ブログ うつと酒と小説な日々

躁うつ病に悩み、酒を飲みながらも、小説を読み、書く、おじさんの日記

夜想曲集

2024年05月16日 | 文学

  昨夜はカズオ・イシグロの短編集「夜想曲集」を読みました。
 この作者の短編集は初めて読みました。
 というか、私の知るかぎり、短編集はこれ1冊だけだと思います。

 いずれも音楽家が主人公になっています。

 酒場で演奏する売れないバンドからかつてスターであった老歌手まで、さまざまです。

 この短編集の刮目すべき点は、ユーモアが前面に出されているところです。
 しかしそのユーモアは、人生というものへの辛辣さが隠されていて、そこが深い味わいものになっています。
 エンターテイメントのようでいて、文学になっている、素敵な短編集でした。

 

 


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思考の整理学

2024年05月12日 | 思想・学問

 昨夜は「思考の整理学」と言う本を読みました。
 なんでも東大、京大の学生に最も読まれた本だそうです。
 だからといって小難しい書物ではありません。
 むしろ軽い読み物と言った感じです。

 著者曰く、朝飯前というのは簡単な仕事というわけではなく、朝飯前が最も頭が働く時間帯で、だからこそ朝飯の前は難しい問題でも解決が容易だと言います。
 で、朝飯前の時間を長くするにはどうすれば良いかというと、早起きするのではなく、朝飯を抜いてしまえば良いのだとか。
 そうすれば朝飯前の時間が長くなって仕事がはかどる、なんてヘソの曲がったことが書いたりしてあって飽きさせません。

 しかし悲しいかな1983年に出版されたそうで、現代の整理とは異なっています。
 すなわち、ノート、カード、スクラップブックなどでの整理法が紹介されているのです。
 1983年と言えば、コンピューターは専門家の間で使われる物で、一般的に使用される物ではありませんでした。

 現代で整理と言えば、エクセルやワード等に入力して保存するか、あるいは紙であってもPDF化してデータにするのが一般的です。
 データにすれば検索もかけられるし、そもそも紛失するということがまずありません。
 記憶媒体その物を紛失してもバックアップを取ってあれば大丈夫です。
 したがってこの本に記されている整理学なるものは、どこか郷愁を誘う懐かしいものばかりです。
 若い世代にとっては懐かしいというより原始的に感じるかもしれませんね。

 私も中高生の頃は単語帳などに単語を書いてはおさらいして勉強した世代ですから、言わんとするところは分かりますが、今さら感が漂います。

 だからと言ってつまらないものではなく、人間は忘れることが出来るから素晴らしいとか、アイディアや着想が浮かぶのは布団の中だったりトイレだったりすることが多い、など、人間の思考の本質を突いたことも語られ、おそらく整理の方法よりもそちらがメインなのだろうと思います。

 小説ばかり読んでいる私には、逆に面白い読み物になっています。
 現代を生きる者にもためになる書物だと思います。
 ご一読をお勧めします。

 


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猿の惑星/キングダム

2024年05月11日 | ホラー・サスペンス・SF等の映画

 今日は久しぶりに映画館に足を運びました。
 観たのは「猿の惑星 キングダム」です。

映画『猿の惑星/キングダム』予告(60秒)|300年後の猿が支配する世界|完全新作 5月10日(金)公開
 
 「猿の惑星」の第一作が公開されたのは1968年だそうです。
  私が生まれる1年前です。
 ですがテレビでたびたび放映され、私は何度も観て感銘を受けました。
 猿が人間を支配する世界を描いたもので、テンポよくスリリングな物語で、何度観ても名作だと感じました。

 その後続編や新シリーズが制作されていますが、第一作に勝るものは未だ公開されていません。
 シリーズ物の宿命でしょうか。

 今日観た作品はチンパンジーとゴリラの死闘を描きつつ、そこに最も狡猾で野蛮な、しかし知能が高い人間の女が絡んできます。
 しかし、人間と猿とを正面から描いた旧シリーズの第一作と異なり、猿と人間の関係性が曖昧で、出来が良いとは言えない作品になっています。
 尺も無駄に長く、正直退屈しました。

