今思えば
子供のころから
いろいろ変わっていたのかもしれない
でも特殊能力があったわけでもなく
ごくごくアタリマエのことを
アタリマエと教えられ
不器用ながら
それに忠実に生きて来た
そんな気もするんだけど
子供のころから持っていたギモン
ナゾ
アタリマエと言われていることに
不思議さや違和感を感じたこともあって
オトナたちが教えてくれなかったコト
コドモは黙ってなさいと言われて怒られたコトw
人生のナゾ
そんな風に感じていた
いつしかそんなギモンを持っていたことすら
忘れかけようとしていたころ
一気に謎が解け始めたw
ほんとにそれは
プレゼントの紐がスルスルっと
華麗に解けていくかのように
なるほど~!
だからか!
そっちーーーー!?笑
ここ数年で大きく変わったと感じる
自分自身の意識 在り方
そして自分の人生はぜんぶその序章だった
ぜんぶ人生ゲームを遊ぶため
カギを開くために完璧に必要なアイテムだった
そんな風にも感じていて
それは
青い鳥を追いかけた子供たちが
家へ帰る道を忘れないように
目印として
道に石を落として行ったように
本人だけにわかるサインなのかも
でね。
これは表面的なことではなくて
本当に内側のコト
シフトするとか
次元上昇とか
自分軸で生きるとか
魂の道を生きるとか
自己統合するとか
アセンション
風の時代
言い回しはたくさんあると思うし
知っているかどうか
興味があるかどうかも
じつは関係なくて
新しい概念にガッチガチになって
そこにまた捕らわれてしまうなら
いっそ知らないほうがいいかも
そんな風にも思ったり
自分の好奇心に従い
興味のあることを追いつつ
でも時として
そこにも違和感を感じることもあって
人生前半では
怪しいというイメージで
どちらかと言うと毛嫌いしてきた
スピリチュアルと言うコトバW
その領域を知る必要があるような気もしつつ
完全に足を踏み入れたいと思わなかった
そんな理由すら
やっとわかって来た
ほんと
何がタダシイもマチガッテルもない
ただ
おおくのひとは
外側に目を向けすぎ
それは自我の視点であり
恐れの視点とも言えるかも
みるべきは自分の内側
自分の内側に深く深く入っていく
自分の制限の枠が外れ
意識が広がれば広がるほどに
そこは安心 リラックスの場所だったと
徐々にわかってくる
そしてその過程では
自我さんにとっては
自分を壊されるようなタイケンもあるかもだけど
それは自分がいつか創ってしまった
自分が自分を押し込めて来た
フェイクの檻が壊されているだけ
ゆるめる
手放す
自分とつながる
焦らずいっぽいっぽ
ほんと
幸せになっていいと
自分に許可を出す
ひとによって
場合によって
自我にとっては
それすらコワいこと
なのかも知れませんw