続きです。

今回 公開日に早速観てきたイギリス映画の「異人たち」。
面白かったです。
これは大林宣彦監督・山田太一原作の「異人たちとの夏」のリメイクということで、
安心して観ることができました。
どうなるかわかっているので。
一緒に映画館で座っているみなさんの中で、
1988年公開のこの日本映画を観たことがある人の方がおそらく少ないと思うので、
最後の方になって、大多数の人が、

ええええ!?
うっそ!

となってしまうわけですが、私からすると、あの衝撃を、
初めて味わえる人たちが羨ましかったです。
あれは強烈ですから・・🤭


ストーリーはほぼ原作を辿って付かず離れず、結末も同じですが、
大きく違うのは主人公がゲイであるところですね。

レビューには、「そこが素晴らしい」と、
大いに称賛しているものがすごく多いのですが、
私はそれはもう、その先に行っている感じはしました。
BLものが好きでよく読んだり観たりしていますが、
今始めると長くなるので我慢しますね。

不思議だったのは、結構階数のあるマンションに、
住んでいるのが主人公と、あとでその恋人になる男だけであること。

取り壊し間近の団地という感じではないし、
ロンドンの住宅事情はNYとか東京とかシドニー並みに酷くて、
なかなか今からロンドンで暮らし始めるのは大変だそうです。
そこへ、住人がたった二人の複合棟のマンション?
ちょっとこの設定がシュールすぎるなので、
(もしや、最初から最後まで、全てが主人公の夢か幻だったのでは)
と、最初から思ってしまいました。

日本映画の方では、
「この辺のマンションは夜になるとそうですよ」と、
ーーオフィスユースのビルであれば 夜は人がいなくなるーー
という説明的なセリフがありました。
英国版はそこはないのと、結構ビルがボロいので、
取り壊しが予定されているビルなのかなとか、
いろいろ想像させる部分があって、それも面白かったです。

酔っ払った無精髭の男が夜に訪ねてくる。
主人公は冷たく追い返す。
そこも「異人たちとの夏」と同じ、安定の発端です。

こっちの映画では、主人公が偶然に、演芸場帰りの父親と会うのではなく、
彼は自分から電車に乗って、郊外の元実家を訪ねるのです。

この男、本当に無口なので、観ていてもよく内心がわかりません。
訪ねてこられた(もう死んでいる)両親も、
いまいち息子が何を言いたいか当てられず?
戸惑っているようです。

二つの映画で決定的に違うのは、風間杜夫の方は、
両親が12歳で非業の死を遂げた時から、瑞々しい心に鍵をかけ、
感情を動かさないようにして、自分を守り、一度も泣いたことがないという人。

「異人たち」の主人公の方は、それに加えて、
子供の頃からゲイで女性っぽかったことをいじめられ、
親たちには言えず、抑圧的な人生を送っています。

今、両親に出会い直し、初めてカミングアウトをするわけですが、
両親は、今40歳(推定)の息子が、12歳の時に亡くなったので、
えーーーーと、2023年引く28年だから死んだのがだいたい、1995年ね。

会話の中で、「僕たちのころは、愛することが死に直結してたんだ」と主人公は言います。
母親の方も、「だってあの・・死病が・・・」と言ったりしているのは、
これはもちろんAIDSのことであります。

母は息子の恋人のことも、「あの・・お友達」としか言えず、
息子に「なんで・・ボーイフレンドと言わないわけ? 友達って言うわけ?」
みたいに突っ込まれたりもしています。

やっぱり、1990年代に亡くなっていて、現代に出てきているので、
アプデはできていない、そこらへんが妙にリアリズムで、面白かったです。


さて、死んでいるお父さんは、
息子がいじめられて夜に泣いているのを知っていながら、
息子の部屋に入ってきて話をしようとはしなかった。

「どうして?入ってきてくれなかったの?」

と息子に問われて、ぐっと詰まる父親。

「お前をハグしていいか?」と おずおず訊くと、

うん、してほしい。Yes, Please.

しっかり抱きしめ合う父と子。
いかん堤防決壊です。


以下、細かいことは本当に、観てのお楽しみですので、
これ以上書くのは野暮というものですね。

感想としては、一つはとにかく、暗い!
暗いのが好きな人は、確実にハマることでしょう。
好みの分かれるところです。

そして、夢かと思えば現実、夢から覚めたと思ったのにまだ夢の中、
ちょっと「インセプション」のように、混乱させる作りであるのが面白かったです。
全体に暗いので、スタミナのない私にはちょっと疲れる映画でした。


さて、異人たちとの夏」は、実は、両親が出てくるのはお盆の直前なのです。

暑い日本の夏・・

「もう行かなきゃ」
と親たちが言うのも、お盆を過ぎた頃です。
戻ってきた精霊は、また彼岸に戻らなければならない。
日本人には今でも、しっくりくるあたりです。

イギリスでは、そういうのは織り込めなくて残念でした。
お盆ないし。


ところで最近見たリメイクは、黒澤映画の「生きる」を、ビル・ナイが、
カズオ・イシグロの脚本で演じたイギリス映画で、両方続けて観ました。

リメイク版も、すごくよくできた映画だったのですが、
主人公を演じた志村喬の「だめさ」「泥臭さ」「気持ち悪さ」
(だからこそ、愛すべき人に昇華するのですが)、
これがビル・ナイだと、素敵な紳士すぎて、
全然ダメじゃなくて、ここは違和感ありました。
でも大丈夫。
別の映画! と思って見たので、両方とも楽しめました。




さて、イギリス映画「異人たち」と、
そのリメイクの元となった「異人たちとの夏」の大きな違いは、
「異人たちとの夏」の主人公は、結構実はいい奴で、明るい。
最後も救いがあります。

幽霊のはずの鶴太郎も秋吉久美子も、やんちゃでノンシャランで、苦悩がない。
ただただ、こじらしている息子に喝を入れにきた感じ。

一方イギリス版「異人たち」は、主人公も、恋人も、なんだか湿度が高い。
両親もちょっと・・悩みすぎ? に思えて、重いと言えばとても重いです。

あの最後のシーンはかなり、別の意味で衝撃です。

やっぱり、UーNextで「異人たちとの夏」が観られる今、
良かったら二つの作品を見比べていただきたいなと思います。


続きます。