いや~、
昨年の繁忙期真っ只中の3月6日に引越しをして1年が経ち、今は、新生活2年目(?)に突入の大野です。
皆さんいかがお過ごしですか?
2年目ですが、引越してから3年間は新生活と呼んでも良い(それは、TV番組「新婚さんいらっしゃい!」での新婚さんの定義が「結婚してから3年以内」ってなっているから)と、自分の中で勝手に解釈しております。
それ以上でも、それ以下でもない。って言う。
はい!
って事で
(新人アナウンサーの仕切りのような急な展開ですが)
今日は、
一人暮らし(独り暮らし)のすすめの話の
相談しに行く不動産会社をどうやって選んだか?
の、僕の経験談の話です。
2025年3月26日0時ちょっと過ぎ、
現在48歳の僕ですが、
生まれてから高校を卒業する18歳までは、
実家である、現「久万高原町」(旧柳谷村)
で生活をしておりました。
中学2年くらいまではわりと真面目でしたが
中学3年くらいから高校3年くらいまでは
朝は、家
昼は、学校とか
夜は、家じゃないどこか
で遊んでいるような、
けして不良では無かったんですが
古き悪きと言いますか、
昭和最後の悪ガキのような生活を送っていました。
高校は地元の高校に。
普通科です!
(当時の普通科は花形!)
エスカレーターのような
地元ではエリートコースを歩み。
そのまま地元の役場に就職と思わせといて
虚を突き、
縁もゆかりもない今治市(旧:大西町)に就職。
これには、親もだけど
同級生の友達や学校の先生も驚いてたね。
曰く、「なんでや?」
ま~、百歩譲って、田舎の役場に行くのは嫌で、せめて都会の松山に出てみたい!とかなら分かる。(田舎の人間として一度は外に出てみたいって願望は強かったんです)
でも、その松山やなくて、なんで今治に?
で、お前は、いったい何がしたいんや?
って話です。
ま~ね、これを話し出すと、またこの後、ブログで数回に分けないといけんくなる話になるわけなんですけど、これをとっても簡単に表現すると
「リセット症候群」
【リセット症候群】とは、ある日突然に人との関わりを衝動的に断ち切ってしまう行動や心理状態を指し、人間関係リセット症候群とも呼ばれます。正式な病名ではありません。
ある一定の期間を過ぎると、一回物事をリセットしてしまいたくなる心理状態に陥ってまして、それが「卒業」とか「失恋」とか、そういうタイミングで一度「ゼロ」にしたいって言う(つまりリセットしたいという)
B’Zさんのシングル曲「ZERO」(1992年発売)の歌詞に近いような感覚(?)
一度、身の回りの友人関係をリセットしたい感覚に陥ってしまって、周りのみんながあまり選ばないような地域に行こうとしたのが高校の卒業頃の自分でした。
高校時代もそれなりに楽しかったんですが、
でも、一回リセットしたかった。
その後、今度は社会人になってからも、一度すべてをリセットしたくてなって、今度は、貯金を全てゼロにしたこともあったな。貯金額を全額降ろして一瞬で使い切って、、、、、。(20歳くらいの時の若気の至りです)
あん時は、その後めっちゃ困って
(当たり前や!)
なんせ月初の時点で貯金も現金もゼロ。借金はそこそこある。家賃は払ったばかりだけど次に支払う金額の目途はない状態だったから。ま、それでも家賃の滞納とかはしなかったな。なんとかお金を作って生活は続けてた。
でも、そこで、それから「ちゃんとせんといかん!」と思って、必死に生きて気が付けば今に至っていると言えたりします。
なんか、若い頃は、なんかあったら「リセットする」っていう逃げがあった気がするな。それ(リセット)すれば許される的な。(倒置法)
だけんども、それ(自分勝手なリセット)を許さない大人や仲間が近くに居てくれた事によって、僕は少しずつ成長できて、それでなんとか今があるような気がするな。(まだ許してくれない人々もいるような気がするけどさ)
ゴ、ゴホン!
