おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

総武本線「旭駅」~飯岡漁港~刑部岬・灯台。その4。刑部岬の先端。「屏風ヶ浦と刑部岬」。沖合洋上風力発電所。東日本大震災の被害状況(「銚子往還」をゆく。その7日目。)

2024-04-28 19:36:45 | 銚子往還

断崖絶壁の下は、

                太平洋の海が広がる。

           

                           刑部岬の先端。

「屏風ヶ浦と刑部岬」。

飯岡台地が断崖となって太平洋に落ち込む屏風ヶ浦は、高さ60m、現在地には飯岡灯台がたち、刑部岬と呼ばれている。灯台周辺は公園に指定されており、水平線と九十九里浜が織りなす眺望は、昼夜を問わず絶景であり人気が高い。

ここ刑部岬から銚子市名洗にかけて、高さ40~50mの絶壁が屏風のように約10㎞にわたり続いており、屏風ヶ浦は俗に「東洋のドーバー」と呼ばれています。太平洋の荒波が直接打ち寄せるため、その浸食により形成されたもので、700年余りに約6㎞近く陸地が後退したといわれています。

平安時代末期にはこの地に源義経の四天王の一人、片岡常春が佐貫城をかまえていたが、その城跡は激しい浸食による海岸線の後退で今では海中に没してしまい、昔の姿はありません。わずかに地名でサヌキとして残っております。

文豪山本有三の小説「波」に出てくる「ビョウブのように突っ立った岩」とは主人公が盛岡出身で飯岡の海を紹介しているところです。

※ドーバー海峡の両側の英仏とも海底含め同じ岩石であるチョークでできており、海峡になる前の氷期は地続きであったと考えられる。これより北海側に存在した氷河との間に、ライン川やテムズ川から流れてきた水が湖を形成したが、何らかの作用で決壊し浸食した所が現在の海峡で、氷河期後に海面下に没したものと推定されている。

(この項、「Wikipedia」より)

国内初の着床式の沖合洋上風力発電所(↓)。
2009年8月より、国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(以下、NEDO)の公募事業として研究を開始し、風況・海象の把握、海洋構造物が環境に与える影響などについて調査を行ってきました。
2013年1月からは、NEDOと共同で本設備による実証試験を実施し、2019年1月1日より商用運転を開始。

方位標。

りっぱな記念碑が建っています。

「沖縄飯岡友好交流記念碑」。

飯岡町と沖縄との交流は、平成9年5月に篤志家上原清吾氏が当町を訪れたことに始まります。・・・その後、上原氏は飯岡町の「教育」「福祉」に多額の浄財を寄付されるとともに、飯岡の子供たちが、沖縄の歴史・文化を通じて平和の尊さを学び、沖縄の子供たちと友情を育む交流の機会を与えて下さいました。かくして、この事業は、21世紀の社会を託す飯岡の子供たちに貴重な経験となり、将来を託するところ多大であると思われます。・・・沖縄と飯岡町の友好の絆を更に深めるため、この沖縄飯岡友好交流記念碑を建立するものであります。

「飯岡刑部岬展望館」。

 遠くに続く「九十九里浜」。

        

                        

・・・ 

九十九里浜は、「旭市(旧飯岡町)刑部岬」から「いすみ市(旧岬町)」のあいだ66キロメートルの海岸をいいます。
 源頼朝が太東岬から刑部岬の間を6町を1里とし、1里ごとに矢を立てたところ99本にたっしたことから九十九里とよぶようになりました。

九十九里浜のちょうど真ん中は山武市!?
 1町は約109メートル。計算すると6町×109メートル×99里=64,746メートルでほぼ一致します。
 『蓮沼村由来分地録』に「六町を一里に積り」や九十九の半分にあたる、49本目の矢を蓮沼の箭挿(やさし 矢指ともいう)神社に奉納したと書かれているなど、後世の作為も伺えますが、九十九里浜のへそは山武市蓮沼です。

九十九に関係した地名
九十九里浜には九十九を意識した地名があちこちに見うけられます。山武市のとなりの九十九里町、大網白里町、白子町などがそうです。
 白は百に『一』が足りないことから九十九を指します。ちなみに、九十九歳のお祝いを白寿)と言います。

九十九を「つくも」と読む理由
 百は「もも」とも読みます。つまり百に次ぐ(つぐ)「ツグモ」が訛り(なまり)「ツクモ」と呼ぶようになりました。

九十九のもう一つの意味
 九十九折り(つづらおり)・九十九湾(つくもわん)・九十九島(くじゅうくしま)のように「多く」「たくさん」をさす言葉です。

(この項、「山武市・さんむしキッズ」HPより)

・・・

展望館からの飯岡漁港。

このフロアには展示コーナーがあって、13年前の東日本大震災の被害状況が写真展示されています。

当時、旭市が大きな被害を受けたことは知っていましたが、どうして九十九里浜で大きな被害が出たのか、という程度で関心がないまま、今日まできてしまいました。

千葉県九十九里浜北端の旭市飯岡海岸では,3.11 の地震津波により大きな被害が出た。特に,飯岡海岸に沿う九十九里ビーチライン(県道 30 号)と市街地内を走る道路沿いの民家や商店を中心に死者 13 人,行方不明 2 人,全壊 427 棟,半壊 335 棟,床上浸水 387棟(朝日新聞 2011.4.10 現在)の大災害となった。下永井の飯岡漁港の防波堤を越えた最大 6mの津波は,その後飯岡の市街地を襲い,中心部ではビーチラインを越えて場所によっては標高 5m付近まで駆け上がった。海岸の波打際から 200mほど内陸の旧農協裏の住宅(標高 3.7m地点)では,津波によって 1.54mの高さまで浸水した。

ベストアンサー

(「」より)

         

報じられないことは「仕方がない」 東北の陰で「忘れられた被災地」は 【#あれから私は】

 それから10年。今もさまざまな活動が地元で続いている。昨今、高齢化や新型コロナ禍の影響も受けているが、自分たちの暮らす地域で起きた出来事や教訓を先につないでいこうという思いは変わらない。

(2021年3月6日 14:00 |「千葉日報」銚子・海匝支局 橋本ひとみ)


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