その時ホリーは理想の未来を見た! ワクワク男の見た未来とは!? | ワクワクすることをやり続ければ夢はかなうと僕は信じる

その時ホリーは理想の未来を見た! ワクワク男の見た未来とは!?

ホリーです。


ワクワクすることをやるのが大好き。
物語を空想するのが大好き。
自由が大好き。

自分を愛してくれる優しい自分さんが大好き。
自分の心のままに生きることを許してくれる優しい自分さんが大好き。
疲れたら休んでくれる優しい自分さんが大好き。

何かを成し遂げるまでに時間がかかってしまうことを許してくれる優しい自分さんが大好き。
何度でもやり直す機会を与えてくれる優しい自分さんが大好き。
やりたいことに全エネルギーを注ぎたいから、それ以外のことを断ってくれる優しい自分さんが大好き。


人はみな繋がっていて、そして人はみな愛を持っているということを疑ったこともないホリーです。
とはいえ、人はみな、例えどんなに賢く見えるような人でも、ちょっぴり、おばかさんな部分も持ってて、ちょっぴり、自分ならではの思い込みを持っているということも、本当は知ってるホリーです。
ふふっ。
みんな可愛いんだから〜。

まぁそういうホリーが、いちばん、おばかさんなんだけどね。
あれっ、じゃあホリーが、いちばん、可愛いのかな。ふふっ。


さて、
そんなホリーは、
前回の記事 で、オリジナルソングのCDジャケットのデザインを、ついに完成させたことを伝えました。


わ〜いわ〜い。

ホリーはやったよ〜。。。


すると、
その、ルンルン気分のホリーの脳裏に・・・

なんと・・・
未来のビジョンが見えてきたのでした・・・



ぱちぱち・・・ホリーの妄想劇場はじまりはじまり・・・ぱちぱち



あっ、この妄想劇場、けっこう長いから、テキトーに流し読みでどうぞ。
でも、もしも、
「おっ、なんかちょっと面白いかも」
な~んて、心にワクワク感が生まれてきたら、そこからはもちろん、味わいながら読んでみてくれちゃってもいいよ~。



「ワクワク男の見た未来」
by Holly Skywalker/ホリー・スカイウォーカー


僕がワクワクすることをやり続けたら、
そこに「幸せをもたらす魔法」のかかった「宝物」が生まれた。

その「宝物」が、それを「必要」としてくれる人たちに行き渡った時、僕を助けてくれる糧(かて)という形になって僕に返ってきた。

その糧によって、また僕は素晴らしい「宝物」を生み出すことができ、その「宝物」が、さらに多くの人の幸せに繋がった。

そんな「嬉しい循環」が僕の人生に出来上がった。



そんな僕の生き方を見た人たちの中には、
嫌なことばかりをさせられる自分の「悪循環の人生」に疑問を持つ人たちもいた。
そしてその彼らも、自分のワクワクする分野で「宝物」をつくりはじめた。
そこには山もあり谷もあったけれど、彼らはそれをやり遂げた。
「ワクワクする気持ち」がそれを乗り越えさせてくれたんだ。
そして彼らのつくった「宝物」も多くの人に幸せを与え、それが彼らに糧をもたらしてくれた。
彼らはその糧によって、また素晴らしい「宝物」をいくつも生み、その「宝物」は、さらに多くの人に幸せを与えた。
彼らと彼らの宝物を手にした両方に笑顔が生まれた。

そこにも「素晴らしい循環」が出来たんだ。



それらが手本になって、たくさんの人たちが、様々な分野でワクワクすることをして「宝物」を作り始めた。
世の中に「ワクワクする人生を選択した方」の創った「素晴らしい宝物」がたくさん誕生した。
その「宝物」はたくさんの人を幸せにした。
その「宝物」は当然、僕にも回ってきて、僕自身や僕の家族をさらに幸せにしてくれた。
世の中には笑顔があふれた。

「素晴らしい循環」はさらに広がったんだ。



こうやって、世の中に幸せな人がたくさん増えていった。
世の中は「素晴らしい循環」で回り始めたんだ。



「ワクワクすることをやり続ける人は最終的には宝物を作って社会に貢献出来る可能性が高い」というイメージが定着化されてきて、「ワクワクすることをやり続ける人を応援できる心を持つ人」があふれる時代になった。

また、
自分のやりたいワクワクは見つからないけれど、でも自分だってワクワクすることをしたいから、
「ワクワクすることをやり続ける人をサポートする」ことで、
「自分も誰かを幸せにする宝物づくりのお手伝いをしたい」、
そう思う方も、もちろんたくさんいて、

