最終日は2つの山を越えれば良い。

Champollopn峠(2707m)から一気に1525mのBossesまで降りて、またMaratra峠(2930m)を登ればよい。

そこからは22km下ってクールマイヨールのゴールだ。

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D6 - 20:24 Ollomontを出発(出発関門 21:00 - 36分前)

 

制限時間の余裕はかなり少ない。勝負の一日だ。今日頑張れなかったら、これまでの努力が報われなさすぎる。

丸々一晩を山で過ごす嫌なステージだが、1時間眠れたことは大きい。眠気は少なく気持ちは快調だ。

 

ここから、あと「あと2回富士山往復+10kmジョグ」と考える。

スタート時の22回富士山往復と考えるとだいぶ気持ちが楽だ。

 

ただ足の痛みはどうも強くなっている。Ollomontに入ったときよりも調子が悪い。

どうもテーピングが合わないようだ。

 

一歩歩くことに右の足裏に鈍痛が走る。アーチが崩れて、ジワっと血が滲み出す感覚。

右足の親指も差し込むような痛みが続く。ナイフで爪の間を刺されるような感覚だ。

 

登り始めてしばらくすると、また眠気が怪しくなる。

ただ目の前の足を一步でも前にすすめることに集中する。

 

最初の小屋に入る。あまり時間がないので、慌ただしい雰囲気だ。

高山病のような咳き込み方をしている人もいる。薬があるか、と聞かれたが、ないとしか言いようがなかった。

 

エスプレッソをもらい、足裏をマッサージして出ようとした、その時。

 

「柳原さん ですかー、、ちょっと付き合って下さい。。。」

 

なんとKさんだ。異常に顔がむくんでいる。足元がおぼついていない。

 

「一緒に行かないとやばい気がするので、少し寝た後に、一緒に出るので付き合って下さい。」

 

正直悩んでしまった。エイドを出た時点で制限時間の余裕は30分しかなかった。

時間がない中で弱った同士が一緒にいたところで、共倒れになってしまわないか。

ただUTMBの時の恩人だし、自分も眠気が襲っているから、話しながら行けるのは自分にとってもプラスだ。

それに、ここまで来たメンバーなら、みな完走してほしい。

 

「10分だけ寝ます」といって、Kさんは一瞬で眠りに落ちた。

 

私もぼんやりとマッサージを続ける。

 

10分後、目覚ましがなってもKさんは起きない。起こして、エスプレッソをすすめる。

 

一緒の出発するが、時間もギリギリだし、ゴールまでまだ40km以上もある。

Kさんは眠気が最高潮のようで、かなり遅く、フラフラしている。寝不足だけでなく、高山病のようだ。

時間はまだ22時でこれからが眠気が強くなるから、油断はできない。


ここでゆっくり歩くと私も睡魔に落ちてしまう。

 

ライトを最高に明るくしつつ、声がけをしながら、ガンガンと進んでいった。

眠気を払う動作は、強めのライト、大きめの動作、細かい変化、ジェル、カフェイン(ユンケル顆粒)。

そしてチームでいるなら会話だ。

 

月光が山塊を照らす、美しい夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

家族の話とか、仕事の話とか、なんでもふった。内容よりも、話すことが大事だ。

 

Kさんはどうにか、食らいついてきてくれていた。すごい。

Col Champillon、山頂につく。

 

 

 

 

 

 

 

 

下りはまたガレた急斜面で、滑りやすい。ここにいる人は、制限時間ギリギリのペースでいる人達だ。

当然足は残っていない。痛みにうめいている人が何人もいる。

 

ただ、Kさんと私は、急な下りはお互いそれなりに得意なのか、かなりよいペースで一緒に下れた。

キロ10分くらいだろうか。痛みよりも、動いて眠気が散る方が良い。二人とも元気が出てくる。

 

ここからは15KMもの長い下りがある。

急斜面が終わると、なだらかな下り基調で小さなアップダウンになり、走るペースが落ちると、また眠気が襲ってくる。

 

