると言ういわれのようなものがあったので、

誰も彼女を連れてきたりはしなかった。

 

 

が、いつの間にかいまは「縁結びの神」だそうなので、

まあ、どこもカップルだらけなのであった。

(ポジティブな効果のほうが人は集まるよね)

 

江ノ島をフルに歩くとけっこう疲れるけれど、

海を眺めながらだとそれほどでもないから、不思議。

(この日ボクの歩数計は軽く1万を超していた)

 

 

また、山の上の灯台よこのサムエル・コッキング苑は

夜はライトアップされていて、とても幻想的なのでおすすめです。

(シーキャンドルと言うそうな)

年明けよりは更に混むだろうから、行くなら年末!

 

この一年の自分に感謝の意を込めて、

サザエでもどうですかね?

 

 

 

なぜTVは衰退してしまったのか?

 

 

最近のテレビのコマーシャルって面白くない。

年々つまらなくなっている。

その原因が商品・製品にあるのか、

それともコマーシャルをつくる側にあるのか?

いくつかCMをチェックしてみた。

 

で、気づいたのは、

無機質かつ損得訴求広告が多いこと。

よく言えば無駄がない。

 

そこにはもちろん、

愛も青春も勇気も感動もなければ笑いもない。

驚くほど物質的である。

 

悠長なむかしのコマーシャルは、

愛も青春も勇気も感動も笑いも、

つくる側が必死にひねり出して、

そこにひとつのものがたりを描いていた。

 

いま、そんなCMはほぼ駆逐されてしまった。

 

いまという時代は皆、

テレビCMにそんなものを求めていない。

知りたいのは機能であり価格であり、

それが受け手にとってどのくらい得なのか、

そういうことらしい。

 

要するに、テレビCMは動くチラシになったのである。

新聞に挟まっているチラシ…あれだ。

(世知辛い世相の合わせ鏡のようにも思えてくるのだが)

 

で、肝心の番組なんだけれど、

以前からいろいろいと指摘されているように、

相変わらず中身の劣化が激しい。

どこもアイデアが出尽くした感があり、

おおむね似たような番組ばかり。

このあたりもテレビの凋落の一因になっていると思う。

 

クイズ、食べ歩き、バラエティー…

そしてつまらない芸人のオンパレード。

良質の番組も散見されるけれど、ごくわずか。

あとは、エンドレステープのように流れる番組が、

ボクたちの思考を鈍らせる。

 

おおげさだけど、人生って短い。

時間は限られているのだ。

 

むかしの話だけど、あるキー局のバラエティー担当のディレクターと

打ち合わせる機会があって、そのディレクターは昼の番組をもっていて、

2度目の打ち合わせのとき、「○○ちゃん、この時間にテレビ観ているやつって

なんにも考えていないから、そこ外さないでコピー考えてよ。テキトーに!」

とアドバイスされた覚えがある。

(若いボクには衝撃だった)

 

とここまで書いて、ボクはテレビをリアルではほぼ観ない。

たまにニュースをすこしだけ観る程度で、

あとは観たい番組のみ録画している。

 

そこに映ったいくつかのCMを元にこれを書いている。

よってこの記事もボクの単なる感想に過ぎないのだけれど、

数字の裏付けだけはある。

 

それは広告費の統計の推移である。

広告枠の価格もだいたい把握できる。

また広告出稿企業名などをざっと眺めているだけでも、

あらかたの傾向・推測がたつ。

 

新聞に続き、いまテレビの凋落が表面化しているのは、

前記の状況に加え、ネットというライバルの存在が外せないのは、

周知の事実。

それは数字に如実に表れている。

 

XやYouTubeやインスタグラム、

ニコニコ動画の他、Netflix、フェイスブック…

挙げればキリがないほどメディアは増え続けている。

 

ボクはテレビにも頑張ってもらいたいと思う。

が、如何せん前述したような状態なので、

なかなか難しいと思う。

(ボクがテレビを観なくなった原因もそこにある)

 

さらに新聞は深刻で、報道のスピードや正確性に於いても

前時代的なので、もはや手のつけように思える。

 

オールドメディアなどと呼ばれる所以だ。

 

オールドメディアはその名が示すとおり、そろそろ寿命なのだろうか?