 新シリーズも猿の覚醒を描いた第一作が一番良いようです。
 シリーズ物というのは難しいですねぇ。


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消滅世界

2024年05月07日 | 文学

 昨日は村田沙耶香という作家の小説を読みました。
 「消滅世界」です。

 人類の生殖は人工授精で行うことが当然になり、性行為は不潔とされ、忌み嫌われるようになった世界。
 さらに進んで、実験都市というのを作り、楽園(エデン)システムという気色の悪い方法で人間社会を変革させようと試みます。
 すなわち、男は人口子宮というものを取りつけ、男でも女でも出産を可能にし、生まれた子供は父母ではなくエデンシステムが育てる。
 子供は社会全体の物として、男も女も老いも若きも成人は全ての子供のおかあさんとなり、家族という概念は消滅してしまう。

 一種のSFであり、ジェンダー・レス社会を描いた作品と言えます。
 非常に興味深い内容で、感銘を受けました。

 もう10年も前になるでしょうかか、この人の芥川賞受賞作「コンビニ人間」を読みましたが、あんまり面白くないという印象を受けました。

 それが「消滅世界」を突然読んでみる気になったのは、本屋で偶然手にとり、面白そうだと思ったからです。

 思い返してみれば、コンビニでの仕事に耽溺する中性的というより無性的な女の不思議な生活をつづったもので、この作者はジェンダーの問題を主要テーマにしていることが今さらながらに知りました。

 女流作家、ジェンダーレスを描く人を時折見かけます。
 男ではほとんど見られないので、女流作家の特徴なのかもしれません。

 「親指Pの修行時代」とか「アマノン国往還記」「闇の左手」など。

 

 


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日本橋あたり

2024年05月06日 | 散歩・旅行

 昨日は日本橋あたりを散歩しました。
 東京駅で降りて八重洲口から高島屋へ。
 徒歩10分もかかりません。

 ここで同居人は小さな絵画と洒落た日傘を購入。
 衝動買いでしょうかね。
 私は何も買わずに冷やかしました。

 その後日本橋を渡って三越へ。



 百貨店のハシゴです。

 お昼はスペイン料理のランチ・コースを頂きました。
 ワインを少々頂いてしまいました。
 禁断の昼酒です。
 この背徳感がたまりません。
 車を使わないとこういうことになってしまうこと必定です。

 日本橋に少々飽きて、お祭りをやっているという新橋へ移動。
 安い居酒屋で昼酒を楽しんでいる人が大勢いました。

 約14,000歩。
 気持ちよく歩けました。
 


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遠い山なみの光

2024年05月04日 | 文学

 今日は昨日とは打って変わって静かに過ごしています。
 まずは朝一番で散髪。
 夕方16時30分から精神科へ行く予定。

 その間にカズオ・イシグロの処女長編「遠い山なみの光」を一気に読みました。

 舞台は終戦後間もない長崎。
 そこで若い妊婦と彼女を囲む人々との日常が淡々と綴られます。
 その中に異色の人物が登場します。
 米国人の愛人から一緒に米国に行こうと誘われ、それに夢を抱きながら、いつまでも渡米がかなわない女です。
 主人公はそれを愚かな考えだとしています。
 しかし、その主人公自身が、その経緯は語られませんが、家族を捨てて英国人の夫と子供を抱えて英国に移住しています。 

 主人公と他の登場人物たちとの間で交わされる会話が印象的です。
 そこはかとなく漂う時代の変化に伴う諦念だったり哀愁みたいなものが物語に深みを与えています。

 カズオ・イシグロは長崎で生まれ、5歳の時に親の仕事の関係で英国に移り住みます。
 そのまま英国で過ごし、英国籍を取得。
 日本語はほとんど出来ず、英語で小説を書き始めます。
 その作品群は英文学として高く評価されます。

