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カテゴリ:タイガース背番号史
みなさんこんにちは 背番号29にたどりついたよ この背番号も球団創設の1936(昭和11)年はだれも着けてないわ 2年目の1937(昭和12)年から皆川さんという選手が着けるのね そして2人目が大島さんという方なんだけど この人が2年間着けたあと1944(昭和19)年から1952(昭和27)年までの9年間は誰も着けていないのよ というわけで 今回はこの2名だけの紹介にします とても短いです 皆川 定之 内野手 群馬県出身。当時強豪校だった旧制桐生中学時代は、通算4季の甲子園経験がある。最終学年だった1936(昭和11)年にはエースの青木正一(皆川と同年にタイガースへ入団・背番号「28」で紹介済み)を擁して選抜大会に優勝、夏の選手権もベスト4という輝かしい球歴を誇る。 遊撃手としての軽快なフットワークの守備と打撃面での選球眼の良さが注目され、1937(昭和12)年に大阪タイガースへ入団し背番号「29」を着ける。 1年目から10試合に出たが春季は29打数5安打2打点で打率は.172という数字しか残せなかった。秋季も10試合で打率.167と全く通用していない。 実のところ皆川は156センチ60キロと体格に恵まれず、職業野球では非力な打撃しかできなかった。1年目などは審判にも顔を知られていなかったため、ある試合で球審が打席に向かった宮川をバットボーイと勘違いして「坊や、向こうへ行け」と追っぱらったという伝説が残っている。 2年目の1938(昭和13)年は春季にわずか7試合だったが、秋季になって27試合に使われ79打数18安打5打点で打率.228と少し成長の跡が見られた。 3年目の1939(昭和14)年になると88試合に出場してレギュラーとなり、267打数61安打20打点、俊足を生かして盗塁も10個決めている。しかし打率は相変わらず.228と非力な点では成長していない。 それでも1940(昭和15)年には出場が104試合、1941(昭和16)年も84試合と3年間レギュラーの座を守り、3年連続で現在のオールスターゲームに当たる東西対抗にも出場している。ただし、両年とも打率は1割台で、守備の人であることに変わりはなかった。 皆川は戦争の影響から1941年のオフに退団しており、そのまま終戦を迎えて1946(昭和21)年、社会人の全桐生に参加して2年連続都市対抗本戦に出場すると、1948(昭和23)年、急映フライヤーズに入団してプロ野球に復帰する。 この年から1951(昭和26)年まで、4年連続で100試合以上に出場するレギュラー遊撃手として活躍しているのは素晴らしい。次のカルタでは「牛若丸」と評されている。吉田義男が元祖ではなかった。 1952(昭和27)年になると力が衰えたため引退するが、この年は8月から代理監督を務めるなど指導力も発揮している。 引退後は社会人野球に戻り、大生相互銀行、全前橋を経て河合楽器に入部し、1956(昭和31)年から1962(昭和37)年まで監督を務めた。 1986(昭和61)年12月11日、67歳で逝去。 通算成績は895試合3090打数630安打208打点21本塁打、95盗塁422四球443三振で打率.204だった。戦前にはホームランは1本もなく、21本はすべて戦後フライヤーズで打ったものである。 大島 武 内野手 東京都出身。帝京商業学校(現帝京高校)では強打の一塁手として4番を打つ有名選手だったが、1941(昭和16)年の選手権が戦争激化で中止になるなど甲子園出場の機会がなく涙を呑んでいる。 1942(昭和17)年にタイガースへ入団し、33試合60打数10安打3打点4盗塁、打率.167の数字を残す。 続く1943(昭和18)年は26試合37打数5安打2打点で打率.135と成長が見られず、本人も力の限界を感じたのかオフに引退してしまった。 その後は社会人野球に身を投じて、明電社、永田製作所、大昭和製紙などの選手として野球を続けたという。 プロ2年間の通算記録は59試合97打数15安打5打点4盗塁19四球21三振で打率.155だった。 まとめ 宮川さんは小さな体でよく頑張ったね とくに戦争のブランクを経てフライヤーズでプロに復帰してからは長打も打てるようになって活躍したのは立派だわ 大島さんは長打力を買われてのタイガース入りだったらしいんだけど期待に応えることができなかったみたい 結局ホームランも出ず自信を無くしたのかなあ 早々と2年で引退してるのね 残念だけど写真等の関係資料も見つかりませんでした ということで今回は終わりです 「29」はタイガースの中でちょっと特異な番号かもしれないね でも江本さんが着けてメジャーな番号になり 井川さんからは左投手が着けることが多いかな これから順次紹介していくからお楽しみに! 背番号29-2につづく ![]() ----Blo-katsu AD---- ----Blo-katsu AD---- お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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