どうだ?お伊勢参りは楽しかったかな?
は~い。やはり実物を見るのは大いに勉強になります。
たしかにね。このブログの「フィールドワーク」シリーズがたとえば、保護者がその子を連れて旅行する時の参考になればよいと思って要る。それでは今回の行程を説明してくれたまえ。
はい、伊勢神宮に行く前に、まず「二見興玉(ふたみおきたま)神社」で身を清めます。
この神社には、なぜ、あちらこちらにカエルがいるのかね?
祭神である猿田彦大神(サルタヒコノオオカミ)がカエルを使ってご自分の意思を伝えるからです。
ちなみに、写真にいわゆる夫婦岩が写っています。かなり有名ですが、実はもっと大切な石が、夫婦岩の奥の海中に沈んでいます。それは「厳島(興玉神石)」と言われる石です。
なぜ、その石が大切なの?
はい。垂仁(すいにん)天皇の娘である倭姫命(やまとひめのみこと)が天照大神(あまてらすおおみかみ)を奉戴(ほうたい 仕えること)され、この二見浦に御舟を停められたとき、猿田彦大神が海上の厳島に立ち、御神幸(ごしんこう 神体が移動すること)を守護し奉り五十鈴の川上に大宮地(伊勢神宮)を定められました。
夫婦岩はその厳島の鳥居の役割を果たすものなんです。厳島は江戸時代の地震で沈んでしまったということです。
ちなみに夏至の時は夫婦岩の間から太陽が昇ります。冬至には伊勢神宮内宮の宇治橋前の大鳥居から朝日が昇ります。二見興玉神社と伊勢神宮の間には何か関係があるのではないかという気にさせます。
さて、次は二見興玉神社と祭神が同じである猿田彦神社、ならびにその奥さんの佐瑠女(さるめ)神社に行ったね。
↑が猿田彦神社です。ここの神社の鳥居は方位を表す八角柱の木が使われています。よ~く見ると八角形であることが分かると思います。↓を見てください。
さらに境内にはこんなものが置いてあります。↓です。これも方位を表しています。
なぜ、猿田彦神社にはこのように「方位」に関するものがあるのかね?
はい。実は邇邇芸命(ニニギノミコト)が祖母の天照大神の命により地上の世界に降り立った際、道案内をしたのが猿田彦大神とされているのです。
以来、猿田彦大神は「旅の神」「道の神」ともされるので、「方位」に関するものがこの神社には多いのです。全国各地の道祖神、庚申塚も猿田彦大神を待っていることが多いです。
佐瑠女神社のご祭神は?↓が佐瑠女神社です。
天宇受売命(アメノウズメノミコト)です。古事記や日本書紀では大活躍の神様です。第一の活躍は、次のようなものです。天照大神が須佐之男命(スサノオノミコト)の悪逆非道な行いに悲しまれ、天岩戸(あまのいわと)に閉じこもりました。この世に光が失われました。しかし、天宇受売命が歌・音楽・踊りによって場を大いに盛り上げ、不思議に思い、顔を出した天照大神を天岩戸から出すことに成功したのです。
天宇受売命のおかげで、この世に光が戻ったんだね。
そうです。第二の活躍は、次のようなものです。邇邇芸命(ニニギノミコト)が祖母である天照大神の命により、地上に降り立とうとしているとき、巨大な神が立ちはだかっていました。しかし、天宇受売命がその巨大神の正体は猿田彦大神であると聞き出し、猿田彦大神の道案内を成功させたというのです。
その後、猿田彦大神と天宇受売命ととは、夫婦になり、天宇受売命は佐瑠女と名を改めたのです。佐瑠女は、芸の力によりこの世から光を取りもどしたので、「芸能の神」と厚く信仰されています。
ところで、今回感じたのは、「古事記」や「日本書紀」についての知識がないと、神社に行ってもさっぱりおもしろくないということだなぁ。
古事記、日本書紀は天皇制を正当化するものじゃないですか?真実とは言えないのでは?
たしかにそういう面も否定できないけど、全てが虚偽ともいえない。各地に伝説に基づくものも数多く残っているし。
やはり、古事記・日本書紀は日本人のアイデンティティーにかかわるものであることは否定できないね。
拙著です↓。 ↑のように講師と生徒二人の会話形式で社会科を語る本です。 ゼミナールに参加する気分で、単なる暗記じゃない、基本から説き起こす社会の参考書をぜひ知ってほしいです。 以下から立ち読みも可能です。
拙著に込めた思いについては
「やさしい中学地理」について | やさしい社会ブログ (ameblo.jp)
「やさしい中学歴史」について | やさしい社会ブログ (ameblo.jp)
「やさしい中学公民」について | やさしい社会ブログ (ameblo.jp)
を参照してください。
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