朝日新聞出版が発行している雑誌「AERA」2011.3.11号に「名前の画数が気になる」というタイトルで記事がありました。

内容をかいつまんでお話すると、出産に続く一大イベントである子供の名付けで親は頭を悩ませ、 画数にこだわるあまり『画数症候群』とも呼べる現象が起きているとの事。

実例として紹介されていた女性は悩みに悩んで候補名を決めたにもかかわらず、 生まれた子供にはしっくりこず、白紙に戻してやっと命名。画数はもうこりごりとのコメントがありました。
そして、別の男性はどの流派でも完璧な画数の名前をつけようと意気込み、ノイローゼになりかけたそうです。

さて、姓名判断にはさまざまな流派があります。
流派によって画数の取り方や計算の方法、またその画数が意味するとされる結果もさまざまですから 皆さんが混乱されるのも無理からぬことでしょう。

そもそも姓名判断は運命学者・熊崎健翁氏が1929年に出版した書籍から世に広まりました。
そして、この書籍で紹介された「五格」(天格・人格・地格・外格・総画)で吉凶を判断するという方法は 今でも一般的な姓名判断法として捉えられ、現在では30近くあるという姓名判断の流派の多くも この「五格」を元に改良を加えたものであると認識しています。

ここで皆さんに伺います。

このサイトをご覧になっているということは、皆さんも少なからずとも姓名判断に興味をお持ちなのですね?
過去、他の姓名判断でご自分やご家族、知人や友人の名前を占ってみた事はありますか?
そして、その結果はいかがでしたか?

40年以上前、まだ30歳代であった私は吉相といわれる数の結果に疑問を持ちました。
なぜなら、先にあげた姓名判断で「吉数」とされる姓名の人々の人生を臨床してみたら、 おせじにも外観から察して幸福とは言えなかったからです。

さらにはこの画数は理財運がある、また頭領運があるとしながら 「なぜにあるのか」「どうしてそうなるのか」といった理由が書かれていませんでした。
そこで爾来、今日で45年間私は独自に研究を始めたのです。
そして、試行錯誤の結果、ここに「樹門流姓名学」を作りあげました。

私の姓名判断法は難解であるというご意見をいただく事が多々あります。
それは従来の、いえ、他の姓名判断と比べての事でしょう。
「樹門流姓名判断」はこの画数は良い、これは悪いといった『結果』だけを導き出すものではありません。

従来の姓名判断はいうなれば「お遊び占い」で証明も根拠もないものでしたから・・・ 多くの人が気にするであろう現世での運勢はともかく、なぜその運勢を持って生まれたのか、 今後はどうなるのかという『原因』あって『結果』までをも明確にするものではなかったのです。

たとえば、あなたが今、このサイトを見ているのは何かしら気がかりな事があって「姓名」に興味を持たれたからですね。 このように物事には必ず、元になる事柄があります。
人の運勢もその起点があってその後に人生運と結果が導き出されるものです。

雑誌の記事は名づけ=画数に振り回される親は今後も増えるであろうと締めくくられていました。

私から言わせれば画数にこだわるなど実にナンセンスです。
どんなに頭を悩ませ、名づけたとしても『原因』がある以上、 決まった結果=運勢の名前となって当然で、初代になる人、また次代、 さらには三代目となる人と位置づけられた名前がつくようになっている事実があります。

これは三代ごとに繁栄と衰退を繰り返す『家三代の興亡の大原則』という決まりがあって、 まずはそれを見抜ける姓名判断でなければならないという事です。

私は何か一つだけに特化している事が幸福だとは思えません。
健康・愛情・経済の三つが揃い、継続する事こそ真の幸福であると考えます。
いくらお金があっても家族もなく病弱では幸福とは言えません。
体は丈夫でも、努力しても経済的には厳しい状況が続けばむなしさが募るばかりです。

空前の占いブームであるとされながら、今現在の状況がよければそれでよいという風潮にも嘆かわしいものを感じています。 若い方はピンと来ないかもしれませんが、十年後、二十年後の事を考えてみてください。

あなたに祖父母、そして父母がいるように、あなた自身もいずれは子供が生まれて親となり、やがて孫を持つ身となるでしょう。
ですが、気づいてみればパートナーもなく子供もおらず、淋しい日々を過ごしているという方もおられるでしょう。
どちらの人生を幸福だと思いますか。

それでもまだ、今がよければいいと言えますか。

米国は自己主張するのは当然の権利であるというお国柄です。
己を主張するというのは言い換えれば個人主義であるという事になります。
そして、職業に貴賎なしとしながらも占いに携わる人々を冷ややかな目で見ているといいます。