立て直しなど、単なる延命処置にしかならないのだろうか?

 

 

さて、今日もボクはテレビをつけていない。

もちろん新聞も取っていない。

が、なんの不自由もない。

(ここが問題なのだが)

 

ボクが、いやボクらがいまメディアに求めているのは、

偏りのない報道であり、

真実の追究であり、

ものごとの深掘りであり、

こころの揺り起こしであり、

笑いであり、

感動を呼び起こすものがたりであり、

そしてなにより「自由」なのだ。

 

オールドメディアにはそれらが決定的に欠如している。

(もちろんネットも同様の事象が数多く見受けられるけれど)

 

オールドメディアの衰退の主因は、

そのあたりにあるのではないだろうか。

 

だから寿命が尽きてしまうのだ。

 

トランプのアメリカは蘇るのか?

 

アメリカは、トランプで決まり。
下馬評どおり、オッズどおりだった。

(オッズはアメリカの賭けサイトで、みんな自らの現金をかけているので
情勢の分析は真剣で、偏ったメディア情報よりずっと正確だと思う)

が、日本のメディアは連日、民主党のカマラ・ハリスとトランプが接戦と報じていた。

これは、アメリカの偏ったメディアの情報をそのまま垂れ流していたに過ぎない。

まぁそれが日本のテレビの現状なのだ。

本当のことなどどうでもいい。
真実の報道などというものは、
この国では軽んじられているのだから…
ということになる。

アメリカはいまインフレが酷い。
原因はバイデン政権にある。
カマラ・ハリスは、現副大統領である。

選挙期間中、彼女は政策らしきものを
なんにも披露しなかった。
バイデン政権の踏襲ともとられた。

というより、急遽大統領候補となった彼女に、
政策などというものを練る時間もなかったのか?

バイデン政権は移民政策も推進していたが、
ついでに不法移民も大量に入れてしまった。
(不法って、理屈抜きで良くない訳です)

しつこいが国境を開放したのはバイデン政権であり、
その直接の国境担当がカマラ・ハリスだったので、
まぁ何をか言わんやでしょ?

こうした報道を日本ではいっさい流さない。
(が、現地の人たちはこうした状況を肌身で感じてる)

インフレも同様。

アメリカの有権者はよく見ている。馬鹿じゃない。

では、いっぽうのトランプ氏はどういう人物なのか?

日本の報道から垣間みえる彼は、
横暴で自国のことしか考えない、
他国はどうなったって知ったことではない、
というような人物である。

これは本当なのだろうか。
また、彼が日本に与える影響はどんなものなのか。

アメリカは現在借金でにっちもさっちもいかない状態であり、
この先もこの超赤字財政は解消しないのではないか、
というのが本当のところなのだが、
なにをどう間違えたのか、誤魔化したのか、
S&P500に代表されるアメリカのインデックスファンドなどは、
いっけん好調を続けているようにみえる。

この化けの皮が剥がれるのがいつなのか?
それが問題なのだが、ここに注目している人は、
かなりの少数だと言われている。

このことをトランプも、もちろん承知している。

彼は、諸外国に高い関税をかけて、
この難局を切り抜けようとしているのか。
が、時既に遅し。
いまの状況では、いつ恐慌がおきてもおかしくないと囁かれている。

日本のテレビや新聞、名だたるネットメディアをみても、
そんなネガティブな話はいっさい伝わってこない。

が、トランプの周辺からはこうした情報が語られている。
(怖いですよね)

また、トランプはああ見えて、戦争が嫌いな人物である。
前回の大統領の任期中でも戦争は控えていた。
(バイデン政権では戦争ばかりやっていたけれど)

では彼はなぜ、ああみえるのか?

