我國の憲法とは「無職転生」?

憲法とは何かと端的にいへば「稜威奇しき法」である。それ知識と理論による理屈で理解する必要もあるだらうが、私としてはもつと血肉の通つた祖先からの歴史だと捉へたい。

何故ならば事実さうであるからだ。
「事実だから」と押し通さうとは思はないし、様々な解釈があるのも分かるが、まづは事実を踏まえぬ事には何も始まらない。

普通ならば古事記、日本書紀から歴史を辿るといふ事で通史を学ぶべきであり、そこから自分自身へと繋がる命脈を見つけるのが良いだらう。良書もある。

やはり「少年日本史」だらう。

講談社から「物語日本史」として文庫化されたものもあり、手に取りやすい。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000149966

さてでは、普通ではない私が、おすすめする学び方だが、それこそ解釈や好みが多種多様であり、あまり褒められたものではないのかも知れないが、有用であると信じてゐる。

「無職転生」である。

いはゆる異世界転生モノであり、好悪の分かれる作品だとは思ふが、数世代に渡る大河ドラマ的な側面もあり、転生した主人公の持つある意味で客観的な視点を含めた一代記でもある。

昨今では知識だけならばいくらでも集める事が出来る。
しかしそれを自分で精査し考へる力を持たない事には役に立たない。
「一身独立し一國独立す」とは福澤某の言葉だが、これはまさにその通りではないだらうか。

親と子の繋がりが客観的に見える事で主人公の前世との比較があり、辛苦を乗り越え、自立し、自身が家庭を持ち、子らを守り育てるのは、自身が如何に守り育てられたのかを知る事である。

ファンタジー作品によく見られる勇者が巨悪を打ち倒すといふ話ではない。寧ろ主人公は勇者の父親世代であるといふのは、そのジャンルで私が好きな小説である「小説ドラゴンクエストⅤ」と同様だ。戦闘の実力も最強ではない。二つ名も「泥沼」と呼ばれてゐる。

しかし、主人公の父パウロもドラクエ5のパパスも、実に魅力的な父親像であると私は思ふし、それぞれの息子もやはりその背を見て育ち、それぞれに家庭を持ち、それぞれに父となる。

父性の損なはれた戦後日本社会に於いて、父祖の辛苦と功業を伝へ、本当の意味でその歴史を顕彰するといふ事が失はれてゐる。

無論、誰もが理想の父であれとはいはないし、それは無理なのだが、どのやうな父であれ、親から子へと歴史を繋いでゐる。

父は臭くて汚い存在なのかも知れず、歩くATMでしかないのかも知れない。欠点や問題のない完璧な父親など存在しない。スーパーマンじゃない勇者でもない。

しかし、役割を果たす父の事実を知つて欲しいし、男であれば父になる為に鍛錬を積んで欲しい。生殖のみで父になれるわけではない。因みに私が目指す父親像は「子連れ狼 拝一刀」である。

「父親の権利を!」とか「地位向上を!」といふ陳腐な事は求めないし、褒められたいわけでもない。

ただこれまで歴史を紡いできた事実だけは、無かつた事のやうに扱つてはならないのだ。

浜田省吾 I am a father

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