 個人的には「日の名残り」「わたしを離さないで」を好んでいます。

 

 

 この人がノーベル文学賞を取った時、村上春樹のノーベル賞受賞を期待し続けているハルキストの間で、微妙な空気が流れました。
 ハルキストの多くは村上春樹の作品同様、カズオ・イシグロの小説を好んで読んでいたからです。
 この人、ノーベル文学賞を取ったとはいえ、まだ老け込む年ではありません。
 これからの作品に期待します。

 


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大散歩

2024年05月04日 | 散歩・旅行

 昨日は雲一つ無い好天に恵まれました。
 しかも最高気温は23度と過ごしやすい陽気。
 じつに久しぶりにお上りさんになって都内散歩を楽しみました。

 渋谷から青山、神宮外苑のあたりを目指すことにして、電車に乗りました。
 コロナ前であれば渋谷だろうと六本木だろうと車で行っていましたが、今はもうダメです。
 怖すぎます。

 で、渋谷駅に11頃降り立ちました。
 渋谷はいつも工事をしているイメージですが、それが加速しているようです。
 浦島太郎か懲役帰りかのごとく、街の様子が一変していて、なんだか違う場所に来たような錯覚に囚われました。

 渋谷駅前のスクランブル交差点は外国人に人気の観光スポットだと聞きましたが、本当にそうでした。
 私がスクランブル交差点を渡っている時、スクランブル交差点がよく見えるスターバックスの2階から撮影している外国人が大勢いました。
 日本人からすると何が面白いのか分かりませんが、彼らに言わせるとあまりにも多くの人がスクランブル交差点を歩いているのに、まるでセンサーでも付いているかのようにぶつかりもせずに渡っていく姿が奇異に写るようです。
 それにしても外国人観光客が増えました。

 その後、偶然見つけた宮崎料理専門店で鳥南蛮定食をいただきました。
 かねて宮崎出身の後輩が、地元の鳥南蛮は旨い、関東のものは鳥南蛮ではない、と豪語していたので一度食してみたいと思っていたのです。
 なるほど、揚げた鳥にたっぷりタルタルソースがかかっていていかにもくどそうな外観でしたが、意外にもあっさりしていて、確かに旨いと思いました。

 その後青山通りやその裏道を通って表参道へ。
 この界隈は渋谷と違って人込みはなく、洒落た店が立ち並ぶ落ち着いた雰囲気です。
 一気に神宮外苑まで歩きました。
 さすがに疲れて、喫茶店でアイスコーヒーを飲みました。

 疲れを癒して、まずは国立競技場を見に行きました。
 新装なった国立競技場をまだ見たことがありませんでしたので。


 


 なかなか良い感じです。

 ただのコンクリートの広場だった明治公園も緑豊かに整備されて、日本青年館が神宮球場の真ん前に移転していました。
 時の流れを感じます。
 この辺りを歩くのはもう6年ぶりくらいですから。

 続いて絵画館前広場へ行きました。


 

 かつて学徒出陣の壮行会が行われた場所ですが、今は親子でキャッチボールをしたり、スケボーにこうじる若者がいたり、平和な風景です。

 ヤクルトスワローズの公式ショップに寄ったら、つば九郎の家がありました。



 生ビールとイカがちゃぶ台に載っていました。
 つば九郎、イケル口だったのですね。

 その後緑豊かな銀杏並木を通って東京メトロ青山一丁目駅まで歩き、帰宅の途につきました。

 夕飯は近所のイタリア料理店でいくつもつまみを頼み、ワインをしこたま飲みました。
 炭水化物はもう入らないくらい腹が一杯になりましたが、最後に珈琲とケーキを頂きました。

