3月1日(マイ名曲)。 | 櫻井の日々。
2025年03月01日(土)

3月1日(マイ名曲)。

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酩酊して帰ってきた3月1日の夜なので(今までの記事を埋めていないけれど先行して)記事を書く。できれば、空隙は全部埋めるので。つまり、重要な228も終わり、あの街に住んでいた頃は大切に思っていたし、電車にも乗っていた301であったことは、、、悲しいことに、ある高校で起きた事件の記事を読んだからだった。春は着実に忍び寄ってきていて、それにも気が付かずにウルトラダウンを着たりする日々を過ごしていたらもう、10年以上の月日が、場合によっては20年以上の月日が過ぎて行ったのに、それを気にかける人も、それを語るべき人も、何もかもなくなっていくような、そんな気がするのに、思うことは、夏の海のことだったりすることに情けなさなのか、安堵なのか、諦念なのか、いろんな感情が入り混じっていた感情が込み上げてきて、それもまた生きた証左なのかもしれないという、慰めにもならない慰めを覚えたりもする。大切なことは胸を確実に抉り続けるから知らないふりをしたりもするけれど、そうすると無神経なまでに過ぎていく時間を無神経なまで気が付かない自分に気付いて、それもまた心が削られていくから、結局、何もわからない。もう何も答えのようなものは自分にはわからない。2月28日は大切な日で、それは実は単一な出来事だけの重みだけではなくて、いろんなことが重層的な厚みを持っているからこそ。池袋で鹿児島の物産展をやっているけれど、自分の大好きな鹿児島はそこにはなくて、結局現地じゃなくちゃ意味がなくて、そうするとまた若者をいろんな意味で拐かしているのかもしれないという自己嫌悪にも襲われる。共有できない想いの消化の仕方も昇華の仕方もわからないから、より高度な次元にそれを求めるしかない。大事な時間を大事にしすぎると現世に戻れなくなる自分の悩みなのか、苦悩なのか、呪縛なのか、宿命なのか、それをどうしたらいいかのすべも持たないままだから、ハッピーになんていうことになるのかもしれない。ただ、このことには、誰にもまだ語っていないイイ話があるよ。結局それくらいしか自分にできることはないのかもしれない。こんな文章ばかり読んでいたら、そっちの方向に近づいていてしまうから。結局15の春から「来年はもうねぇぞ」ってそんな真理に触れたのが早過ぎたのだった。老成、それもなんの意味もない、脳内の埋め込まれたプログラミングだったのかもしれない。だからもしからしたら有限の可能性の中で共感を求めるよりも、もはや、その枠を飛び越えた世界に救いを見出すしかないのかもしれない。それはちょうど白髪を染めた方がいいのかどうかの問題にも似ているようにも感じる。いや、それもまたパラレルであるから、そういう感覚や思考の道筋があったとして、それとは全く違う解釈も同時に存在している。ちょうど、シュレディンガー。だからそれこそニュータイプなのだろう、いろんな意味で、19歳の時に覚醒したようなこと。死んでしまったチバユウスケのこと、築地本願寺のこと、オープンカーのこと。これは言ってみただけのことなんだけど、C7のコードのこととか、周辺的なこと、周縁的なこと、福井のこと、また3月が来て、また4月が来るよ、カートコバーン的な春。1時間は歌いたいよ。自分の死のことは書かなかった。それも19歳からのマナーのように感じていたからね。でもそれもまた「ないものはない」ということの中に包含されているのかもしれない。つまりね、タブーもない、やり直しの効かないこともないということなんだろうと思った。3月は何もかもまともに考えられない日々になった。でも10年前は、1月と2月こそ何もかもまともに考えられなかったからね。こういうことはたまには書いておかないとな、と思った。なので残しておきます。ありがとう、ハッピーになりなよ。

 

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