それが「理想のチーム」を生んだり、
「理想の会社」に発展したり、
あるいは「クラウド・ファンディング」などの「宝物をつくる人を支援できるシステム」を根付かせていった。

ワクワクすることをやり続ける人を「サポートする人」も、自分が素晴らしい宝物づくりにたずさわれたことで、
誇りが芽生え、
自信が芽生え、
それが笑顔になり、
その方達の笑顔もまた、世の中を明るくしていった。



そして、その明るい風潮にのって、素晴らしい発見や発明が、いろんなところから、まるで連鎖するように立て続けに起こって行ったんだ。



まず、生物学の世界であった大きな発見は、この時代の常識を変えるものだった。
人間の細胞が入れ替わる際にわずかに劣化してしまう原因はつきとめられ、その「細胞の劣化を防ぐ鍵」と「細胞を修復する方法」を見つけることにまで成功したんだ。


本来もっともっと長かったはずなのに人間のいだく不安や思い込みやストレスで自ら短くしてしまった「人間の寿命」は、この発見によって、本来の長さを取り戻すことができた。

それは、
「若く健康のままで、 自分が望めばどれだけでも生きることが出来る」
という時代の幕開けだった。
「自分が望まなければその限りではない」のは、人間は「人生をやり尽くした」と感じると、そこからは自然に寿命を迎えられるようなしくみになっているらしいこともわかったからだった。
だから、そう感じなければ、本来はどれだけでも生きることが出来るほどの潜在能力を誰しもが持っているはずだ、ということだった。
会見した科学者チームの代表は、
「これは元々人間に備わっていたギフトであり、我々は、ただ、失くしてしまっていたギフトのふたを開ける鍵を、見つけ出しただけにすぎないのです」
と目を輝かせて言った。

その言葉通り、科学の裏付けによって、寿命に関する人間の思い込みが解き放たれると、人間の持っていたギフトのふたが再び開き、ストレスが急速に減り続けている社会背景もあって、それ以降は、科学の助けも無しに人間の寿命はどんどん長くなっていったんだ。


なお、少し余談を話すと・・・
この世界での人生をやり尽くした者は、そこからようやく、たおやかに老化していき、肉体の死という形で、天国という新たなステージへと旅立って行くのが一般的ではあったのだけれど、それとは異なり、自分の意思による波動の変化で肉体を高次元へと昇華させる「アセンション」という方法を身につけ、その方法を使って、自分が望んだ時に、その肉体を持ったまま天国に向かう者も少なくなかった。
古い時代なら悟りを開いた聖者でしか出来なかったような方法なのに、これが特別なことでなくなってきていたのは、人類全体が、自分たちの潜在能力の凄さに気づいたことで、脳のこれまで使われていなかった部分が開花してきていたからなんだ。

脳が開花することは、そのようにアセンションをすることも可能にし、さらには、例えば怪我などで肉体の一部を失った人でも、その部分を自分の自己治癒力で再生することができたり、もっと言えば、自分の肉体を理想的に変化させることも不可能ではなかった。
だからもちろん、長くなった寿命が、生きる苦しみになっているような者もいなかった。
みんなが自分の意志による選択で、この世界での人生を謳歌していたんだ。


さて、
寿命が長くなれば当然、両親や祖父母だって、いつまでも若く健康で長生きしてくれるから、両親や祖父母たち本人はもちろんのこと、いつも両親や祖父母の笑顔を見ることが出来る、その、子供や孫たちも幸せに満ち溢れていた。

身内を心配しすぎなくても良くなった為、人はより自由になったんだ。

若く健康のままで寿命が長くなるということは、恋愛対象年齢も広がったということでもあり、恋愛で自分や相手の年齢を気にすることはなくなっていった。
若々しくあるのに、何百歳の経験と知恵を持った者たちの間には、理想の愛の関係があった。

女性は出産適齢期を気にしなくても良くなったから、あせらされて、愛の無い結婚をする必要もなかった。
あせって結婚する必要がなくなったため、少子化は進んだのだけれど、人間が若く健康のまま長生きできるようになり、次々と生まれてくる発明品や新しいシステムによって誰の生活も楽になった社会では、少子高齢化問題というものはなかった。
またそれは、世界の人口が増えすぎることのないパランスを保つことにもなっていた。


愛する者どうしから祝福されて生まれてきた子供たちは、たくさんの愛を受け、また、愛することの素晴らしさを、その目で見て育ったから、自分も当然のように人を愛し、そして愛される存在であることに、なんの疑念も抱かない純粋な子供になった。