 歩数は驚異の21,833歩。
 京都や神戸、函館に行った時でも20,000歩を超えたことはありません。
 過去最高記録です。
 その割には疲れませんでした。

 気持ちの良い、ゴールデン・ウィークの散歩となりました。


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新しい日常

2024年05月02日 | 散歩・旅行

    明日から4連休。
 しかも世間ではコロナはほぼ終息したことになっています。
 私は必ずしもそうは思っていませんが。

 久しぶりにお上りさんになって青山から神宮外苑あたりでも散歩しようかと思っています。

 長らく江戸川区の実家に帰る以外、都内には出かけていません。
   ブログ内検索で調べたところ、2024年になってからは一度も都内へでかけていませんでした。

 2023年は4月に「きのう何食べた?」のロケ地に行くために新小岩へ、5月に雅楽を観るために宮内庁へ行っただけです。
 2022年と2021年は一度も都内へ出かけていません。
 2020年も3回行っただけです。

 

 その間にコロナには罹りませんでしたが、長く通勤以外に運転していないことと、左目の悪化もあるのでしょう、車でどこかに出かけることが怖くなりました。
 それと、マスクを着けていないとパンツを履いていないような違和感を覚えるようになりました。
 それらはどうでもよいようで、結構大きな問題です。
 気軽に運転出来ないことも、マスクを外せないことも。

 職場ではオンラインの会議が当たり前になり、今では対面の会議のほうが珍しいくらいです。
 逆にメールのやり取りだけで済ませていたような案件も、気軽にオンラインで打合せを行えるようになりました。

 歓迎会や送別会、忘年会等は根絶され、多くの飲食店が廃業に追い込まれたりもしました。
 もう職場での宴会というのは復活しないかもしれません。

 コロナは世界を大きく変えました。
 新しい日常をこれから作っていかなければなりません。


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湖の女たち

2024年04月29日 | 文学

 昨夜は吉田修一の「湖の女たち」という小説を読みました。
 吉田修一といえば、芥川賞受賞作「パーク・ライフ」が非常に印象に残っていますが、なぜかその後この作者の小説を読むことはありませんでした。

 この小説、文庫本で400頁足らずですが、とにかく登場人物が多い。
 あまりにも多いので、相関図のような物を作ってしまいました。
 そうでないと混乱するからです。

 この小説では湖と言えば琵琶湖と戦前の満州国に作られた人造湖、平房湖を指しています。
 琵琶湖のほとりに建つ老人ホームでの事件とも事故ともつかない老人の死から物語は始まります。

 真相を追う刑事と施設で働く介護師との異常な性的関係、平房湖で起きた少年と少女の死、それらが複雑に絡み合って、ついには老人の死は731部隊の蛮行にまで繋がっていることが示唆されます。
 しかし、全ては示唆であって、真実とも虚構とも語られません。

 複雑な物語で、しかも読後感は最悪。
 嫌な気分にさせらてしまい、しかも逆説的ですが、それが心地よいあたり、いわゆるイヤミスに近いのかもしれません。

 

 

 


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ツツジ

2024年04月28日 | 散歩・旅行

 今日は朝一番でスバルのディーラーに行きました。
 インプレッサの半年点検のためです。
 早いもので購入してから3年半が経ちます。
 先代インプレッサには7年乗りましたから、通算するともう10年もインプレッサに乗り続けています。

 ただし、走行距離が大きく異なります。
 前の車は約10万キロ乗り、スバルの営業からはアクティブなドライバーと言われました。
 しかるに今の車は3年半で27,000キロ。
 アクティブとは言い難い距離です。
 最大の原因はコロナ。
 車で遠出することが無くなり、ほとんど通勤にしか使わなくなりましたので。
 さらに追い打ちをかけたのが左目の悪化。
 そのせいで運転するのが怖くなってしまいました。
 現役のうちは車通勤なので仕方ありませんが、定年を迎えたら早々に免許を自主返納したいと考えています。

 スバルでの点検が終わって帰宅し、イカ墨スパゲティとほうれん草のソテー、それに珈琲とデザートにティラミスをいただきました。
 若い頃は絶対に甘い物を口にしなかったのですが、年を取って趣向が変わったのか、少しですが甘い物を口にするようになりました。
 人間、本質は変わらないのでしょうけれど、表層的な部分は変わっていくようです。

