編集長に会う。 | オオカミ絵日記

オオカミ絵日記

故郷を離れ、人間の世界で人に化けて生活することになったオオカミの絵日記。
(このお話はフィクションです。なおかつ適当にお話を後から変えてしまう場合があります。
「おいおい前読んだ時と話が違うじゃないか!」などと怒らないでください。)

オレはうまい肉を炭火で焼いて、塩で食べるのが好きだ。
他のものは必要が生じないかぎりは食べない。
だから行く店も決まって焼肉屋か焼き鳥屋、つまり飲み屋だ。
だけどうるさいのは苦手なので、
小さな店を探しては入ってみる。

今一番のひいきは
世話になってる出版社の近くにある店だ。

程ほどに客が居て、皆あまり騒がない。
亭主も無口で愛想がないが
気配りは行き届いている。

そして何より肉。
美味い。
だがオレは酒を飲まない。
酔っ払って我を忘れるという行為はとても危険だ。
ここは「オオカミの森」とは違うのはわかっているつもりだが
オレはどうしても警戒心を忘れることが出来ない。

「飲み屋で酒を飲まないのはどうかと思いますよ。」
と、飲めない担当の奴が言っていた。

だが亭主も、他の客も特に何も言わない。
良い店だ。

今日も出版社に出かける予定。
なので当然帰りはこの店に寄るつもりだ。


今日はいつもの作戦会議ではなく、
世話になってる編集長に挨拶をする予定だ。
と言ってもオレの本の部署ではなく、
オレが有名になるきっかけを作ってくれた「本の雑誌」の編集長に会う事になっていた。
世話になっていながらまだちゃんと挨拶をしていなかったのだ。

初対面の編集長は穏やかな人物で、
終始なごやかに会話が進んだ。

好人物だが、なんとも引っかかりのない人だと思っていると、
帰り際に編集長がオレの目を見ながらこう言った。

「私は、先生の本がとても好きです。純粋で、皆そこに魅かれる。
だけど人間の世界では長いものに巻かれることが必要なときが来る。
そのときが来たら私の言うとおりにしてください。
けれど今は周りがなんと言おうと、好きなように描いてください。」
と言われた。
オレはこの編集長がオレの盾となっていたらしい事にようやく気づいた。

妙な気分だった。
一匹オオカミのオレだったはずだが、
編集長に会ってから、なんだかモヤモヤしてしょうがない。

だがモヤモヤしていても腹は減る。
いつもの通り、
オレは出版社を出ると居酒屋に向かうことにした。

暖簾をくぐると
5人も座れば一杯になるカウンターの端に座り
「いつもの肉。」
と言うと
オレの前にきれいに串に刺され、
美味しそうに焼かれた肉がならべられた。
相変わらず美味しいが、
何だかモヤモヤした気分は晴れなかった。

あらかた肉を食い終え、
そろそろ帰ろうかというときもまだ妙な気分だった。
モヤモヤが納まらない。

「ご亭主、酒を。」

亭主は黙って日本酒を出してくれた。

オレは一口飲むと、
そのまま気を失った。



目を覚ますと見知らぬ部屋で横になっていた。
どこかで包丁のトトトトという小気味いい音がする。
オレは上半身を起こし、
辺りを見回した。

障子の向こうから、
「起きたかい?」という亭主の声が聞こえた。
「ご亭主。」
「あんなに弱いとは思わなかったよ。」
「ご迷惑をおかけしました。」
「いつもの肉、焼いてやるよ。食べていきな。」
「ありがとうございます。」

胸が少しムカムカしたが、心のモヤモヤは消えていた。
悪くないな、人間の世界も。
オレは布団をたたむと肉を食べに土間へ降りていった。