昨日かなと思っていましたが、
今日が1番しんどかったです。( ゚д゚)
近所の道端にベンチがあります。
普通に2人座れるくらいの、
どこにでもあるサイズの青いベンチ。
私が幼い頃からそこにあって、
「でもそれ…そこで誰が座るの?」
ってちょっと変な場所にあります。
ベンチの脚がくくりつけられているため、
移動して場所が変わったこともありません。
稀に足腰の悪そうな老人が歩き疲れて座っていたり、
通りすがりの学生が一瞬座るのをみたことがありますが。
なんのために置いてあるのでしょうか?
そこを御犬様と毎日散歩で通り過ぎますが、
私はそのベンチに座ったことが一度もありませんでした。
今晩も寝る前のお散歩へ、
御犬様とベンチの前まで行った時に。
ちょっと座ってみるか?ということで。
青いベンチに座ってみました!
昔からあってボロボロなわりには、
しっかり座れたので感心しました。
しかしなんで、
こんな所にベンチがあるのか?
それはますますわからなくなりました。
今日みたいな日が来なければ私はずっと、
青いベンチには座らなかったと思います。
わざわざ理由もなく座る必要もないのですから。
ただ人は正しいことをするために、
そのためだけに生まれてきたわけでもなく。
これはしてはいけないとか、
これはしないだろうということをする時もあります。
しかし正しいことは正しいと言わなければならない時もあり。
正しいことをしない人に対して非難したり圧力や制裁を加えたり、
自分の我儘を抑えたり戒めたり律することもあります。
それを「干渉する」という言葉で表現するならば。
その逆説も成立し得るという点で。
難しいなと思う時があり、
「そっとしておく」
ほうがいいかもしれない。
それも正しさなのだろうと、
ときどき思うこともあり。
相手や自分を成否で評価するのではなく。
触らないことで和とするのも1つだと思います。
そうは言ってもしかし人間関係というのは、
どうしても避けられない場合もあります。
正しいことに触れないということは、
過去や未来を含めて放棄する行為にも等しく。
問題を先送りしただけとも言えます。
そういう意味では。
取り返しがつかないことや、
最初から答えがでていること。
それが判明した時点において、
今回こそは正しさを突き詰めて。
対応する必要があるのではないかと。
自分のことは棚にあげながらとも…
そう考える自分がいながら、
少しやり切れない自分もいて。
この10日ほど、
凄まじい経験をさせてもらって。
どうにかしながらも、
どうすることもできなくて。
どうにもならなさそうで。
どうにかはなりそうで。
どうしてこんなこと、
しなきゃいけないの?と。
でもやるべきことはベストを尽くして、
協力してやってきたはずだと。
私の立場で出来ることを。
私の力で出来ることを。
本当はベンチの話でもないのに。
座る必要のない青いベンチに、
なぜか座ってみたのでありました。(。-ω-)zzz. . .