 その後、腹ごなしに近所を散歩しました。
 小さな公園にツツジが咲いていました。





 見事なものです。
 そういえば、若い頃は花や植物に興味がありませんでしたが、花を愛でるようになりました。

 花を愛でたら庭石に興味を持つようになり、最後は石の下、でしょうか。
 しょせん儚い命なのに、食うために時間を浪費しなければならないとは、人間というもの、どこまでも因業に出来ているようです。


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あなたのため

2024年04月20日 | 文学

 今日は小説を読みました。
 「毒母ですが、なにか」です。

 女子高生が毒母になり、娘を思い通りに育て上げようとする長い物語が紡がれます。

 毒母が70を超えて要介護3になっても、娘は子供の頃の記憶から逃れることが出来ず、絶縁状態を続けます。
 娘は幸せな結婚をし、毒母から逃れるわけですが、自らは妊娠しても堕胎し、母になることを拒絶します。
 自分が実母のような母親になって子供を支配しようとするのではないかと心配だからです。

 文章は少々雑ですが、内容の面白さから、一気に読みました。

 母と娘というのは難しいようです。

 実は同居人も、実母との関係性に苦しんだ一人です。
 言葉の暴力をシャワーのように浴びせ続け、わずか10歳にして自殺未遂を起こします。
 しかしそれは実母の怒りを倍加させるだけでした。
 その後も同居人の存在そのもを否定するかのごとき発言を繰り返します。
 それは社会人になっても続きます。
 社会人になったのだからとっとと家を出れば良いのにと思いますが、毒親は結婚以外で家を出ることを許しません。

 私と一緒になることで堂々と家を出ることが出来たわけです。
 同居人は後に、私を評して、実家からの呪縛を解いてくれた王子様だったと述懐するにいたります。

 しかし私との結婚は、純粋な両性の合意のみに基づいて結ばれた、純粋な愛だったと私は信じています。
 実家を出るための打算的なものだとは思っていません。

 毒親が必ず繰り出すフレーズはあなたのためを思って、です。
 これこそ呪いの言葉です。
 これによってどれほど多くの子供が傷ついているかしれません。

 子供の頃の話だけではありません。
 毒親が生きている限り、毒親との戦いは40年でも50年でも続くのです。

 今の同居人、介護をしているのに、母親から感謝の一言もなく、もっぱら罵倒されているそうです。
 せっかく実家を出ることが出来たのに。

 呪いはまだ続くようです。

 私は両親から愛されて育ちましたから、そのような親子関係は想像すらできませんが、きっと世の中にはたくさんいるんでしょうね。
 自分の子供を信じてください、と言いたいですね。


 


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ある男

2024年04月14日 | 文学

 昨日は同居人が休日出勤であったため、一人の土曜日となりました。
 世間の中年男は奥さんがたまに留守をすると、一人を満喫できるので喜ぶと聞いたことがあります。
 私はそんなことはありません。
 深く同居人に依存していますので、もし同居人に先立たれでもしたら、孤独に耐えられないのではないかと考えただけで怖ろしくなります。

 で、気晴らしに小説を読みました。
 平野啓一郎の「ある男」です。
 映画化もされているようです。

 

 林業に携わる夫が事故死して、残された妻子は嘆き悲しみます。
 しかし、奇妙なことが起こります。
 ほとんど絶縁状態だった夫の実兄が焼香にくるのですが、遺影を見て、これは弟ではないと断言します。
 では、夫は何者だったのか、知り合いの弁護士が探偵ごっこを始めます。
 そして明かされていく真実。
 それはとても怖ろしいものでした。

 ネタバレになるのでこれ以上は紹介しませんが、純文学作品でありながら、謎解きの要素を含んだスリリングな物語に仕上がっています。
 同居人のいない土曜日を慰めてくれた秀作だと思います。
 


