あたりまえでない、あたりまえについて | Kokegurashi(こけぐらし)

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「道ばたに生える、苔の気持ちを考えてみる」
愛知県豊田市旭地区から
身近なものの大切さをかみしめる穏やかな暮らしかた、
「こけぐらし」な日々を発信しています。







「無意識」を意識する機会があった。




かつてはあたりまえでなかったことが

あたりまえになる。





あたりまえでなかったことも

それを何度か繰り返すうちに

気づけばいつのまにか

あたりまえになっている。





そうして僕たちのまわりは

「あたりまえ」のものに満ちてゆく。





僕にとって、あたりまえのもの。

僕以外の人にとって、あたりまえのもの。





世にあるもののほとんどのものは

そのとなりにいる誰か、

あるいはのそのとなりにある何かにとっての

あたりまえであるのかもしれない。





そんなこんなと「あたりまえ」を考えながら

いなかの道をコケ散歩してみると、

そこにはあたりまえのようにコケが這っていた。












考えてみれば、コケが這うということは

今の僕にとってはあたりまえのことなのだけれど、

「コケ=這う」という概念のない人にとっては

たぶんあたりまえのことではないのだろう。






「この場所」に生えているということも

はじめは偶然だったに違いない。





だいいちコケがもう少し進化の道を選んでいたとしたら

「這う」という感じではなく、

すっくと「のびる」といった感じだったかもしれない。














けれどもいま、コケはここに這っていて、

僕は何の疑問を抱くこともなく、

あたりまえのものとしてそれを眺めている。





あたりまえの不思議を感じながら

なおもコケ散歩は続いてゆく。






つづく







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