自由で柔軟&自然で美しい姿勢の探究 Zen&パルテノン・スタイル

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「生きる力・勇気・志――『ブッダの言葉』を中心に」

 こちらのブログのトップページで、大阪・天正寺での活動や

東京での坐禅会の日程を載せています。

 坐禅会の基本の日程は:

●大阪・天正寺にて:

・毎週土曜の午後2時から5時まで

・毎週水曜の午後6時半から8時まで

・早朝坐禅:火・水・木・金曜の朝6時半から7時半まで

●東京にて、毎月1回、日曜の午後2時から5時まで

 ぜひご参加お待ちしてます。 共に探究していきましょう!



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「瞑想」

地獄の門の解説、ありがとうございます。「瞑想」は、このブログで印つけられた人のすぐ左奥の女性です。ロダンは、後に、独立した作品「瞑想」(関内の大通り公園)から、手足を打ち壊します。それは埼玉県のサトエ美術館にあります。

地獄への道は善意で覆われている。

毎日新聞ビルの1階にある椅子を見て思ったことを書きます。(1月4日)



人間のクセ(habit)は、何と恐ろしいのでしょう。
この椅子を作った人たちは、おそらく、「快適に座れるように」という善意で作ったのでしょう。



ぎっくり腰が完治していない人、腰痛持ちの人だとわかると思いますが、このような椅子に10分でも座ると、立ち上がる時に、腰が痛くて痛くて、たいへんなことになっています。(私自身、これで辛く苦しい思いを、たびたびしました。)

「快適な椅子」が、「辛苦(辛い苦しい)」を作るとは、何てことでしょう。

私は、これが人間のクセだと思います。

百年以上前の心理学者ウィリアム・ジェイムズが、「クセ(habit)」という講演(本)で、次のように言っています。

「地獄への道は善意で覆われている。The road to hell is paved with good intentions.」
「宗教で説かれる地獄よりも、この世で、自分のための地獄を自分のクセで作っていることのほうが、はるかに恐ろしい。the hell we make for ourselves in this world」

「地獄を自分で作るクセ」は、私のことで言えば、私が死ぬまで、人間一般で言えば、人類が滅亡するまで、なくならないのかもしれません。

このような悲しいクセをもった私たちですが、私は、ものすごくラッキーなことに、禅を学ぶという恵みを受けたので、「椅子(環境)が辛苦を作るのでなく、『主』であることを自ら失うことで、自ら辛苦を作るのだ」ということを学びました。

それで私は、このような椅子に座る時でも、あるいは「快適すぎて動けなくなる魔法のソファ」に座る時でも、あるいは座禅という座りでも、「自ら辛苦作り」という苦行を脱して座れる道があることを知ることができました。



普通(自然)にしていたら、このような椅子に座ったり、ダメソファに座ったり、座禅したら、必ず「苦行」していたでしょう。

そのような「自ら辛苦作り」でない道があることを知ったことが、私の人生で、最大のラッキー(恵み)です。

この道は、持前(今の自分が 現に出せる力)を使えばよいだけなので、才能や環境に全く関係なく、誰にでも歩める道です。

ぎっくり腰や腰痛で苦しんでいる人、自ら辛苦を作るクセをやめたい人、共に、この道を歩んでいきましょう。

(私にこのことを教えてくれたのは、禅と、お釈迦さまと、パルテノン神殿のディオニュソスです。感謝感謝感謝。)

取り組む姿勢の大切さ

広岡達郎(元プロ野球選手、監督)の言葉(ネットで引用されていたもの)から。

どうしたらうまくなるのだろうと、悩みに悩みましてね。人の技をいろいろ見て盗むのですが、最初はかっこいいプレーを、うまいなと思ってひたすらまねをしていました。
 
でもかっこいい人の物まねを一所懸命するんだけど、なぜうまいのかが見抜けなかった。
ただかっこいいなあ、うまいなあで終わっていたんです。

ものすごく一所懸命なんですね。
今度は(その選手を見て注目したことは)かっこいいなあじゃなかった。

「なんでこんな遊びのシーズンオフに、あんなに一所懸命やるんだろう。こいつ、よっぽど下手なんだな」と思ったんです。

それから二、三日たっても、(その選手は)やはりいつもと同じ姿で一所懸命やっていました。

たそのとき、ふと

「待てよ、俺はあそこまで一所懸命やっていないのではないか」と気づいたんです。

あの心境でやればいいのかなと思って、そっくりそのまま一所懸命さを前面に出してやったら、一発ですよ。
球が躍(おど)ろうが何しようが、そこに球があるから捕れればいいじゃないかという感じで、何でも捕れるようになった。

そのとき初めて格好じゃない、野球に取り組む姿勢が大切なんだということがわかった。

それはもう一瞬でした。
四年間悩み苦しんだことが、その姿勢に変わった途端に、ウソみたいに解決したんです。

明日もできればいいがなあと思って同じようにやったらできて、その次の日もできた。

ああ、この気持ちさえあればいいんだと思って、同じ姿勢を持ち続けていたら、そのうちにスランプを脱出することができたんです。

よくコーチが選手に、何事も積極的にやれよ、と意味もわからずに言っているけれど、ぼくは選手に

「積極的にものを考えたら血液は濁らないが、消極的な観念だと血液が濁る。そうしたら不健康になる。簡単なことだろう」

と説明する。

以上、引用終わり。

ものすごく参考になる言葉です。

自分が、「待てよ、俺、一生懸命やらずに、格好だけ繕おうとしてたな」
と、自分のこれまでの姿勢の間違いに気づき、
ただただ一生懸命やろうとする姿勢になるとき、
格好の問題でなく、「取り組む姿勢」の問題だと気づくと思います。

坐禅の姿勢も、実はこの問題です。
(が、私は数十年にわたり、身体技法だの呼吸法だの瞑想法だの、特殊な技術の習得と伝達にだけ目がいっていて、この根本の姿勢の問題には全く無頓着でした。あぁ。)
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