「無意識」を意識する機会があった。
かつてはあたりまえでなかったことが
あたりまえになる。
あたりまえでなかったことも
それを何度か繰り返すうちに
気づけばいつのまにか
あたりまえになっている。
そうして僕たちのまわりは
「あたりまえ」のものに満ちてゆく。
僕にとって、あたりまえのもの。
僕以外の人にとって、あたりまえのもの。
世にあるもののほとんどのものは
そのとなりにいる誰か、
あるいはのそのとなりにある何かにとっての
あたりまえであるのかもしれない。
そんなこんなと「あたりまえ」を考えながら
いなかの道をコケ散歩してみると、
そこにはあたりまえのようにコケが這っていた。
考えてみれば、コケが這うということは
今の僕にとってはあたりまえのことなのだけれど、
「コケ=這う」という概念のない人にとっては
たぶんあたりまえのことではないのだろう。
「この場所」に生えているということも
はじめは偶然だったに違いない。
だいいちコケがもう少し進化の道を選んでいたとしたら
「這う」という感じではなく、
すっくと「のびる」といった感じだったかもしれない。
けれどもいま、コケはここに這っていて、
僕は何の疑問を抱くこともなく、
あたりまえのものとしてそれを眺めている。
あたりまえの不思議を感じながら
なおもコケ散歩は続いてゆく。
つづく
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