父の昔話、息子は黙って聞いた | ここ掘れわんわんモモが鳴く!

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じーさんと飼い犬桃太郎の日記です。

今日は息子と二人畑へ。
息子は草取り、じーさん草刈り。
合間にスイカやウリ、黒豆や落花生など、草引きの
要領等うんちくしながら一日が過ぎた。

梅雨空のこととて、むしむしと暑く一日終わって帰った時には

もうもう、二人ともぐったり (+ヘ+;) 
夜、ビールを飲みながら昔話をした。
父のこと。

父が終戦で帰ってきたとき、大阪で住んでいた家も焼けて無く、
会社もなくなっていたそうな。
仕方なく生まれ故郷へ帰ったもののすでに両親はなく、長男が
あとを継ぐ昔のこととて、とりあえずは自分が生まれた家ながら、
今は長男の物となっているそのひと間を借りて、まだ幼い兄姉との
4人家族。
父は本家から田畑を借りたかもしれない。何しろ本家は大地主だったから。

私が覚えている一番古い父の記憶は、全身赤銅色に日焼けして

ふんどし一丁で鍬をふるっている。
それは本家から借りた雑木の森を鍬1本で開墾している姿。

帰ってきて間もないころ、本家の子供たちが美味しそうにご飯を食べているのを
幼い兄姉たちが羨ましそうに眺めるのを目にして、(貧乏は辛い、何とかして抜け出したい)
そう思ったそうな。
この話は父から何度も聞かされた。


戦時中、よっぽどひどいものを食べていたらしい父は、戦争から帰って間もなく胃のほとんどを摘出した。
そんな身体で父は重労働をした。
私が幼かったころ、父はたばこ農家となった。

兄が二十歳くらいの頃、心臓に大きな穴が開いていることが分かった。
医大で、「このままだとあと2~3年は生きられる。手術の確率は五分五分」
と言われた。
父は五分の確率にかけて田畑を売り払った。私が中学一年のときだった。

今までにも何度か話している祖父の話を、息子は黙って聞いた。

 

 



波乱の多かった父の人生。。。誰の人生にもドラマはある。

 

 

 

 

昨日、旧の畑で

子供のころの懐かしい花

竹藪の陰でそっと咲いていた