三内丸山遺跡への旅 | サラリーマン→ビジネスオーナーへの道

三内丸山遺跡への旅

青森行ってきました。目的は三内丸山遺跡。

 

縄文時代、なんと世界最長、1万5千年も続いたとか。

対人の武器が出土せず、争いの傷が致命傷と思われる人骨もでてこない

平和な時代。

 

三内丸山遺跡は縄文時代の真ん中あたりの最盛期。

 

暮らしは、決して未開の原始人ではなく、装飾品が山ほど出てくる。

別の土地で取れる漆や黒曜石や翡翠も出土して、各地と交易もしていた。

しかも栗の木を育て、建材にしたり、実は食料にしていたようだ。

そして縄文尺を単位に道や柱の間隔が決められている文明の香り。

 

ただ寿命は30歳くらい、子どものお墓がたくさん見つかっていて

どうも幼児期を乗り越えるのに難儀していたようだ。

土器に玉石と一緒に埋葬するのも復活を祈ってのことだとか。

 

矢じりにアスファルトをつけて矢につけるなどの技も。

でも大型の動物は狙わず、ウサギにムササビ。

そして50種もの魚の骨。思いの外、豊かな食文化があったようだ。

 

それが次第に寒冷化が進み、頼みの栗が育たなくなり、

冬の寒さは厳しくなって、ここを捨てて南に散り散りに。切ないね。

 

ボランティアガイドさん曰く、研究が進むことで説明する

内容が継続して変化しているそうだ。

例えばかつては海が今より近かったという説明をしていたが、

今はそうでもなさそうということになっているようだ。

 

掘立柱建物も未だに使い道不明。

それでも栗の木の底を焼いて腐らず長持ちするようにしていたとか、

2度づつ内転びで傾けて建てていたとか、その技術力たるや

文明があったと言えるのでは?

 

私の勝手な推察としては、交易船への道しるべ、灯台的な役目では

ないかと。争いのない縄文で見張り台はナンセンスに感じるし、

ここから潮の流れ見るというのも遠すぎる気がする。

 

なんだか縄文時代は、世界最古の文明になってしまうのではと思う。

シュメールより全然古い。もしそうなると歴史が書き換わるよね。

 

帰りに栗ソフトクリームいただきつつ縄文時代に思いを馳せました。

寿命が短くても平和な縄文時代から我々は学ぶべきことが

あるのではないだろうか。