(え?この話って脱線してた?の咳払い)
話しを戻して、
僕が相談しにいく不動産会社をいったいどうやって選んだか?についての話ですがね、それは、もう単純な話で。
曰く、
現久万高原町(旧柳谷村)の実家から車で松山の方に向かって、そして、一番最初に目に留まった不動産会社の看板の会社に行こう!としてたって事です。
SNSも、GOOGLE先生も、口コミも、ポータルサイトなんかもない時代。なんだか、田舎暮らしをずっとしてたけど、部屋探しの専門誌があるくらいは知っていた
程度の20歳くらいの若者です。
ちょっと部屋探しとは違うけど、高校3年の時だったかな、クラスのみんなで「中古車専門誌」を回し読みして「お前は何買うん?」「何乗るん?」って会話くらいはしてましたから。車を選ぶなら「車の専門誌」を見て選ぶって文化はあったんです。
だから、松山市とかに行って部屋を借りるのなら、それを探すのは「部屋探しの専門誌」くらいの発想はあっても不思議ではないのです。でも、僕はそういう事前情報的な事は必要なく、むしろ何も無い方が良いと思っていました。
そん時は、松山市で部屋を探すときは、もうすでに数日後から雑誌の出版社の営業として就職が決まってたし、「ミナミの帝王」の萬田銀次郎さんが来てそうなスーツも新調して買ってたし(初日にそれ来て会社行ったら社長からめっちゃ怒られたけど)、もうね、そんな、築浅が良いとか、エレベーター付きが良いとか、シャワー式の洗面台が欲しいわ~とか、そんな事言ってらんないからね。
こっちは少ない知識で、
その就職が決まってた会社に近くて、今すぐに入居が出来て、駐車場があって、それら含めて毎月5万円以内で入居させてくれる部屋。部屋の広さなんて、それまでに数ヶ月住んでいた京都のプレハブ部屋が3畳だったから、どんな部屋でもOK!
もう「起きて半畳寝て1畳」以上あればOK!
って本気で思ってたから。
3畳の部屋を持て余す感覚で、こっちは京都から帰って来たばっかで、もう仕上がってるから、部屋の広さなんてなんともなかった。
そんな思いを持って、田舎の現久万高原町(旧柳谷村)を1人で出発して松山市に向かったな。お部屋探し。
ワクワクなんかない。
部屋を借りる事はただの任務。
松山市で仕事をしてこれから生きていくために最低限必要な最初の任務。とにかく「不動産」って看板がないかを注視しながら運転して松山市に入ったな。そんで、意外とあっさり「〇〇不動産」って看板が目に入って、もうそれだけで、その「〇〇不動産」の看板が目に留まっただけで、「この戦勝ったぞ!」って気になったな。その瞬間ちょっとワクワクしたな。
駐車場に車を停めて、階段で何階か上がったかな。ドア開けて、もう「道場破りか!こいつ」って思われそうな勢いで、「頼もう!」的な発声で、「5万円以内、一人暮らし、この近くで部屋を貸してください!」って一気に喋ったような気がするな。
「まあまあ落ち着いて、とりあえず座って」
的な感じで、女性の店員さんに応対いただいた気がする。ブログ書きながらちょっとずつ当時の事を思い出してきた。懐かしい。
当時、19か20歳の僕は、とにかく部屋を貸してほしい事情を話したっけ。就職が決まった会社の事、そこに数日後から通勤するのが決まっている事、予算は父から5万円くらいだろうと聞いてた事、部屋に求めるものは特にない事(本音では、畳が良くってトイレは和式が良かったんだが、それはなぜか言えず)
わりとと言うか、とっても早く2件の物件情報が出てきた。どちらも条件に合ってる。「すげ~」って思った。
ま~、今から考えたら条件がゆるゆるなんでどんな物件が出てきたとしても、だいたい条件に合ってたんだけどね。
その2件の部屋を見学した。車2台で、その女性の担当者に先導してもらって、僕は自分の車で後ろを付いていったっけ。
1件目は5階建てのマンションで、エレベーター無しの5階最上階の部屋だった。田舎育ちの僕は5階とかエレベーター無しとか全く気にならなかった。ならなかったけど、その部屋の前まで来て、その担当者さんが鍵を差して開けようとするも、なぜか鍵が固くってなかなかドアが開かない。
僕はその様子を見ながら、その担当者さんをなんだか気の毒に思いながら、心の中で「この物件はないな、次の部屋で決めよう」って思った事を強く覚えている。