学校に行っても児童が多すぎない分、教師たちは、一人一人にまで愛情を注いであげることができた。
そして「他人と違う個性があっても、それがあって当然で、だからこそ、その子にしか出来ないワクワクを、その子自身で見つけることのできる者になれる」と、そう気づいていたから、先生たちは子供たち一人一人のありのままを受け入れてあげたんだ。
そんなふうにして、まわりからたっぷりの愛を注がれた子供は、なんの劣等感も与えられることなく、のびのびと育っていった。

自分の「人格」が肯定してもらえており、そして根底には「大きな愛」を持っている。そんな子供たちの心は、全て素晴らしい世界への希望に向かって広がっていった。

また、愛の環境で育った子供たちは、そこで小さな喧嘩があったとしても、相手もまた、根底には「大きな愛」があることを知っているから、それがただの「すれ違い」であることを、お互いが知っており、また「人間なんだから腹の立つ時こともあるさ、だから、そんな自分を憎まなくても良いんだよ」という広い心で自分も愛されてきたからこそ、相手の持っている怒りの感情すらも許せる広い心が養われていた。

だから、小さな喧嘩が、根の深い憎しみ合いに発展することはなかった。
憎しみあいに発展することのない人間関係を築く素養が、環境の中で自然とつちかわれていたんだ。

そんな子供たちは当然、どんな人をも「差別」することも「軽蔑」することもない「愛にあふれた若者」へと育ち、知恵と経験では勝る古い世代の者たちも、その若い世代に多くのことを気付かされ、互いに学び合い、社会はどんどん良くなっていった。



ところで、
人間の寿命に関する大きな発見があった、ちょうどその頃、食料生産の仕組みを大きく変えることになる出来事もあった。

地球という、海の幸にも山の幸にも恵まれたこの星には、自然界からの贈り物だけで、全ての人が食べることに困らない食の恵みが最初から備わっているというのに、食べていくというたったそれだけのことにも苦しまなければならない人が大勢いるのは、どこか、その仕組みに矛盾があるはずだと考え、ならばそれらの食の恵みが当然のように全ての人に行き渡る方法も必ずあるはずだと信じ、その方法を考えることに人生をささげていた人の、その方法をまとめた「論文」が発表されたことが発端だった。

まだそれほど知名度のある方の論文ではなかったけれど、ある著名な人に感銘を与えると、そこから多くの人たちの知ることとなり、それはワクワクのエネルギーとなって世界中に広がり、ついには、地球という星における「食料生産の根幹をなす仕組み」として確立されたんだ。


「自然」と「文明」を調和させ、そこに人間こそが持つ「知恵」と「工夫」をちりばめた仕組みは、整うまでには多少の月日は要したものの、この、愛のある仕組みの構想自体が多くの人に夢と希望を与え、それの完成が近づくにつれて人類が一つになっていくという現象が起きた。

歴史に残る、しかも「人類の愛」を象徴するこの「素晴らしい仕組みづくり」に、「自分も携わりたい」、そして「完成が待ちきれない」、みんながそんな気持ちになったんだ。
気づけば、全ての人がボランティアや支援金など、自らがなんらかの形で携わっていた。

そして予定よりも大幅に早く完成すると、
人々は手を取り合って、自分たちが成し遂げた「歴史的な改革」に歓喜した。

みんなが自分たち人間を誇りに思った。
人間とはやっぱり「愛から成っている存在であるのだ」と誰もが実感したんだ。

人類が一つの目的に向かうということで、この地球上から大きな争いの種は消えた。


そして、これによって、どんな人も、食材や、その費用で困ることだけはない世界がやってきたんだ。



実は、そんな素晴らしい「食料生産の仕組み」が発表されて、それがようやく話題になっていきつつある頃、別のところからも素晴らしい発表があったんだ。
それは、ある企業が「錆びることもなく、腐ることもなく、風化することもない建築資材」の発明にに成功したというものだった。
これもまた「愛」の中で「未来」を考えることの出来る企業が実らせた「人類へのギフト」だった。

このおかげで「何億年でも耐用年数の持つ建築物」を作ることができるようになったんだ。
だから「建て替えなくても良いマンション」だって、人類は手に入れることができたんだ。

先に「全ての人に自然の食の恵みが行き渡る仕組み」が発表されていたことで、この「建て替えなくても良いマンション」は、その仕組みを最大限に享受できる場所に立ち、なおかつ、その仕組みに、自らも最大限に貢献できるデザインになっていた。

