日本國憲法は憲法ではないよ

私がやつて、彼らがやらなかつた事。
自分で調べて、日本國憲法(占領憲法)が憲法として無效・有效だとするそれぞれの立場に立ち、疑問をぶつけた事。

私自身は典型的な戦後教育を受けて育つたので、初めて「日本國憲法無效論」に触れた時「それは極論。行き過ぎ。」だと思つた。

少し後に再び「日本國憲法の無效論」に触れる機会があつた。これはどういつた論拠でそのやうに主張してゐるのか調べてみた。

日本國憲法無效論の決定版は南出喜久治 弁護士の「國體護持總論」で述べられた『眞正護憲論(正統典憲の現存・日本國憲法は憲法として無效)』であるから、それをまづ読んだ。

一応、当時の私は憲法論に触れる機会があるような状況にあつたわけだが、それはポパーやハイエクといつた西洋的保守主義を知つて、共産主義的な全体主義が息の根を止められた状態であり、全体主義を否定する理論はあつた。

しかし、西洋的保守主義がどのやうなものかといへば「昔からあるものは急に変へるべきじゃないよ」的なぼんやりとしたものとしか思へなかつた。共産主義的な「急速な革命」ではなく「ゆるやかな革命」でしかなく、根本は通底してゐる。同じ土壌から育つたのだから当然であるといへる。

いはゆる伝統に価値があるなら、西洋諸国なんかより日本の方が圧倒的に伝統があるし、そもそも日本の独自の価値観、日本の独自の保守主義はないのだらうか?どのやうなものだらうか?と模索してゐた時期であつたと思ふ。

さて、日本國憲法制定の背景は、私が「当然私は知つてゐるもの」だと錯覚してゐたものと大きく異なつてゐた。普通に考へて「なんでこんな無法がまかり通るのか?」といつたものであつた。

戦争に降伏し、占領されると何をされても受け入れなければならないのか?逆に降伏した相手には何をしても良いのか?

「いや、何かしらの納得できるもの、法的な根拠とか、何らかの事情があるに決まつてゐる。さうであるべきだ。」と感じたので、法制上どうであるとか、歴史的にどうであるとか、くだらないと感じるやうな所まで調べてみた。

日本國憲法の制定はアメリカ始め連合国側と我國との取り決めであるといふのは事実として多くの人が知る所と思ふが、多国間の取り決めである時点でそれは国内法(憲法)ではなく、国際法の範疇にある。

「いや、名称からして『日本國の憲法』ではないか!」といふ人がゐるならば「請求書と書かれた架空請求に振り込まねばならない」といふ事になるし、そもそも国際法、條約とはその名称の如何に関はらず、多国間での合意全般なのだ。

まづ、「日本國憲法はやはり日本の憲法である」といふ立場から、眞正護憲論を否定してみた。

これが予想外に苦戦した。最終的にはファンタジーに頼るしかなくなつたのだ。一般的に知られてゐる代表的なファンタジーは東大の宮沢による「八月革命説」であり、やはり腐つても東京大学である。一応の整合性を持たせようとしてゐる。革命により天皇から国民に主権が移行したとするが、帝國憲法に主権者は定められてゐないので、「戦前は天皇主権だつた」といふ嘘の上塗り教育が盛んに行はれてきた。東大、宮沢といふ権威に対する忖度といふ強大な権力を背景として、論陣を張るといふストロングスタイル。

若しくは條約である事実から開き直り、日本國憲法は條約憲法であり、アメリカの新たな州となつた説。しかし、さうであると仮定に仮定を重ねても、それならアメリカ合衆国憲法が施行されてゐなければならないし、逆に合衆国憲法ではなく「日本國憲法」であるといふ事に注目されてしまふと大問題となる。

西洋列強やアメリカは独立国家の要件として、憲法典が制定されてゐるか、後には民主化されてゐるかを重視して来たやうだが、それは裏を返せば「憲法制定や民主化を謳つてゐれば、合法的に侵略ができる」といふわけだ。

大東亜戦争により徹底的に破壊された、列強の打出の小槌『植民地主義』をそのやうな詐術を用ゐて、復活させてゐるわけだ。

私は昭和53年生まれだが、印象として無知蒙昧な時代とは過去の事であり、現代はある意味完成された文明的な社会であると錯覚してゐたやうに思ふ。実際に昭和53年とは皇紀2638年であるから、あの零戦が採用された皇紀2600年から、たつたの38年しか経過してゐない。
たつた38年前の世界とは「白人種のみが人間なのだ」「女性と子供は人間ではない」といふ野蛮で偏つた思想を持つ列強が世界を支配してゐた。どう考へても日本と世界とには埋めきれない文明の格差があるし、世界は未だに野蛮であり、もしかすると人類の文明とはこの辺りが飽和状態なのかも知れないとすら思へる。

そして、占領憲法下でアメリカナイズされ続けた現代社会に於いて、私が考へた最強のファンタジーが「帝國憲法から日本國憲法への國譲り」であり「マッカーサーによる天孫降臨」説である。

本来の國譲りは、例へば生物がミトコンドリアを取り込んだやうに正統の進展であり、また双方が「シラス統治」を肯定し、譲つた側への『祭祀』が確約されてをり、國柄は一貫してゐる。
しかし、この占領國譲り説ともいへるものでは、それぞれが真逆であり、しかもそんな荒唐無稽な理屈では論陣すら張れない。

いや、昨今では理論が云々ではなく、このやうに突き抜けた暴論の方が、カルト宗教と同じく衆愚からの支持を集められて、有用なのかも知れない。それはそれで世も末といふ事だが。

つぎに「日本國憲法は憲法として無效とする『眞正護憲論』」の立場から「日本國憲法の有效論」を否定してみた。

ことごとく腑に落ちた。すべての事柄の関連が明らかになり、理路整然と理解する事ができた。ただ、それだけ。


■國體護持總論
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■祭祀の道
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