母が倒れてから一年
4月25日、母が脳梗塞で倒れてからちょうど1年が経ちました。
この1年、長かったと言えば長かったし、短かったと言えば短かったし。
いじめとか倒産とか腎臓病とか、自分事の苦しい思い以上に辛い気持ちになりました。
今でもあらゆるシーンで母のこの上ない明るい声で話かけてくれる残像を見ます。
けど、その残像を苦しい気持ちではなく、前向きな気持ちで受け入れることができるようになってきました。
家族含めて少しずつですが前向きになれるようになってきて、これまで定期的に外食に出かけたりもしていたけどこの1年はそんな気持ちにもなれなかったけど、きっと母に聞いてみたら明るい声で「行ってきなよ!」って言ってくれると思うから、今週末は家族で家で集まって食事をする予定です。
実家のトイレにはおそらく新築した30年前くらいから日めくりカレンダーが画鋲で止まっています。
いつも欠かさず母が朝めくってくれていました。
あの日も朝、このカレンダーをめくってくれたのだろうって。
その日めくりカレンダーは、この1年、ずっとこのままでいます。
このトイレに行くと、あの日のことを思い出しますが、おそらく実家にいる家族も同じ気持ちで、あえてめくらないのかなって。
そのカレンダーの坂村真民氏による詩には、「念ずれば花ひらく」と書かれています。
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念という字は「今」と「心」に分けることが出来る。
今なにを思い、今なにを念じているかが、明日のあたなの花なのである。
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これからも念じ続けます。
こんな状況にはなってしまったけど、今も老人ホームに入居して生きていてくれていることが、何よりも自分たちにとって支えなのだから。
腎臓移植から1年
久々のブログ更新。
2022年11月8日に腎臓移植をおこない、今日でちょうど1年が経ちました。
移植後から数値の低下もなく今を迎えることができ、いろいろと支えてくれた家族、そして激励してくれた友人たちに感謝です。
そして何よりも腎臓を譲ってくれた母に感謝の気持ちを伝えたいです。
お母さん、ありがとう。
手術の後、自分じゃ何も出来なくて、傷口が痛すぎて寝るのも苦しく、寝がえりも出来ず床ずれができ、それから少しずつ出来ることが増えてきたことに感動の日々でした。
移植の手術を経験し、心の底から「当たり前なことが当たり前じゃないこと」を感じました。
平井 大 / 題名のない今日
https://www.youtube.com/watch?v=mfwdvhYIGtw
この曲は移植の後に聴いて、涙が止まらなかった曲です。
「
なにげない日常に花束を
なにげない景色に額縁を
題目のないこんなありふれた今日が
僕たちが描いてきた
生涯一の名作さ
」
もしかしたら明日死んでしまうかもしれない。
もしかしたら明日、大切な人がいなくなってしまうかもしれない。
そう考えると、今当たり前だと思っていることは、すべて奇跡です。
心からそう思ったあの頃の気持ちを、これからも忘れずに生きていきます。
あらためまして、自分と出会ってくれた皆様、ありがとうございます。
母と面会
今日は久しぶりに母が入院しているリハビリ病院へ面会に行ってきました。
普段は入院中も家族が面会しに行ったときも、人と目が合うと瞼を閉じてしまいます。
右脳の大部分が脳梗塞で壊死してしまったため、高次能機能障害で認識する能力も言語を発する能力も回復の見込みがないと判断されています。
だから、目の前にいる人が家族であることも、名前もこれまでの過ごした記憶も思い出せない状態になっています。
しかし、嬉しいことに6月13日ぶりに目をパッチリ開けている姿を見ました。
前回同様に話しかけたりすると瞼を閉じてしまいましたが、姉が作ってくれた写真アルバムを見せたらパッチリあけて、無反応ではあったけど一枚一枚しっかり見てくれて時々目で追うときもあって、最後の写真までずっと目を開けて見てくれました。
実は、ここ2ヵ月の中でいろいろなことがありました。
6月と7月中旬までは定期的に面会できていたのてすが、7月19日に病院から連絡あり、同じ部屋の患者さんがコロナに感染して検査をしたところ陽性が出てしまい、翌日に高熱は出たものの無事に収まりました。
ですが予約なしでの面会ができるようになったことも影響してか、そのあともコロナになってしまった患者さんが増え、面会ができなくなってしまいました。
昨日、また面会が再開したと連絡を受け、今日は久々に面会できました。
他にも、入院期間中に介護認定申請をおこない、病院のリハビリ評価点数はオール1の全介助だったので間違いなく要介護5だと思っていたのですが、届いた認定証が要介護4であったことは不思議でたまりません。
そろそろリハビリ病院にいられる期間も迫ってきたのでこれからの方向性として胃ろうにするか中心静脈カテーテルにするかを相談員や家族とも慎重に話し合いましたが、胃ろうにする方向で考えていくことになりました。
医者としては今後回復することは極めて難しいと言われていますが、希望を持っていきたいと思います!