それがあるから、僕が物件の案内をする時は、いかにスムーズに部屋までお客さんを誘導して、サッと鍵を開けて室内に誘導するかをとっても意識している。「ここお客さんに見られている」ってとても意識するクセがついている。その玄関で鍵を差してドアを開ける瞬間の一連の所作って、今でも物件の案内時に緊張する瞬間だな。これは僕の過去の思い出が毎回蘇る瞬間でもある。
それくらい、鍵がなかなか開かなくって「この物件はないな、、、」って心の中で思ったお客さん側の心理がとても強く印象に残ってて。
だけどもさ、
例えば、その物件がね、実はそのお客さんにはとても条件に合ってる物件だったとして、だのに、たったそれだけの事で(鍵がたまたまその瞬間固くってなかなかスムーズに開けられなかったという不幸なエラーが起きちゃったという)
そのお客さんが選ぶ物件の候補から外れてしまうんだとしたら、これってある意味不幸なことじゃない!?って思ったりもするわけ。
だって自分の部屋だってよくあるよ。鍵なんて毎日何回も開閉するんだから、朝鍵閉めて出掛けて、帰って来て鍵空けてなんて繰り返してたら、そのうち何回か「あれ、今日は鍵が固いな、開けにくいな」って思う時ってあんのよ。また逆にめっちゃ気持ち良く思うくらい簡単に開閉出来る日もあるのよ。「え?触ってないのに勝手に開いた?」とか思っちゃうくらいに簡単に開いたりする日もあるわけ。
理由は分からない。
湿度とか、気温とか、力加減とか、間合いとか、タイミングとか、なんか独特な感じなのでしょうか、いとも容易く鍵が開閉出来る瞬間ってあんのよ、逆も然り。でもなぜか分からない。
そのなぜか分からない瞬間だけどもさ、だけんども、僕がお客さんに物件を案内してて、玄関の前まで来て、そして、鍵穴に鍵を差して、そしてドアを開けて、室内をどうぞ!っていう一連の流れはさ、かつて、まちゃあき(堺正章さん)が、かくし芸で披露したテーブルクロス引きのような所作でさ、さりげなく行いたいよね。
そして見た部屋でお客さんに判断して欲しいよね。
オーナーの立場からすれば、そんな「玄関ドアの鍵が少し固くて、部屋の見学時に少し開けづらかったから決まらなかった」みたいな、そんな理由は御免だし避けてほしいと思うよね。
思うけど、不動産営業の立場からすればさ、お客さん心理って、そういう実は細かな要素が、「部屋を決める」か「決めない」かの要素になってたりして、それは口に出して言うほどではない、みたいな部分ってあったりすんだよ。不動産の営業してる人って、そういう細かな部分に気が付くかどうか?そこの部分をお客さんと共感出来るKどうかって実は結構大事なんだ~。
お!今日ちょっと真面目?
ゴ、ゴホン!
(真面目過ぎると面白くないからの咳払い)
あれ!?
そもそも、今日のブログの趣旨って
相談しに行く不動産会社をどうやって選んだか?
じゃなかったっけ?
それってしかも、このブログの中盤くらいで答えが出ている。
曰く、
現久万高原町(旧柳谷村)の実家から車で松山の方に向かって、そして、一番最初に目に留まった不動産会社の看板の会社に行こう!としてたって事です。
え~、ま~、その~、あの~、
その~、なんですな~
その~、ま~、え~、あの~、
その~、ま~、
(田中角栄か!?)
え~、ま~、その~、あの~、
その~、なんですな~
その~、ま~、え~、あの~、
その~、ま~、
(田中眞紀子でした!?)
って事で
曰く、
え~、ま~、現久万高原町(旧柳谷村)の~
え~、その~、実家から~、車で~、
その~、松山の方に、ま~、向かって~、
そして、え~、ま~、その~、
一番最初に~、ま~、その~、
目に留まった~、不動産会社の~、
え~、その~、看板の~、会社に~、
え~、ま~、その~、行こう!
と~、ま~してたって~事です~。
え~、ま~、その~、
お粗末な~、結末ですが~、
コ~ヒ~は~、
その~、飲まない~、決意です~
宅地建物取引業法って田中角栄さんが作ったんだって
(何じゃそりゃ!)
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