なんとなくこのブログを読み返していたら
意外と太郎のことを書いていないと気が付きました。
まあ、ブログを書くきっかけが花子の受験で、「~娘の日々」というタイトルにしてそのまま続けているのだから仕方ないのですが。
ということで、今回は、太郎のことを書きます。
太郎は、花子と2歳違い。
言葉は3人きょうだいの中で一番早くしゃべり始めました。
でもしゃべり方はゆっくりでした。今でものんびりしゃべります
穏やかで優しい男の子に育ちました。今でもそうです
姉の花子よりも弟の次郎よりも穏やかで優しいです。
おヨメちゃんにも「太郎がいちばん優しいのよ」と親バカ発言したことがあるのですが、やはりおヨメちゃんも「ほんとに太郎さんは優しいです。」と同意しています。
太郎が素晴らしい女性に好きになってもらえて、私も嬉しいのです
あれ失礼、ちょっといきなり時代が飛んでしまいましたね
とにかく
太郎は、お姉ちゃんが強烈なリーダー気質過ぎたので
弟としてはそれに付き従うしかなかったって感じですかね
3つ下の次郎にも優しい、いい子でした。
もしも太郎がいちばん最初の子どもだったら、どんな子だったんだろう、と考えたことがあります。
生まれる順番で、かなり性格や気質は変わるのではないかな~
どうしたって親は、上の子中心に生活するし。
でも、唯一、太郎が機嫌悪くなるときは・・・
お腹が空いているときでした
わかりやすかったですね~
太郎に、ちょっとかわいそうなことをしたかも、と思うのは、
小学5年から中学2年まで、アメリカに住んだこと。
小学校の5,6年生っていちばん成長するし、その頃がいちばん多感で重要な子ども時代だと思うのです。
それなのに、いきなり言葉が通じない世界へ放り込んでしまった。
日本の小学校4年生のとき、太郎は勉強もできて運動もできて、クラスでは結構目立つ存在だった気がするのです。
それなのに、アメリカの小学校では、言葉がしゃべれないアジア人として、悪く言えば下に見られてしまって、大半のクラスメイトからあまり相手にされていなかったと思います。
仲良くしてくれたのは、やはりアジア系男子。それと、慈愛に満ちたボランティア精神を持つご家庭のお子さんでした。
もしアメリカに住まなかったら、太郎はもう少し社交的で、自己肯定感が高かったのではないか、と考えてしまいます。
大事な子ども時代に、はつらつと出来ない学校生活を送らせてしまったかな・・・と。。。
また、中三で帰国になり、公立中学だと内申がなくて公立高校受験が不利になるので中高一貫校に中三から編入したのです。
そこでは既に友人グループが出来上がったところへ入って行くことになり、結構辛かったようでした。
もっとも、太郎は算数が抜群にできたので、アメリカのクラスでは「頭の中に電卓が入っている。」と言われたり、アメリカの地域スポーツでのアメフトでは、めちゃくちゃ足が速くて敏捷だと言われて喜んでいました。
土曜日には、日本語補習校と、夕方は、私と花子で運営した国語教室で、仲の良い友達を作って、今でもたまに彼らとは連絡を取っているようです。
当然英語は出来るようになって帰国して、中学生のうちに英検準一級を取り、大学受験でも英語がもともと出来ているのは有利だったし、一橋大学の入学直後の英語クラス分けでは最上位クラスに入っていました。(授業が厳しくて後悔していましたが)
そう。勉強面で言うと、アメリカに住んだことは、まあ良かったのですよね。
大学では、少人数の部活ではあったけど一応体育会の部活動の主将も経験し、安定している大企業に就職して、社内結婚して、今のところはどう見ても順風満帆です
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もう30歳になった太郎。
素適なおヨメちゃんと、本当に幸せそうです。
仕事は大変そうだけど、嫌いな職種ではないようだし、週末は夫婦でロードバイクやらスノボーやら、アクティブに遊んでいるし。
今後もず~っと幸せでいて欲しいです
それが、いちばんの親孝行ですからね~