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花見

2024年04月07日 | 散歩・旅行

 今日は昨日とは打って変わって好天に恵まれました。
 そこで、酒と主に乾き物のつまみにおにぎり弁当を仕込んで千葉県立青葉の森公園に出かけました。




 

 

 多くの老若男女、善男全女がシートを広げて花見に高じていました。
 ここはなにしろ県立公園なので、的屋もおらず、広々してしかも静か。
 花見は騒々しいのも良いですが、年を取ると静かな花見が良くなるようです。



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花冷え

2024年04月06日 | 散歩・旅行

 今日は小雨がぱらつき気温が上がらない、しかし桜は満開の花冷えでした。
 こんな日に飲食を伴う花見は行うのは無理なので、千葉県立青葉の森公園で花を観ながら散策しました。
 明日、天気が良かったら酒肴を仕込んで花見を行いたいと思っています。











 桜だけではありません。
 花の公園なのです。






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マチネの終わりに

2024年03月31日 | 文学

 平野啓一郎の「マチネの終わりに」を読了しました。
 知りませんでしたが、映画化もされているようです。



 恋愛小説というくくりになるのでしょうが、それだけではありません。
 天才クラシックギター奏者である蒔野とジャーナリストの洋子の関係性を軸に物語は構築されています。
 そこには天才音楽家であるための恍惚と苦悩が語られ、ジャーナリスト故の世界の出来事に対する一種の憤りみたいなものが色濃く描かれます。

 恋愛小説と言っても、若い人のそれではなく、38歳の男と40歳の女、中年同士の恋愛です。
 ただし、二人とも独身なので不倫というわけではありません。
 もっとも、洋子はアメリカ人の男と婚約していますが。

 二人はたった3回会っただけで、互いに激しく魅かれあいます。
 しかし、蒔野を慕うマネージャーの女の偶然が招いた策略により、二人はボタンの掛け違いから、相手から疎まれるようになったと感じ、4度目の逢瀬はおあずけとなります。

 その間、二人はそれぞれに恋をして別の相手と結婚し、子供をもうけます。
 そのままなら、昔の恋の思い出として終わったのでしょうが、マネージャーの女は罪の意識に耐えられず、夫にも洋子にも何年も前の策略を告白してしまいます。
 しかし蒔野も洋子も、それぞれに忙しく、また家庭を持つ身になっています。
 洋子はアメリカ人の夫と離婚していますが、二人の間の息子とは定期的に会っています。

 現在は現在であり、過去は変えられません。
 二人はたった3回の逢瀬を胸に、熾火のように恋心を持ち続けているわけです。

 私は今過去は変えられない、と書きました。
 しかし蒔野と洋子は出会ったばかりの頃、以下のように語り合います。

 人は、変えられるのは未来だけだと思い込んでる。だけど、実際は、未来は常に過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか。

 含蓄に富んだ言葉だと思います。
 私たちは常に過去を変えながら生きているのだとしたら、過去に囚われる必要はないし、囚われてはいけないと思います。

 二人が出会って5年半。
 逢うことが無くなって何年も経っています。
 しかしその長い時間の後、蒔野がニューヨークで行った演奏会に洋子は客として密かに聞きに行き、舞台上から蒔野は洋子が客席にいることを気づいてしまいます。
 コンサートが終わるにあたって、蒔野は、マチネ(昼の演奏会)の後、セントラルパークの池の辺りでも散歩したいと思います、と語ります。
 それは当然、洋子に向かって語られた言葉です。

 そしてセントラルパークの池のベンチで、二人はついに再会を果たすのです。
 物語はここで終わります。

 二人の間に再び恋の炎が燃え上がるのか、互いの今の生活を守るために、懐かしい旧友として短い会話の後にそれぞれの道を歩むのか、語られることはありません。

 中年男女の長くて切ない恋を描いて秀逸です。
 ただし、平野啓一郎という小説家、あまり恋愛小説は向かないような気がしました。

 

 


 

 


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