そしてこの「建て替えなくても良いマンション」は、「建て替えなくても良い」からこそ、最終的には、
「家賃で苦しめられることのない世界」に結びついていったんだ。
これは偶然そうなったのではなく、これこそがこの企業の目指した未来だったんだ。


「食べる物」と、さらに「住む所」、
これらで苦しめられる人はもういなくなった。

このようにして地球は、理想的な環境を持つ惑星になっていった。



そして、そうなって行きつつある時代の変化を人々が感じはじめた頃には、
人類が待ちわびた「フリーエネルギー装置」、つまり「燃料不要のモーター」や「燃料不要の発電機」も、いち早く実用化になっていた。

古い時代では、
「燃料不要の社会になってしまったら、多くの人が職を失ってしまう」
という「不安」の中で物事を考える人もいたため、それがブレーキとなってしまい、実現されることが難しかったんだけれど、そんな方々も「家賃」や「食費」という重荷から解放されつつある時代を感じると、
「不安ではなくて、愛に基づいて生きれば、人はもっと自由になることができ、もっと優しくなることができ、世界をますます平和にすることができる」
と考えることが出来るようになり、この「愛」から生まれた「燃料不要の動力源」を、喜びを持って迎え入れたんだ。

かくして、全家庭は、燃料不要の発電機で生活出来るようになり、あらゆる乗り物や設備も燃料不要になった。


だから、
「食べる物」と「住む所」、
そして「光熱費」まで、
もう、これらで苦しめられる人がいなくなったんだ。

人類はようやく、
古い時代から卒業できたんだ。



この、生活費用の負担の減った世界には、
生活苦で自ら命を絶つ人なんてもういない。
食べるものがなくて餓死する人なんてもういない。
働きすぎたり働かされすぎたりして過労死する人なんてもういない。
睡眠不足で事故を起こしてしまう人なんてもういない。


そして、人間は、
「余裕」を与えられ、
その余裕の部分に、心の栄養がどんどん入ってきて、
どんどん優しい存在になっていった。


世界は、
どんどん平和になっていった。



さらに、時が流れると、水の少ない地域に住む人のために「空気中から水を取り出す仕組み」を考えていた人から、素晴らしい発明品が生まれた。
それは、「水」は言うに及ばず、どんな「食材」でも、また、あらゆる物の「原料」や、「燃料」さえも、空間から取り出すことのできる装置だった。

空気中から水を取り出す研究をしているうちに、宇宙空間に存在するあらゆる物は、それが目に見える物であろうと無かろうと、どれも電子と原子核で構成され、それらの元はまったく同じ小さな小さな素粒子からできているのだから、その素粒子の並べ方と振動数を変える方法が見つかれば、あらゆる空間から、どんな物質でも取り出すことができるはずだと信じ、ついにそれを実らせたのがその装置だったんだ。

食材は、すでに自然の恵みが不自由なく与えられている環境が整っている世界であったし、燃料も要らない世界ではあったけれど、この発明のおかげで、「宇宙旅行」や「宇宙施設」、「海底旅行」や「海底施設」においても、食料や水や酸素などに困ることのない環境が出来たことは大きかった。

また、発明家や芸術家、クリエーターたちは、この装置が生み出してくれる無限の材料を利用し、自分のイメージをストレスなく実現させることができるようになった。
これによって、さらに素晴らしい宝物がたくさん生まれていった。

もちろん、この装置は、不要な物を必要な物に変換したり、それどころか、不要な物を空気に戻すこともできるのだから、地球をゴミであふれさせることも無かった。
むしろ、この装置のおかげで地球はどんどんクリーンな状態に戻っていった。



この、愛で溢れる世界には、人間の愛から生まれたロボットさんたちもいてくれた。
彼らがいてくれることで、僕たち人間は、またさらに自由になることができ、またさらに優しくなることができた。
だから、その「愛から生まれた友達」にみんなが心から感謝していたんだ。

この、愛から生まれたロボットさんたちは、人材不足の辺境地や途上国では、教師としても、たいへん慕われていたんだよ。
しかもその教育は、子供たちだけでなく、子供の頃に教育を受けることの出来なかった大人たちや、教育を受け直したい全ての者たちが受けることが出来たんだ。

これによって、世界中のどこを探しても、読み書きができない人はいなくなっていたんだ。
もちろん、辺境地では文字を持たない言語もあったから、そこで読み書きを教えるのは矛盾するようだけれど、ロボットさんたちは「国際共通語」もさずけてくれていたので、これで読み書きをできるようにしてくれたんだ。



