大杜御祖神社は「式内社」で由緒のある神社らしいです。

御祭神は近くにある高宮神社の父神である天万魂命(あめのよろずのたまのみこと)。

古くからこの辺りの産土神社として祀られてきたようです。


江戸時代には、五穀豊穣を護って牛頭天王(素戔嗚尊)も祀られていたようですが、何故素戔嗚尊?

こう言うのにも流行があるみたいですね



明治に入るまでは真言宗玉松寺が大杜御祖神社と高宮神社の神宮寺として、管理していたようです。

廃仏毀釈の煽りでお寺は廃寺。

そこにいたお坊さんはどうなったのでしょうね?

廃仏毀釈の時に、還俗された方も少なくなかったと思いますが、中には神職として、神社に鞍替えするという人もいたようです。


ちなみに大杜御祖神社は現在は無人です。

社殿の背後には木々が茂り、結構広いご神域があるように見えます。

少し民家から離れて、雰囲気も良い。

落ち着いた所で、この辺りをみまもっていらっしゃるんだなあと感じました。





久しぶりです。

最近ちょっと体調崩していました。

それでも、生活は変わらないのですけどね。

自営業は休むと稼ぎが無くなるので辛い…



今日はですね、いきなりですがフリースクールやろってことです。



3月からご近所のフリースクールにボランティアスタッフとして参加していたのですけどね、そこが目指していたのが通常の学校に戻らないことを前提としたオルタナティブスクールだったのですね。

現状は、預かる子ども達の殆どが学校に戻っていくのですけど…



そこでボランティアスタッフとしての二ヶ月の間に色々ありまして、私がしたいことは学校に戻らないオルタナティブスクールではないな~と思うに至りました。



私がしたいのは学校に戻ることを前提とした子達の学習支援でした。

だから、学校に戻ろうと子どもが思ったときに、勉強面で困らないように学校の進度に合わせた準備しておくことに重点をおこうと思ったのです。



結局勉強屋の私にはそれしか出来ないのですよね。



それじゃあ自分でしよう、と言うことになりました。



最初は週1日(木曜日10:30~15:00)だけ預かって一緒に勉強しようかと思っています。



まあ、勉強したくない人は、ただの居場所に使ってくれても良いのですけどね(笑)



勉強しようと最初に言ってくるフリースクールはそう無いと思いますが、人は最後は勉強してないと社会に出て行ったときに不利な訳で、自分の可能性に蓋をしてしまうのです。



仕事のことばかりで無く、自分の周りのことを深く理解して、世界を広げていくためにも、勉強は手っ取り早いのです。



だから、一緒に勉強しようぜ!

自分のペースでゆっくりで良いから。


とりあえず、気になったらお電話下さい。

090-8160-8200

です。

お待ちしています。




高宮神社はこの近くにある大杜御祖神社と親子の関係にある神社です。 

ご祭神は『先代旧事本紀』(平安時代)に天剛風命(あめのこかぜのみこと)で、大杜御祖神社の祭神、天萬魂命(あめのよろずたまのみこと)の子神にあたるそうです。 

全然聞いたこと無い神様です… 


創建は明らかではありませんが、905年に藤原時平らによって編纂が開始された「延喜式」に記載される式内社と言う由緒のある神社です。 

 と、ネットにあることを並べると凄く立派な神社かと思ってしまいますが、実際には少し古い街中にある余り大きくも無い神社です。 

隣には自治会館があって、昔から集落を守ってきたのだなと感じさせ、親しみを感じます。  

でも、何でしょう。 

長い歴史から醸し出される威厳のようなものもあり、味わい深いものがあります。 

社殿を前にすると、見上げる感じで存在感が凄いのです。 

 コンパクトな境内ですが、ここにはパワーがある。 

そう感じさせる神社です。






御旅所とは、ある神社の神様がお祭りやご神事の時に、その神社から出てこられた際に立ち寄られ、お休みになられるところです。 

大抵は一つのようですが、神社によっては複数個あることもあるみたいです。 


私の予想では神社から出られた神様が元の神社に帰られる際に、良い方角から帰るための目印だったんじゃ無いかな? 

間違ってるかも知れないけど… 






そんな御旅所、必ず小さなお社があります。 

ですから、ちょっと前までは、普通の神社と思ってました。 

でも、お社があるのですから、ここでお詣りしても、ちゃんとかみさまに届きますよね? 

どうなんだろう。


熱田神社の御旅所は元の熱田神社からは数百メートルの近いところにあります。

こんな所で休んでる暇あるならサッサと帰れよと思ってしまう私ですが、方角を気にしてのことならしょうが無いか。

結構方角を使うお呪いは効くのですよ。

各方位にそれぞれのエネルギーがあるのです。


ここもそうなんでしょうね。


賀茂神社と道路を挟んだ所にある八幡神社。 

 寝屋川市の八幡神社と言えば、八幡台にある八幡神社ばかりがヒットします。  

説明書きも無いので、創建も何も分かりません。 


 ただ、作りというか配置からして明治以前から、この集落の氏神としてあったのではないでしょうか? 

 傍に集会所、境内はちびっ子広場のように使われていて、周囲の人達が立ち寄って来た様子がうかがわれるのです。 


 こういう神社が日本の隅々を守ってきたのですよね。 

これからも大切にしていきたいものです。




大阪府と奈良県の県境の近くの山奥の集落にある小さな神社。 

一度、トライしたときには見付けることが出来ずに引き返したのですが、今回は携帯のGPSを駆使して見付けることが出来ました。 

しかし、遠目に鳥居を発見して近付いていくと、鳥居の先は行き止まりです。 

これどうなってんだ? 

