まかまか

食欲増進剤かもしれません。┌(_Д_┌)┐))))カサカサ
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もうひとつの成人式

2014-02-01 | ◇介護◇
ご無沙汰しとります。音沙汰がないのは元気な証拠だと思ってくだしぃ。
今日は感慨深い日なもので、思い出がてら喋らしてくだしぃ。

20年前の今日、実母は妹を高校受験の会場に送った後、倒れました。

救急車で運ばれた先は、田舎の町医者で「ただの高血圧。安静にしてれば大丈夫。帰っていいよ。」と一歩あるく度に嘔吐していた母を1泊入院すらさせてもらえませんでした。

かかりつけの病院から往診してもらいましたが、こちらも高血圧と診断され、痛み止めと睡眠薬しか処方されていないという事が後でわかりました。
母は意識がしっかりしていて言語障害もなく、起きている時はとにかく頭が痛いと転げまわるか、電源がOFFになったように寝てました。

そんな状態で4日目にかかりつけの病院から電話で母の様子を聞かれて、「痛い痛いと転げまわっています。」と伝えたら、脳神経外科を紹介されました。

父の運転する車に母と乗って受診したところ、左脳側くも膜下出血&右脳側にも今にも破裂しそうな動脈瘤が見つかり、緊急手術をするために救急車で大きな病院へ移動となりました。

手術室に入る前、丸坊主になった母がベットの上で笑いながら言った言葉は、
「(私)と(妹)の卒業式には、カツラば被って行かなんね(笑)」

・・・母は強いなと思いました。あたしゃ涙が止まらなかったよ。

笑顔で手術室へ向かった母は、術後にたくさんの管をつけて死んだように眠りました。
やっと目を覚ましたのは、2~3週間後。
私たち子供を見た母の最初の言葉は「・・・誰?知らん・・わからん・・・」
右半身不随、左目失明、言語障害、そして何もかもを忘れてました。
1ヶ月後20kg程痩せた母は、私達の卒業式にとても参加できる状態ではありませんでした。

当時の私は、洗濯機の回し方すら知らない生活力に乏しい人間でした。
両親にぬくぬくと育ててもらって、いきなり看病と主婦業と母の仕事を引き継ぎ無しで社会に飛び出し、たくさんの失敗をして現在の私が出来上がっております。

そして母の現在は、記憶はある程度戻りましたが言葉でうまく伝えられなかったり、老いや認知症っぽいものに歯がゆい思いをしながら生きてます。

やっぱ母は強いです。まだまだ学ぶ事がたくさんあります。
これからもいろんな事があるでしょうが、生き抜いて欲しいです。

母がもうひとつの誕生日と成人式を迎えられたことに感謝します。


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1 コメント

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いやいやいやおひさしです (みみどん)
2014-02-07 22:04:50
ほんと、数か月ぶりに来て見たら、大変だったんですね~
って20年前か、、、
でも生きる力の強い方、って本当にいるもんです。
そのDNAを受け継いでるむっさんも、、、
あやかりたいもんです。
折りしも大雪がやってくるそうで、いまからおののきつつ
天気予報士の大嘘つきとなることを期待してます。
それでは、また~

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