なお、「国際共通語」とは、
「世界が喜びあふれる一つの星」になることを願った愛のある言語学者と、それを支えるチームが造った理想の人工言語であり、極限まで無駄の削ぎ落とされたその言語体系には、文法にも発音にも綴りにも、例外などの存在しない「見事な規則性」が貫かれた言語なんだ。

遊び心あふれる「例文集」は、その一つ一つの例文が一枚のカードになっていて、「不思議の国のアリス」のようなセンスの良い挿し絵がフルカラーで付いていた。
細部まで手を抜かずに細かく表現された、画家の愛がひしひしと感じられるその挿し絵たちは、どれも絵の中に吸い込まれてしまいそうなほどに魅力的で、さらにその一枚一枚のカードの縁には、可愛い縁飾りが丁寧に書き込まれていた。

使用されている例文もまた、短い文章の中に基本のセンテンスが、ぬかりなく盛り込まれ、全ての例文を読むことで、必要なセンテンスの全てがカバーされるという、考えに考え抜かれたものであった。
しかもそれらは一流作家が、魅力的なシーンに仕立てたものだったので、学ぶ者は「学ぶことを楽しむ」ことができた。

これらのカードたちは、可愛いケースに収められたカード集になっていて、このカード集だけを覚えてしまえば、ほとんどのことが表現出来るようになっていたんだ。

ちなみに、このカード集は公式のものだから、全世界で同様の仕様だったんだけれど、それが意外な効果をもたらしていた。
というのも、実は全世界の人が
「まったく同じ絵と同じ文で学び、その学んだ思い出を共有している」ということが、人類の長い歴史の中でこれが初めてのことだったんだ。

これが「国の垣根」という概念を、根本から変える役を果たしてくれていた。

おかげで、遠い地域の人にも「親近感」が生まれたのは間違いの無いことで、世界中の人々が友達になるさいに、しばしばこのカード集が「共通の話題」になり、それが彼らの距離をぐっと縮めることに一役買っていたんだ。
挿し絵のキャラクターたちも、全世界の人から愛される人気者になっており、それもまた世界中の友達の距離を縮めてくれていた。

そして開発当初から、一流の俳優たちの意見を「美しさ」という見地からも取り入れていたこの言語は、ひとつひとつの言葉の響きが美しく、言葉を発する時の表情筋は、その人の顔を明るく、そして優しく見せてくれ、女性はより綺麗に、男性はより凛々しく見えるという、側面も持っていたんだ。
だから、誰もがその言語を自由に操る自分をイメージすると心がワクワクし、それが「学びを継続するモチベーション」にもなり、最後は流暢な言葉を喋るようになっていた。

規則性が一貫しているこの言語は、実はロボットさんの言語回路が一番認識しやすい言語でもあったから、何語でも話すことのできるロボットさんたちではあったけれど、彼らの基本言語として採用されており、ある意味でロボットさんたちは国際共通語のネイティブ・スピーカーでもあったんだ。
そんなロボットさんというネイティブ・スピーカーは、いつも身近にいて、いつでもその国際共通語で喋ってくれ、そしていつでも教えてくれた。
それが気軽に学べる敷居の低さにも繋がり、学びたくなる要素の揃ったこの言語は、世界中に根付くのは当然と言えた。

そしてそれは、すべての人が世界中の人々と交流することができる、そんな素晴らしい世界を連れてきてくれた。
それは、母語話者の少ない地域に生まれた為に、翻訳された本が数えるほどしか無かったり、あるいはまったく無かったりして、世界中の素晴らしい本に出会うことの出来なかった人たちが、自分の語学力でそれらにふれることの出来る「開かれた世界」に、足を踏み入れることでもあったんだ。

だからこの世界では、極端にかたよった知識の人間が存在せず、それゆえに引き起こされていた民族間の争いなども、もちろん、すでに無くなっていたんだ。


人間は、いずれはテレパシーで会話できる時代になることを予感しつつも、「言葉を楽しむ」という、この次元ならではのゲームを存分に楽しんだ。



この世界にはもう、泥棒も詐欺師もいなかった。
そもそも、彼らだって「愛」を持っているけれど、自分の「無限の可能性」を信じていなかったから、生活に困ると、泥棒や詐欺師という手段で自分を養うことしか思いつくことが出来なかっただけなんだ。
もちろん、愛することの素晴らしさを教えてくれる人が身近にいなかったから、容易に「騙し合い」や「奪い合い」の世界に住むことができてしまったということも理由の一つにあった。

でも、もう生活に困らないシステムを人類は手に入れ、誰もが人間とは「愛」であることに気づいている今、彼らだって、そんなことをしようと思うことのほうが困難だったんだ。

