他者を変えようとしても変わらないw | ロンドン発 しあわせの見つけ方

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自分を好きになると、周りの人たちをもっと好きになれます。物事のとらえ方が変わると、人生が変わります。幸せ体質になれば、今よりもっと幸せに生きられます。コーチングで、周りに振り回されず自由に生きたいあなたの人生を応援します。

今日の記事は

ある意味禁断の領域と言うかw

人として生きる限り

多かれ少なかれ

ある程度の人間関係と言うのは

誰でも生じてくるだろうし

 

そこに悩む人

迷子になってしまうひとも

少なからずいるかも

複雑で面白い遊びだもんで ^^;

 

なので、

ちょっと

敢えて足を踏み込んでみようかなと・・・w

 

 

結論から先に言っちゃうと

すべては内側の投影

他者は自分の鏡のような存在なので

鏡に映る自分のナニカが気になったとして

鏡の中に手を突っ込んでも

そのナニカは変わらないように

 

他者がいい意味で変わったように

見えることがあるとしたら

それは自分の内側が変わったとき

そんな言い方もできるかも

 

 

でもそんなこと言っても

ふつうの人はわからないと思うし

実際私もかなり自分の内側を探求して来て

やっとわかって来た

気づける 観えるようになって来た

 

それは時に受け入れ難くて

目を背けたくなることも

あるんだけどw

 

他者の汚れ(として見える部分)を

自分の汚れとして受け入れる覚悟と言うか

汚れなんてほんとはないんだけど

認める勇気と言うか

そんな言い方もできるかもw

 

これはもう

誰がタダシクテ 

誰がマチガッテタとか

そんな領域の話じゃなくて

 

ただ単に自分に気づいて受け入れることで

自分の意識が広がり

自分の自由度が増す

簡単に言っちゃえばそれだけ

 

それを言い換えると

誰のせいでも

何のせいでも

もちろん自分のせいでもなかった

 

気づくか気づかないかだけ

とも言える

 

 

ここでも

道筋は一つではないと思うけど

やっぱり

自分の抵抗に気づいていく

自分を丸ごと受け入れていく

そんな言い方もできるのかも

 

結局

他者の話をしているようで

自分なんだよ

自分の内側を見ていくんだよ

そしてそれは自分を責めることとは

違うんだよ

そんな感じかも

 

そしてそんな事をやってるうちに

あれ?

他者も自分もいなかった?

そんな感覚も出てきたり

 

いろいろと面白くなってくるかもw

 

 

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