途中のエイドPonteille Desotでは肉を焼いていた。

(不思議な肉かつ焦げすぎていて、正直あまり美味しくなかった。。)

 

Kさんは「ここで寝ていいか?」とスタッフに聞いていたが、「時間がないし、寝るのはだめ」といわれていた。

しかし、Kさんは肉をゆっくり食べていると、座りながら眠りに落ちそうになる。

 

「早く行きますよー!」と急かすと、

 

「次のエイドが実は最終関門だから、18時のゴール制限時間がなくなる」

 

と不思議なことを言い始める。

うーん、そのルール変更を信じるのは危険だ。

一緒に出発する。

 

ここのエイドから真っ暗な林道がずっと続く。10M登ったら、10M下がるような微妙なアップダウン。

高さ5m位の木立に囲まれて景色は変わらない。まだエイドまで10km以上あるが、もっとも眠い午前2時〜午前4時の時間帯にこれはやばい。

 

これまで計7時間程度しか寝ていないのだ。私も足元がフラフラして、意識が遠くなり始める。

 

周りをみると、みな駆け足で抜けていく。時間もさることながら、ここでゆっくりすると眠気に耐えられないからだろう。

 

私も、走って行きたいところだが、Kさんはごめんなさい、といって歩いている。

パワーウォーク気味だし、私の小走りと同じくらいだろう。時間的には変わりないかな、と割り切って一緒に歩くが、とにかく眠くなってくる。。。

 

そして、Kさんはいきなり、周りの人に不思議な英語で声かけ始める。

「Hallo, how are you? I'm so sleepy.How about you?」なのだろうが、呂律が回ってなくてまぁ通じない。翻訳家のKさんとは思えない不思議な様子に私も苦笑い。

 

傍からみたら酔っぱらいがいきなり絡んできた!みたいな感じで、みな、愛想笑いをしながら通り抜けていく。

 

 

途中、レース中に知り合ったという中国人風の男性と並走し、どうもこの状態のKさんと波長が会うらしく、不思議な会話が成り立っていた。

「この人よく寝るんだよねー、でもすぐに起きるんだよね」という話をずっとしている。

 

そして一旦寝ようという話になり、横になり始める。

なんの流れかわからないが、二人が寝てしまったので、私も横になりぼんやりする。20分ぐらいだろうか。

 

・・・起きて、まだ進み始める。

何キロあるのかよくわからない、鬱蒼とした林道でまた人が閑散とする。下り基調だが、キロ12分位でてくてく歩く。

 

ついに、私も眠気と痛みが我慢できなくなり、一度立ち止まって、横になったら10分間寝てしまった。

起きてもまだ眠い。

 

しかたない、眠気の最終手段として、しりとりを始めた。

 

3文字以上縛り。

途中でも「ん」が入ったら負け。

外来語縛り

 

だんだんとルールを足して、小学生なみの会話を繰り返していく。

「それもう言った」「いや、言ってない」とか。

 

 

ペースはいざしらず、眠気のピークはこうして過ぎてようやくロードに出た。しかし、意外とわかりづらくて、ここで10分くらいロストをしてしまった。

 

 

D7- 4:44  エイド、Bosses(308km)に入る。

 

 

 

 

 

 

 

「スタッフの人に確認したら、やっぱり次のエイドをくぐったら何時にクールマイヨールについても全員完走なんだって。今日はボーナスステージですね。だからもう少し寝ます〜〜」

 

完走扱いなのかどうかおいといて、自分は18時までにゴールしたくて頑張ってきたのだから、鵜呑みにする訳にはいかない。

(次の関門が10時、最終ゴール制限が18時とはっきり書かれている)

その情報を信じるにはリスクが高すぎるし、次の関門までが楽と決まったわけではない。

 

Kさんは寝てしまった。30分くらいだろうか。私も足裏マッサージをしたりトイレにいって待つ。

本来なら全く休む予定のなかったエイドだったので焦り始めて、Kさんを起こして出発する。

 

※レース後、フィニッシャーの定義にもよりますが、2017に時間オーバーでもフィニッシャーベストをもらってる人やITRAポイントが付与されている人が確認できたので、一部正しい情報だったようです。Kさん、疑ってすみません(汗