そしてようやく、彼らも「自分の可能性」を考えるようになった。
ワクワクして輝いている人を見ているうちに、自分ももっと何かができる気がしてきたんだ。
自分が子供の頃にやりたかったことを思い出し、そのために自分が勉強したいことをまず勉強し始め、学ぶことの楽しさに気づいた。
彼らはワクワクして、学びたいことを学びたいだけ学んでいった。
希望に溢れ、楽しくて楽しくて仕方のない人生がはじまった。
学ぶことに満足すると、今度は実践したくなり、宝物をつくり始めた。
そして、やがて宝物を生んだ。

その素晴らしい宝物が、見ず知らずの誰かを幸せにしたことに気づくと、
自分を愛することができなかった彼らに、「自分への愛」が溢れてきた。

「他人をだましたり、他人から物を奪ったりする仕事」を選んでいた彼らにとって、「自分を幸せにすること」とは、逆に「自分以外の人を不幸にしてしまうこと」であったから、そんな彼らにしてみれば「世の中の為には自分を愛すべきではない」という考え方こそが、彼らにとっての「全ての人を平和に導く答え」だったけれど、今はその考え方が無くなっていたんだ。

「自分のことを心から愛せる者は、他人をも心から愛することが出来る」ということを感じはじめていたんだ。
そして、
「他人の幸せを願うことのできる者になれたからこそ、自分を好きになることができたんだ」ということに気づくことができたんだ。
「だから自分を愛してあげても良いんだ」と、ようやく思うことができたんだ。

そして「本当の自分の正体」とは、「他人までも含んだもっと大きな存在である」ことにも気づきはじめていたんだ。

「作り笑顔すら苦手だった彼ら」は、
「心から湧き上がる笑顔をたずさえた者」となり、
「自分を愛することの出来る者」となり、
だからこそ「自分を愛するのと同じように他人を愛することの出来る者」となり、
「全ての人の幸せを願う者」となり、
その愛がさらに素晴らしい宝物を生んでいった。



彼らだけではなく、ここは、生活のために働かなければならない人は存在しない世界だった。
だからこそ「本当にやりたいことにチャレンジ出来る世界」であり、「そんなことは不可能だ」と思われるようなことを実現に向けて研究しても、恥ずかしい思いも、肩身の狭い思いも、しなくて済んだ。
むしろ誇りを持って研究に打ち込むことが出来たんだ。
だからこそ素晴らしい物がどんどん生まれてきた。



一人では叶えることが出来ないような壮大なスケールの夢なら、同じ夢を持った人たちが集まれば、それが「カンパニー」というワクワク共同体になって、一人で出来る限界を遥かに超えた大きなワクワク・プロジェクトを成し遂げられることが出来た。
ここからも、もちろん、人類全体にとっての素晴らしい宝物が生まれて行った。

また、カンパニーの語源が【con】共に【pan】鍋をする【-y】仲間、であるように、同じ目的に引き寄せられた者どうしが食事を共にするほど近い仲になるため、生涯のベストフレンドと出会えることも多かった。
だから、人との繋がりを楽しめるコミュニケーションの場所としても、カンパニーには存在価値があったんだ。
プロジェクトを成し遂げた後の盛大なパーティには、共同で何かを作り上げることの喜びが凝縮されており、これもまた大きなワクワクのひとつだった。

「素晴らしいプロジェクトを成し遂げる」のがここでの共通目的であるから、ワクワクできないプロフェクトは当然、淘汰されていった。
だから必然的に、
「人の悲しみを引き起こすような物」を作ったり売ったりするカンパニーは、この世界には、あるはずも無かった。
それらが素晴らしいと思える価値観の人が、この世界にはいなかったんだ。

この世界では「人々の笑顔に結びつくもの」だけが、生みだされていったんだ。



でも逆に「海賊」は復活した。
子供の頃にアニメや映画で影響を受け「海賊になりたい」と思う人たちだって、その夢を叶えることが出来たんだ。
もっともその海賊はもちろん、格好だけのもので、どこの国の誰からも何も奪わない海賊だった。
むしろ与えるんだ。夢と希望とワクワクを。
なぜなら、その海賊たちは街を襲う(フリをする)時もあるけれど、それは、事前に契約を結んだ寸劇のサービスであったからね。彼らはアトラクションを実演するエンターティナーたちなんだ。
最後は手をふって観客に笑顔で挨拶すると、大歓声で見送られ、また大海原にでた。