これは占い師の人々に限った事ではないようですが、その職に就く人の『人格』は認めても仕事の内容は低劣である、とするのです。
好んでそんな職に就く人はいないでしょう。

対する日本は古くから血縁による人間関係が膠着された人情の国です。
そして、日本だけでなくアジア圏の人情的な風土に培われた国は占いの研究が盛んです。
よって、それを糧とする人もおのずと多くなります。

私はさまざまな占いに触れる事によって生じた疑問がきっかけで、研究する者の一人となりました。
「こんなもの、自分でもすぐに独自のものが作れる」と高を括っていましたが、 いざ始めてみると実に奥が深く確立するまでに30年の歳月が流れました。

私は30年をかけて姓名から運勢の原因と結果を導き出す独自の姓名判断法を作り上げました。
それは構成法といって、バランスを重視する見方です。

端に画数だけに捉われる姓名判断法では、ここまで言及し、さらに明確にする事はできません。
この姓名判断法を作り出す事ができたのは日本という国に生まれたからだこそです。

第二次世界大戦後の日本は欧米化が進み、個人で孤立化状態が続きプライバシーが尊重されてきました。

身近なところでいうと、昔は近所の人々とは家族のような交流があるのが当然だったものが、 最近ではマンションの隣の住人の顔も知らないという関係が増えてきている、といった具合です。

先に述べた今がよければそれで良いという風潮も、見方を変えれば個人を尊重する欧米寄りな考えであると思います。
職業においても、知識や教養のある人は一部の職業の人々を下卑した目で見ている、という事が無きにしも非ずで、 高いステイタスにある人ほど占いを否定する傾向があるように思います。

記事によると姓名判断の流 イヴ けいた 派は30近くあるそうです。
この中に「樹門流姓名判断」は含まれているか否かはわかりませんし、それはさして重要な事だとも思っていません。

大切なのは何が真実なのか、虚偽なのかという事なのですから。

2005年4月に発行の「姓名の暗号」(幻冬舎刊・50万部発行)で、 今から6年前で北朝鮮の次期後継者は誰になるのかを三男・正雲(正恩)氏と予告した記事を掲載した記憶があります。
悪いとは思いますが、姓名判断に限らずテレビに出たりカリスマと呼ばれる方々を含め、 そこまで正確に予告できる占い師はこの日本でどこにおられるのでしょうか。

また、付記する『家三代の興亡』を説いている占い師は見たことも聞いたこともありません。
それだけではありません。「あなたの父母代は第何子系の○男○女で、 あなたは○男○女」と答えられるのは樹門流姓名判断のみであることにも注目して欲しいのです。

なぜその出生ポジションが重要なのかとういうと、あなたの子供の代、 孫の代の出生ポジションの位置かそれ以降になるからです。
従ってそれが第三子系の二男相と出れば第一子と第二子の子供が恋愛中に淘汰され、 その後に正式な伴侶を得て第三子系の二男か二女の誕生となるという計算式が成り立つからです。

また、あなたの出生ポジションがずっと下位、例えば第六子とか第九子という位置であれば この先順の数を消去、恋愛や結婚で悲しいかな淘汰する仕組みで家庭に安堵がない人ということになり、 それらを読みとる力のない占いは私から見たらすべて虚偽の占いと判定せざるを得ません。

つまり、数字の入らない占い(家は何代目とか、第○子系の○男○女)は総てまやかし物で、世に忌憚される占いではないでしょうか。
改めて巻頭に30種類の流儀があると述べていましたが、それらを私が述べたところに従って調べてみて下さい。

斯くいう私も最初は数、画数、数霊法を試みてみました。
20年ほど経過した時に、画数にはさほどの意味はないという結論に達し、構成法を試したら次に挙げることがわかったのです。

第一に『家三代の興亡』第二に『第何子系の○男○女』そして第三に『名は体』つまりはその人の人物像、 性格や人格が明示されていなければならないということです。

私からみたら大先輩にあたる熊崎健翁 イヴ けいた 先生の流儀に準じる姓名判断法を採用している 占いは総てまやかしであると言わざるを得ません。
この業界のレベルアップを期したい願いもあって、他流の占いの挑戦を受けています。

姓名判断、家相、手相、墓相、いずれも他の流派とは違うプロセスと結果を招来する 占いを実施していますので、どれの挑戦でもお受けします。
ちなみに見料は頂きませんのでどうぞ気軽においで下さい。