 

 

 

D7- 5:40 エイドを出発すると夜が開け始める。最終日の朝だ。

 

もう最後の登りなのと、日の光に元気をもらって、比較的早めに進む。あと30kmでゴールだ。

 

しかしKさんが離れ始めて、夜中ほどについてこなくなってしまった。

眠気なのか、次の関門がゴールと信じて気が抜けてしまったのか、どうなのかよくわからない。。

 

朝日が昇ったタイミングで仕方なく、先に行くことを伝えて進み始める。

また単独行が始まる。

 

 

 

 

 

 

トルデジアンらしく、次の目的地は全く見えない。大きな丘陵を回り込むようにじわじわと登っていく。

空はまた快晴で、猛暑になるだろう。涼しいうちに進んでおきたい。

 

後ろを見ると遥か向こうにKさんがいる。かなり心配だ。

 

このまま10時の関門を信じてゆっくりしていたら、18時のゴールには間に合わないだろう。

最後の関門でOUTなんて、辛すぎる。途中で発奮してもらうことを祈って前を向く。

 

 

(どこまでも続くトレイル。日が差す場所は暑い)

 

 

・・・・・

 

8:00頃、10時の関門 Merdeuxのあたりにくるが、どこにもスタッフがいない。

途中の小屋らしいところにつくがここじゃない、と言われる。

 

まずい、自分がどこにいるのかわからない。

もしチェックポイントでチェックをしていないのだとタイムアウトとみなされる可能性がある。

早めに次のエイドに行ってチェックをしておきたいが

 次のエイド、Figugio Frassatiがどこかわからない。

 

少なくとも距離で2km、登り300mはありそうだ。

 

やばい!!!

 

こんなところでチェックポイントのミスでリタイヤなんてしたくない。

 

暑さの中、がむしゃらにストックをつかって登り始める。しかも急登が始まる。

最後の関門でタイムアウトなんて嫌すぎる。

 

トルデジアン中で最も追い込んだ登りになった。

とにかく直登を重ねて、進むとエイドが見える。

 

チェックインすると、そこはFigugio Frassatiだった。30分ほどで、300m登ったようだ。疲れた足にしては頑張った。

 

後から聞くと、Merdeuxは途中の牛小屋のようなところだったらしく、ギリギリのタイミングでチェックポイントに変わるらしい。

 

小屋に入るとエイドの食事は片付け始めている。あまり制限に余裕がない状況にはかわらない。

 

Kさんが通り抜けられたのかが心配になるが、どうしようもない。

 

かなり追い込んだ代償で消耗が激しく、20分位休む。日焼け止めを他のランナーから借りられた。

 

 

 


(肌が焼け焦げてます)

 

 

 

そして水を多めにもって、クッキーを大量に仕込み、暑さに備えてから、最後の登りに向かう。

 

ここから400mアップでマラトラ峠(2930m)だ。

ラスボス前の興奮が来る。

 

 


(ピークが見えた!!!)

 

 

 

傾斜が徐々に激しくなり、砂礫上の地面になる。ずっと先にピークが見える。

そしてつま先でしか立てないような登りを進んだ先に、鉄はしごが見える。

 

すでに320KMは歩いているところでの鎖場は怖いが、ここが最後の難関だ。

ここは応援が多く、勇気をもらう。

 

 

(振り返るとこれまでの長いトレイルが見渡せる。皆必死だ)

 

 

 

 

そして、マラトラ峠を登った。

 

 


(マラトラ峠からの景色)

 

 

 

ここからはあとは下るだけだ。

向こうにはグランジョラスとモンブランが見える。UTMBでみた景色と重なる。

 

トルデジアン完走をようやく現実味として感じたのはこの時。

 

初めて、歓喜の声を上げた。

 

 

・・・・・

 

ここから22kmの下り。

気持ちが切り替わると、エンドルフィンがでてきて痛みが和らぎ、かなりハイスピードで飛ばして下っていく。

 