大海原の上では冒険家になり、夕暮れ時には海に沈む夕日を見て詩人になり、夜になると夜空を見上げて哲学者になり、そして新しい港に着くと、またアトラクションをするエンターティナーになり、その港町でお土産話しを面白おかしく語って人を楽しませる。そんな日々を送るのが彼らの選んだ素晴らしき人生だった。


海の上には、そんな海賊の他にも、世界の全てをこの目で見て見たいと願うだけの、ロマンティックな冒険家たちもいた。
彼らの人生は、いろんな景色を見て、自分の目に焼き付け、「素晴らしい人生」という「宝物」を「自分」に残すだけなんだ。

そんな人生を生きることもゆるされる時代だった。
というよりも愛されない人はいない世界だった。

「宝物」は必ずしも「直接的に誰かのために役に立たなければならないわけじゃない」と、その世界の人は思っていたんだ。
「だって本当は全ての人は繋がっているのだから」
「素晴らしい人生を生きるということ、たったそれだけで、けっきょくはみんなのためになっているのだから」
と、その世界の人なら誰しもがそう笑顔で答えた。



宇宙船にのって、宇宙の果てまで冒険の旅に出る者もいた。それがその人の求める素晴らしい人生だったからだ。
タイムマシンにのって時間旅行に行く者もいた。それがその人の求める素晴らしい人生だったからだ。
別の星の異星人と友達になり、その星で暮らす者もいた。それがその人の求める素晴らしい人生だったからだ。

スポーツの世界で人々に感動を与える者ももちろんいた。それがその人の求める素晴らしい人生だったからだ。

料理の世界で人々に感動を与える者も、ファッションの世界で人々に感動を与える者も、建築の世界で人々に感動を与える者も、映画の世界で人々に感動を与える者も、音楽や舞踊や文学や、その他のどんなジャンルの世界にも感動を与える者がもちろんいた。それらがその人たちの求める素晴らしい人生だったからだ。

人里離れた山にこもって、一生を終える者もいた。それがその人の求めた素晴らしい人生だったからだ。


そしてこれらの様々な経験を、いつも愛する人と共に分け合うカップルもいた。それがその二人の求めた素晴らしい人生だったからだ。



誰一人の例外なく、みんなが幸せになったんだ。



そしてアーティストは
「糧を得られるかどうか」なんていうことを気にせずに、
「自分が心から素晴らしいと感じる作品をつくることだけ」に生涯をかけることができた。
そのために、いろんな国に行って学びたいのなら、その時間も充分にあった。
国際共通語があるから、どの国に行っても不安はないし、素晴らしい自動翻訳機だってあるし、その気になればもちろん、行く先々で、その国の言語をマスターしてしまうほど腰を下ろして来たって良いんだ。
そんな時間だって充分にある。


世界旅行にでて、その旅の中で自分のやりたいことを探したって遅くない。そのための時間も生活の糧も与えられているのが、僕ら人間なのだから。


そしてもちろん、夢はひとつに限定しなければならない理由なんてなかった。
たくさんの夢があるのなら、その夢を全部叶えれば良いんだ。
スポーツ選手と音楽家と画家と小説家と発明家と宇宙冒険家の全ての夢を叶えたって良いんだ。

自分が自分の限界を設定しない限り、自分の人生に限界なんて無いのだから。



みんなが
ずっと若く健康で、宝物に囲まれ、優しい人にかこまれ、住む所や食べる物に困ることのない世界。



時間に焦らされることのない世界。
結果を出せなくても誇りを奪われない世界。
差別や軽蔑のない世界。
希望に溢れている世界。
みんながワクワクして輝いている世界。

自由な世界。

世界中に友達がいる世界。
みんなが「自分は愛である」と気づいている世界。
そしてみんなが「自分以外の人も、本当はもう一人の自分なんだ」と気づいている世界。
だからみんなが「全ての人は愛である」ことを知っている世界。



そこに、想像もつかないほどの、もっともっと素晴らしい「宝物」が生まれてくる。



みんなが笑顔だ。
みんなが幸せだ。



「終わり」



やった~!
こんなホリーの夢見るビジョンが「ほんの少し先の未来」で、もう実現してるよ~!!


やった~!


みんなが笑顔だ~!
みんなが幸せだ~!


ホリーのワクワクがみんなの幸せに繋がったよ~!


わ~いわ~い!