でも、GPSはこの先に神社があることを示しています。 

 どうにかして上に上がろうか? 

辺りを見渡していると、鳥居から離れたところに、怪しい道がありました。 

そこから小さな社に至ることが出来ます。 

社の前には急な階段。 

社の前で祝詞を上げるのも一苦労です。


鳥居の前は開けていて田んぼがあります。 

こんな山の上に集落があったんだな。 

でも、ほとんど民家もありませんし、人影もない。 

こんな不便なところに住む理由は何だったのでしょう? 

そこにはどんな歴史があるのでしょう? 


この神社はの創建年代は詳らかでありませんが、もと紅梅神社と称したそうです。

その後、今の社名に改め、明治五年村社に列したそうで、明治のころにはきちんと拝殿と神楽場もあったそうです。 

 今では、集落と共に廃れてしまっていますが…




大阪府交野市にある交野山の山頂に鎮座する巨大な岩。 


その大きさは、私の住む枚方市からでも分かるほどです。 

こんなものが山の頂上にあるなんて…と感動します。 


 ここは古くは仏教の修行の場であったそうです。 

神社ではありませんが、神聖な場所でどうしても紹介したかった… 


 ここに来ると感動するのは、そのパワー、では無く、360度のパノラマが楽しめること。 

この辺りで一番高い場所で遮るものがないから、大阪も奈良も京都方面も全部が見渡せるのです。 

特に夜景は素晴らしい。 


 私はなにも感じられないのですが、こんな場所で、このサイズの岩ですよ。 

パワーが無いわけが無い! 


 そして、その近くには小さな三宝荒神が祀られています。 

これはどう言う意味があるのでしょうか?
分かる人がいれば教えて下さい。






寝屋川市秦町の加茂神社は「打上川治水緑地」の南側の道沿いにある神社です。 

この神社のそばには秦自治会公民館と広場があります。 

 自治会館と公園と神社、この組み合わせは鉄板です。 


 創建については何も分かりません。 

でも、この地に集落が出来たときから、この場所でこの地を見守ってこられたのではないでしょうかね? 


 賀茂の名前を冠するこの神社は、京都の上賀茂神社、下鴨神社と関連があるのでしょうか? 

それとも、単にご祭神が同じなのでしょうか? 

また、京都には、賀茂氏と言う由緒ある氏族がいましたが、もしかするとこの辺りに移り住んでいたのかも知れません。 


因みに、この神社のある秦町ですが、「秦」は渡来人の秦氏のことのようですね。 

秦氏は水利に関する技術を持っていた氏族のようです。 

 この秦氏は、賀茂氏と婚姻関係を持っていたようで、密接な繋がりがあったみたいです。 


 秦町の賀茂神社、こんなことを知ると、ちょっと歴史のロマンを感じます。





寝屋川市太秦中町の住宅地にあります太秦熱田神社。 

神社の持つ雰囲気からして、元々は山の中にあったのが、住宅地として開発されて神社の周りだけが残されたのでしょうかね? 


 寝屋川市には太秦や仁和寺と京都にあるのと同じ地名の場所があるのですが、それぞれ京都と関係しているそうです。 


 境内地からは古瓦や礎石が出土しており、太秦廃寺跡という史跡でもあります。 


 室町時代末期にはこの地には氏神が無かったそうです。
その時に、この地で寺子屋をしていた浪人が、郷里尾張の熱田神宮について語っていたら地元住民も盛り上がり、熱田神宮から勧請したそうです。 


 でも、氏神が無いまま、地域がまとまって来れたなんてちょっと信じがたい… 

実際はどうなのでしょうか? 


 御祭神は、日本武尊。 

ちょっと珍しいです。 

これだけでも来た甲斐あったな。 


 でも、境内の雰囲気は何でしょう? 

ちょっと地域に馴染んでいる感じは無いのですよね。 

少し取って付けたような… 


やっぱり創建のお話の通りなのでしょうか?

やっぱり地域に溶け込んだ神社というのは、元々の土地の神様を祀っているような所であるとか、集落が出来上がって直ぐに勧請されて、地域と共に歩んでこないといけないのでしょう。




集落から少し離れて川沿いの小高い丘の上にある寝屋神社。 

地域の鎮守社と言うことですが、何故ここに? 


 創建は不明と言うことですが、江戸時代には八幡宮と呼ばれていたそうです。 

明治の初めに今の名前に改称されたそうです。 

 寝屋川市には八幡宮がいくつかありますが、八幡市の石清水八幡宮から勧請されたのでしょう。 


摂社に水や雨を司る神様が祀られており、これがこの神社の元の主祭神だったのかも?と言っている人もいます。 

そうなら、結構古いのかも? 


 階段を登って、丘の上には地車の倉庫がありました。 

もしかすると、私が上がった反対側はなだらかな坂になっている? 

とりあえず、地車の倉庫があるくらいなんだから、地域に溶け込んで存在しているのでしょう。 

 その割に鬱蒼とした木々に囲まれて、集落の隅っこに押しやられた感じで、あまり人が頻繁に訪れる気配がないのが寂しい… 


社殿もかなり傷んでいます。 

何だか、このまま朽ちていくような、そんな不安を感じてしまいました。