その横を、時々30kmレースのランナーが猛烈な勢いで抜いていく。初めてスカイランナーを見たが、私なら3歩くらいかかる段差を一歩で飛び越えていく。キロ3分台だろうか。

 

私もキロ8分のペースで快調に降りていく。

途中、足を引きずりながら、一步ごとにうめき声をあげるランナーを2〜3人みた。

痛み止めを使うか?と聞くが、すでに沢山飲んだ、との答え。

 

Good Luckというしかない。その横を通り過ぎる。

 

 


(この時は、このまま降りるだけだと思って余裕な表情

 

 

 

 

途中に小さなエイドがある。すると、ここから登りが始まる。

 

 

 


(あれ、、、地形図ではもう下りだけなのでは。。)

 

 

じわじわと登っていると、また足裏の痛みが激しくなる。

 

(やばい調子乗って走りすぎた。痛みの質がぜんぜん違う。我慢できないぞ。。。。)

 

そして、延々と100m位登ってはまた100m位下って、というトルデジアン流のループが始まる。

 

しまった、下りだけじゃないのか。。。油断するのが早すぎた。ペースが乱れて、色々な痛みが出てくる。

 

UTMBは最後のエイドからの下り8kmはスパートの区間だったので、同じ感覚でいたのが大失敗。スパートが早すぎた。

気持ちが途切れると、痛みが強くなる。仕方なく、ロキソニンを飲む。

 

右足の親指が異常に腫れている。化膿しているのだろうか。一步ごとにナイフで指の間を刺されるようだ。

なんども座って、テーピングをしたり、カッターで爪を切ったりする。

 

そして、下り続けると、これまでなかった左足の腸脛靭帯に激痛が走る。

足を曲げることが全然できない。これまで右足をかばったことの負荷がこんなタイミングで出る。

 

足を引きずりながら進む。抜いた人たちに、抜かれて今度はGoodLuckと声かけられる。

トボトボと灼熱の日差しに焼かれながら、食いしばって進む。

 

 

長く長く下ったところで、UTMBのトレイルに合流し、逆向きに進む。ここからベルトーネ小屋までトラバース気味にすすむ。

(ちなみにUTMBランナーにとっては、ベルトーネの急登ときくとゲッソリする人が多いだろう。)

 

このトラバースは記憶よりも断然長く、細かいアップダウンが繰り返す。

似たようなループが何度も繰り返す。もっと短いと思っていた分、気持ちが焦る。

 

 


(UTMBと逆向きに歩く。クールマイユールはずっと先で見えない)

 

 

UTMBではまだ100KMもない地点だが、トルデジアンではすでに320KMも歩いているのだ。
痛みが強くなる。めまいが続いて、ペースすら考えられない。

30kmレースのランナーに道を譲るたびに、小休止してしまう。

 

・・・・・

 

D7 - 13:56 最後のエイド ベルトーネ小屋に着く。

クールマイヨールまで、あと6km。

 

この時には座ることもギリギリだった。暑さも激しく、とりあえず水をもらう。

左膝の腸脛靭帯が棒のように張っている。一步曲げるごとに激痛。足を地面に着くと、関節まで痛みが走る。

 

スタッフにテーピングを依頼するが、包帯しかない、といわれて足を固定される。

 

固定したほうがいいのかな?とおもって下り始めると、余計に痛い。

ロキソニンをまた飲む。全く効かない。


小野さんが通りかかって、続いてTさん、Uさんたちのグループがちょうど横を抜けていく。

周りの人にどんどんと抜かされていく。

 

あと6kmの急斜面の下り。辛すぎる。

しかし、休んでいては18時に多分間に合わない。進むしかない。

何度もうずくまり、足を擦り、そしてほぼ片足で降りていく。

 

結局、包帯はとった方が楽と気付き外す。痛みを無視しながら下るしかない。

 

ゴロゴロした岩がある辺りは最悪だ。

涙がでるといよりかは、脳天に響くような痛みに歯を食いしばる。

 

