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 今回から新テーマで児童発達支援・放課後等デイサービスに就職が決まってからの奮闘記です。長くなりがちですがよろしくお付き合いください。

 

 8月1日から事務員での雇用契約スタートになった。私は統合失調症と双極性障害Ⅰ型があって向精神薬を服用しているから車を運転することができないので送迎の業務が難しいことも背景にあったものと思われる。

 

社会福祉士を持っている人は未経験でも児童指導員の任用資格はあるが何か意図があってしなかったものとみられる。

 

 前述のとおり私は子どもを巡ってはとても辛い思いをしているので、小学生以上の放課後等デイサービスの事務員となった。スタッフは10人ほどの小規模な組織でそれぞれ挨拶をする。

 

勤務時間は夏休み期間中だがパート労働者なので午後から5時間前後の勤務が多かった。気になる時給は最低賃金の10円未満切り上げだった。

 

 出勤するとまず個人別のファイルに目を通して支援プロセスや会社の理念などについて学ぶ。支援の流れは社会福祉士なのである程度知っている。

 

初日は子どもたちと関わることはなかったが徐々に関わって慣れていってくれたらいいという話だった。

 

 私は顔と名前が一致するのに時間がかかる。事務室で子どもたちと関わらないのでなおさらだった。私はこの分野に入るときに決めていたことがあって、

 

①    児童は呼び捨てにしない(男の子は君、女の子はさん付け)

②    愛称やあだ名で呼ばない

③    利用者を「ちゃん」付けしない

④    自分のことを「先生」と言わない

 

これだけは徹底して守ろうと思っていた。これはなぜかというと児童を1人の人格を持つ人間として尊重したいと思っていたからである。

 

これはいくらこれだけ取り決めても1度でも破るとすぐに崩れてしまう。呼称については実習先で利用者は全員「さん」付けで呼びなさいと決められており、対等な関係を保つためには呼称も重要であることを徹底して学んだことは大きい。

 

それでも現場では呼び捨てや「ちゃん」付けは普通に行われていた。そのような環境下でも私自身が重要なルールであることを認識して守り通せばいいと考えていた。

 

私は日商簿記検定2級も持っているので小口現金の管理も任されることが決まっていて、1か月の資金の流れについて説明された。規模が10万円前後と小さくこちらは簡単そうだった。

 

事務員という立ち位置なので事務長から「必要以上に現場に入らなくてもいい」と言われていた。裏方に徹することになるが、社会福祉士を取ったからスカウトをかけられたのにこの待遇はどうなんだろうという違和感は持った。

 

話は次回に続きます。

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前回の続きです。

 

前回で児童発達支援・放課後等デイサービスに8月から入職することに決まったことは前回の原稿で書いた。私は障害者施設からの移籍になることから障害者トライアル雇用が3か月最大8万円国から助成金が出るので給与負担が軽くなることも私を雇用する狙いの1つであった。

 

社会福祉士になったから児童分野でも力を発揮できると判断するなら無条件で児童指導員の任用資格が与えられるので責任重大だなあと思っていた。

 

上記助成金を受けるためにはハローワークでの手続きが必要になるので、専用の求人票を作ってもらいそれに私が応募する形で求職の応募を行う。私はハローワークに行き応募の手続きを行った。

 

求人票を見ると職種は「事務員」となっていた。なぜ児童指導員に未経験でもなれるのにこの肩書なのかは分からなかったが賃金は最低賃金10円未満切り上げで月約90時間の勤務で上記助成金が出れば私を実質安く雇用することができる。

 

まあ最初は楽でいいかと思っていたが試用期間が終わったら肩書は変わるのかなと思っていた。

 

この手続きに時間がかかり、一度実習はどうですかという話もあったが先方の手続きや人員不足で受け入れが難しく、ぶっつけ本番で8月から雇用と言うことになった。

 

社会福祉士になったのに事務員での雇用であることに違和感はあったものの私は事務系の資格(商工会議所の簿記2級)なども持っているのでそちらでなら力を発揮できるだろうと思うことにした。

 

就労継続支援B型の工賃が1日約1000円だったのが賃金約5000円になることから責任も重大になる。ただ隣の事業所なので頻繁に顔を頻繁に合わせることから健康面や体調のモニターはしてもらえると安心して就職できるなと思っていた。

 

話は次回に続きます。

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前回の続きです。

 

先方としては実習もしてできるだけ早く来て欲しいと思っていたが私が気持ちの整理をつけられないので就労移行支援のスタッフに話したことと同じことを先方の事業主に話すことを決めたところまで前回話した。

 

面談は1週間後くらいに設定されて、先方社長のほか、施設長と就労移行支援のスタッフが同席してくれることになった。私も何度も同じ話をするのも辛いが理解してもらうためには避けられないプロセスだった。

 

もう夏休みに入るまでには間に合わないことは確実になっていた。自分の子どもを亡くして子育てもしていない私に勤まるかどうかも分からなかった。勤務中子どもたちの前で泣いてしまわないかも心配だった。

 

余談になるがなぜ障がい者の私を雇用しようと思っていたのかと言うと障がい者トライアル雇用など国から助成金が出るので実質安く雇用できることも背景にあった。

 

そのような状況下で2回目の面談は始まった。断ったら活動が続くことになるし、引き受けても自分が辛い思いをする確率が高いので私は難しい選択を迫られていた。

 

先方の社長がやってきて話は始まった。私はこう切り出した。

 

「今回の案件を頂けたことは有難いと思っています。これをお引き受けするには私の気持ちの整理が必要です」

 

私は続けた。

 

「もう21年前の話です。私の第1子の娘は予定日の2日前に出血し常位胎盤早期剝離の診断で緊急帝王切開され娩出されましたが産声もあげることなく1時間の蘇生で旅立ちました。それ以後の子どもはいません」

 

相手は黙って聞いている。私はさらに続ける。

 

「私はグリーフケアを受けていません。本当に子どもたち相手の前で冷静でいられるか分かりません。本来なら当たり前に起こる出来事ですが、私にとってはちっとも当たり前ではなくて…」

 

と言葉に詰まった。しばらく沈黙したが、先方の社長がそれを破った。

 

「つらい思いをされたのですね。よく話してくれました。私が思ったことは、あなたの気持ちを癒せるのはきっと子どもたちだけだと思います」

 

この返答は私にとってはハンマーで頭を殴られるような衝撃だった。先方の社長は、

 

「もうすぐ夏休みで子どもたちがいる時間の長い日が多くなります。少しずつ慣れてもらえたらと思っています。ぜひ来てもらえませんか」

 

とみ込んだので、数日考える時間をもらって夏休み開始には間に合わないが、8月からの雇用開始を受諾した。

 

話は次回に続きます。