こんにちは!
最近新しい眼鏡をいただいた良玄です(*^-^*)
大変お世話になった先輩から
眼鏡を頂きました
そもそも眼鏡を贈物で頂くというのは
人生初めてのことで
とてもビックリしました
店員さんに私の写真を見せながら
試行錯誤して決めたみたいで
その心遣いに感動しました
レンズは後日自分で訪れて
希望のものも付けられるようにとのこと
改めて私自身も
そんな素敵なプレゼントを贈れる人に
なりたいと感じた次第でございます
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さてそんな今回のテーマは
信じる心は救われる!?
です
仏教では
「信心(しんじん)」とも言いまして
まず仏教を信じる心を
とても大切にしています
そもそも「信じる」とはどういうことか
について私が好きな『雨乞いの話』があります
出典は定かではないのでご容赦ください
ある地域では日照りが続いていたため
村人たちは必ず雨を降らせることができる
雨乞いの元へ皆で向かいました
そんな大人たちが行列を成して向かう道中に
ある一人の子どもがふと尋ねます
「みんなはどうして
傘を持っていないの?」
必ず雨を降らせてくれると信じて
みんなで向かっていたはずなのに
本当に心の底から信じていたのは
その子ども一人だったという話です
確かに言われてみれば現実世界でも
こういうことってあるなと
ドキッとさせられます
言葉では信じていると言うけれども
実際に心の底から信じてはいなかった
半信半疑であったり
半ば諦めていたり
そもそも信じていなかったり
信じるという言葉は簡単であっても
実際に行動に移すことはなかなか難しいことを
傘を持った子どもから学ぶことができます
(2月末には雨の中「泰富稲荷法要」を厳修しました)
さらにこの雨乞いの話には続きがあります
必ず雨を降らせることができる雨乞いに
ある方が尋ねます
「どうしてあなたは
必ず雨を降らせることができるのか」
すると雨乞いは答えます
「私は雨が降るまで願っている!
だから必ず
雨を降らせることができるのだ!」
何とも馬鹿げた話かもしれませんが
そんな馬鹿げた行為を
私たちは中々できません
途中で諦めてしまったり
もう無理だと挫折してしまったり
そもそも最後までやる気が無かったり
雨が降ると信じて
最後まで願い続けることができる
これこそ心の底から信じている
信心を持っている証拠です
仕事やプライベートにおいても
なかなか最後まで信じ続けることは
なかなか難しいように思います
だからこそ仏教では
誓願(せいがん)といって
誓い願うことに対しても
凄く敬意を置いて大切にしております
仏教は救われるから信じるのではなく
信じるから救われるもの!
結果を求めて行動するのではなく
行動の先に結果が自ずと訪れる
これは似て非なるものであります
そのため仏教では
仏の教えをまずは信じること
お釈迦さまが気づいた
心安らかな日々を過ごせる教えを
実行して願い続けるところに
実は幸せがあると説くわけです
知識や経験を積み重ねると
どうしても打算的になり
色々な思惑を考えてしまいます
もちろんそれは悪いことではなく
生きる上で必要なことですが
たまにはこの信じる子どもや
願い続ける雨乞いの教えを思い出すことで
改めて自分自身の綺麗で素直な心も
思い出していきたいと思います
春は出会いと別れの季節
そして心機一転する
年度の始まりでもあります
春の訪れとともに
自分自身の目指したものを
改めて信じてみる
そうすることで
心豊かな日常を過ごしていきたいものです
良玄合掌
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