今朝の旅サラダ(父の大好きな番組)で、明石漁協が出てました。
お明石やん~
と見始めたのはいいけど、明石浦漁協のいけすから、ラッシャーさんが生きのいい鯛(桜色のきれいな見事な)を持ち上げたところでアウト
尾っぽをつかまれても必死にもがく鯛
大きな目をガッと見開いてこっちを見ています。
きっとこのあと、この鯛さん、さばかれてしまうんですよね…
って思ったら、もう見てられなくて。
何言ってんのあんたはベジタリアンか
いえ、普通にお肉好きです。
お刺身もお寿司も好きです。
でも、生きてるのを見て、それが殺されて(!)切り刻まれて(or焼かれて)いくのを想像すると、もうダメです
どうも私の中の死生観は偏っているように感じます。
鯛から話しが飛び過ぎ??
昔、死というものを考え始めると、理解不能のスパイラルに陥っていました。
死んだら自分は存在しない
存在しない=何も考えない
世界がなくなる
?????
って風に。
祖父母が亡くなった時は、離れて暮らしていた期間が長かったため、寿命だったんだ…と。
最近、義弟や従兄弟の死という、なかなか受け入れ難い死に接することが続き、ああ、それでもこれが寿命なんだな…と、割と冷静に受け止められていると思っていました。
なのに何ゆえ、明石の鯛に反応する
母が年始に食事を摂れなくなって入院し、延命治療云々を話した時も、このまま逝ってしまっても寿命なんだ…と。
そう思おうとしていたのかもしれません。
折しも妹2号友人の、物事を悟りきったTさんに会った時、ズバッと言われました。
なんだかんだ、お姉さんが一番泣くんちゃう?
そう思うわ~
そうかもしれません。
母の介護に実家に帰り始めてからのこの6年半、大半を母へのDVや厳しい言葉・態度で過ごして来ました。
後悔先に立たず…です。
今、とても反省して、母を大事にしよう、優しくしようと頑張ってるけれど、過去に私がしてきたことは消せません。
自分で背負うしかないですね。
明石の鯛(に戻る?)、美味しく食べられてしまったんだろうな…
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