横暴で自国のことしか考えない、
他国はどうなったって知ったことではない、
というような人物であると。

これがたとえばだが、
メディアのつくりだした虚像だとするとどうだろうか?

メディアだって食っていかなくてはならない。
稼がなくてはならない。

よって、正義や真実とはほど遠い情報だって、
すました顔で大量に流したりしている。

よってある意味、現在のメディアは、
自ら公共性を毀損している。

Q.ではそもそもメディアとは何なのか?
A.強大な権力です。

Q.メディアって誰のものなのか?
A.少なくとも私たちのものではないことは確かなことのような気がする。

Q.メディアの経営はどうなっているのか?
A.ここはお金の流れなどを追っていくと
かなり視界がクリアになるのだけれど、
膨大な時間と情報リテラシーが要求される。

話を戻そう。

実際トランプは嫌われているのは事実なのだが、
ではそれはいったいどんな相手なのか?

これもこたえは簡単至極。

彼の政策と利益相反する企業やそうした集団、
立場の人間たちである。

先に、彼は戦争が嫌いだと書いたが、
さぁ、利益の相反する相手とは?

そういうことなのである。

さて、このままトランプが大統領になると、
きっと日本製品にも高い関税をかけるのだろう。
(アメリカは世界一の消費国だからマーケットもデカい)

日本だけでなく諸外国もその回避策として、
工場をアメリカに移転するとか、あれこれと対策を練っている。

トランプはアメリカを再び蘇らせると考えているのだ。

ここでよく世間では、
アメリカファーストと叫ぶトランプを悪く言うが、
日本の政治家が外国のためにあくせくしていたら、
みんな怒りますよね。

日本の政治家にはジャパンファーストでいてもらいたい。

当たり前のことなんですがね。

で、このままいけば、2025年の1月20日にトランプ政権が誕生する。
予想では、戦争、紛争はとりあえずは減る。

が、景気、とりわけ日本の経済状況はよくみえない。

分かっているのは、トランプ次第で日本もその余波を受けるということ。
これは明白なのですね。

日本もそろそろ独立自尊の道を模索する時期にきている。

それはとても良いことだと思うのだけれど…

 

 

怒りの総選挙

 

選挙も終わり、みんな本気で怒っているのが分かった。

よって自民・公明ボロ負け。

立民、国民民主、れいわが伸びたけれど、

とりわけ立民は訳あり。

この党が決して良いわけではなく、

自民とかへの批判票という意で、

行くところがない迷子の行く先が立民なのであった。

しばらく政界は混乱が続くのだろうが、

ボクたち平民は粛々と以前と変わらずの生活が続く。

にしても、最近は情報もかなり多様かつ深掘りになってきたので、

ロクでもない人間が多数政治家になっていることが分かった。

政治家って志をもってなるもの、ではないのか?

金儲けなら、人に迷惑をかけず、ビジネスをめざせばいいのに。

そんな彼らに街も自治体はもちろん国なんて到底任せられませんね。

早急に消費税下げてくれないかな?

社会保険料って高すぎやしませんか?

この30年、たいして給料もあがらず、

物価も諸外国に比べればまだ上昇率は高くはないけれど、

税金と保険料は容赦なく上げてます。

もちろん省庁も政治家と同類で、どこを向いて仕事をしているのか?

ホントにこの国のことを真剣に考えている人間の登場をみんな待っている。

世界も混沌としている。

乱世である。

が、この日本にも、

乱世を駆け抜けてくれそうな政治家がちらほらと出てきている。

淡い期待だけれど、いまはその数人の動きに注目している。

そして、そろそろアメリカ大統領選だ。

来月から映画も顔負けのスペクタクルが続きそうだ。

世界はリンクしている。