あははっ
「まだ実現してない未来」を、勝手に空想して喜ぶおばかさんって素敵でしょ!
いや~、おばかさんって最高だね~。


ふふっ。
いいのいいの♪
これでいいのだ。


「今」喜ぶことも「後」で喜ぶことも、たいして、変わらないんだからさ。
それに、先に喜んじゃえば、「喜びあふれる未来」さんだって、こんなに喜んでもらえるんだったらもう、そんな気の合う素敵な人の元には行かざるを得えなくなっちゃうかもだもんね〜。ふふふ。
だから「今」一緒に喜んでくれたあなたの未来も、「今」この瞬間に「喜びあふれる未来」になったよ~。


やった~!


仮にもし「喜びあふれる未来」がやって来なかった方がいたとしても
「なんだホリー、でたらめだったじゃないか」なんて言わないでねっ。
ホリーが主人公の未来では、きっと、こんな「喜びあふれる未来」になっているんだからさ。
もっとも、今ブログに描いたままの未来とは限らないけどさ。
ホリーだって、今後の成長にしたがって、さらにさらに洗練されたより素晴らしい未来にシフトして行く、そんな可能性だらけなんだもの。

この宇宙は「多次元」だと聞くよ。
だとすれば、未来だって、なにも、たったひとつしかないわけじゃない。
ホリーが今描いた未来は、たくさんある未来のうちから、今のホリーが選んだひとつにしか過ぎないんだ。

そしてあなたには、あなたが選んだ未来が待っている。
あなたの人生は「あなたが主人公」なんだからね。
今だってあなたの選んだ世界にあなたは生きている。

だから「あなたが主人公の世界の未来」と、「ホリーが主人公の世界の未来」では、ちょっとくらい違ったって不思議じゃないんだ。
それどころか、いっぱい違ったって不思議じゃない。

そこに気付けないのは、あなたの世界にいるホリーも、あなたと同じ世界を体験しているようにしか見えないからだね。
でも、そのホリーは「あなたの世界のバージョンのホリー」でしかないのかもしれないよ。
「ホリーの世界のバージョンのホリー」は、別の世界を体験している可能性があるんだ。
性格はまったく同じホリーが、もっと、そのホリーの波動と一致する「別の世界」にも、いるかもしれないっていうことさ。

そして、その世界こそ、ホリー自身が体験している世界で、その世界での体験のみが、ホリーにとっての記憶となっていく、と、そういうことなんだ。

それを認識できないホリーもまた、それを確認するすべがないから、あくまでも仮説の中で話をしているに過ぎないんだけれどね。
でも、ホリーという「小さな宇宙の一部分」でさえが、そういう想像ができるということは、この「宇宙という自分を創った宇宙の意識」は、当然、そんなことまで含めて宇宙を創造しとしても、まったく不思議じゃ無いよ。

まぁ、いずれにしても、僕らは本当は繋がっているから、あなたの経験は、いつかきっと、ホリーにも分けてもらえるね。
そしてホリーの経験をいつかあなたに分けてあげることが出来るよ。
ならばあなたが、ホリーと違う未来を経験をすることは、むしろ感謝すべきことなんだ。
だから、そんなあなたにも、いっぱいありがとうね。

けれど、あなたもまた「自分も出来うる限りのハッピーな未来に行きたいなぁ」って思っている方であるのなら、ホリーもやっぱり、あなたにハッピーな未来に行ってもらいたくてたまらなくなっちゃうよ。

だから、そんな気の合うあなた、
たとえ誰かにおばかさんだと思われようとも、
あなたも、もっと、も〜っと声に出して、そして両腕を開いて、天を仰いで、これからやってくる素晴らしい未来を、あらかじめ喜んで迎え入れてみちゃおうよ〜!


わ~い、素晴らしい未来がやって来たぞ~!

嬉しいよ~!

やった~~~!

わ~いわ~い!


なんていうふうにね。


どう? 癖になるほど楽しかったでしょ。ふふっ。
それで良いのだ。
それが、良いのだ。


それがきっと、あなたに未来を用意する「神なる意識」に、あなたが「喜びあふれる人生を経験する神の一部」であることを知らしめることになるんだ。


そしてきっと、朝、目覚めると、
この世界が、昨日までいた世界ではなくて、少しだけ別の素晴らしい世界になっているんだ。

いつもいつも、喜んじゃうあなたなら、
朝、目覚めるたびに、素晴らしい別の世界にシフトしていっちゃってる。

そして強烈に喜びのパワーを送るなら、その瞬間にだって、あなたは別の世界に移動しているだろう。


な〜んて、ホリーは思っちゃうよ〜。


ハッピーな人生を望むあなたに、ハッピーな未来がやって来ますように。

そして、ホリーの人生もまた、ハッピーでありますように。

そしてそうなったことをあらかじめありがと~!



やった〜!

わ~いわ~い!



幸せな未来にありがと〜〜!



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