応援に登ってくる人たちの声を頼りに、とにかく一歩でも街に近づくように進む。

「you're winner!」「you did great job!」「Only 3km to GO!」「Amazing! 」などの一言一言が支えになった。

 

・・・・・・・

 

ベルトーネ小屋からの標高差700m 距離6kmの下りはトラウマになりそうな痛みだった。

ゴール後に振り返ってみても、よく降りられたと思うし、医者がいたら確実にストップと言われた気がする。

 

そしてついにトレイルが終わり、クールマイヨールのロードに出た。

トレイルよりも断然足が楽だ。感動よりも助かった、という気持ちが先にくる。

 

家族に、もうすぐゴールする、と連絡をする。

 

一歩、一歩、ロードを降りていく。痛みが徐々にやわらぐ。ゴールを確信する。

 

知り合いのお父様が、応援に駆けつけてくれる。写真を撮ってくれる。

 

 

市街地に入ると、応援の声が一層高まる。

 

 

 

 

 

拍手、ブラヴォーという声を聞くと、涙がとまらなくなった。

 

 

30kmレースの選手と混じってのゴールだが、トルデジアンのゼッケンが見えると特に歓声が高まり、祝福してくれた。

 

よくこんな練習量で完走できた。痛みによく耐えられた。

タイム・順位など関係なく、トルデジアン完走という目標をやり通せたということが心から誇りに感じた。

 

そして憧れの黄色い台、フィニッシャーゲートが見える。

 

写真を撮りたいという気持ちよりかは、早くそこに着きたいという気持ちに駆り立てられて、近づいていく。

 

D7 - 15:36 クールマイヨールのフィニッシャーゲートに立った。

 

 

 

 

 

名前を呼ばれた後に、君が代がいきなり流れて焦る。

すこし気まずい気持ちになりつつも、初めて人前で国家を唄った。(後ろの人がいないときは国家を流すサービスを始めたらしい)

 

・・・・・・・

 

147時間36分  

累積距離 338.6km (実測360km)

累積標高 24000mD+ (実測30000mD+)

 

図らずも、最初の予定ゴール時間と1分差だった。

 


 

それにしても、あまりに長いレースだった。

 

サポートの人たち、すでに完走した人たちがみな祝福に駆け寄ってくれる。

 

橋爪さんが来てくれた時、痛みを耐えてきた辛さが溢れて、そしてサポートしてくれた有り難さが極まって、またポロポロと涙がでた。

 

 

 

 

 

 

 

 

完走のブースにあるビールを小野さんと飲み、そしてジェラートを食べる。

 

そして、Kさんがもうすぐゴールするとの連絡がはいる。

良かった、途中で巻き返してくれたんだ。同じくらい嬉しかった。

 

ゴールを見届けて、ホテルに戻る。

 

「完走おめでとう!!!」

 

とオーナーが祝福してくれて、またビールを開けてくれた。

 

18時から宿泊者みんなでパーティするよ、と誘ってくれたが、多分寝てる、と応える。

案の定、シャワーを浴びた直後に、ベッドに倒れ込んで一瞬で眠りに落ちた。

 

・・・・

 

この日の夜は「やばい寝すぎた!!関門やばい!」 という夢で起きてしまった。

そしてこの関門に追われる夢は1ヶ月位続いてしまい、体は疲れているのになかなか眠れない日々が続いた。

 

(完走後の体調についてはブログを参考にしてください。)

 

 

・・・・・

終わりに

・・・・・

トルデジアンにまた出たいか?と聞かれたら、多分タイミングによるだろう。

もし2日目と4日目の途中に聞かれたら、絶対にNOという。

 

でも、レース後に振り返ると、これだけのチャレンジを達成できたことは、人生にとって最高の1週間になったと思う。

 

「完走した人、全てが勝者だ。自分自身との戦いだ。」

 

UTMB、トルデジアンのオーガナイザーが同じく発言しているが、心から同意したい。

 

プロのアスリートとして表彰台に上がる人たちは別かもしれないが、私のような一般ランナーにとって、どのレースよりも順位・タイムは全く気にななかった。

 

UTMBと比べたらスピードが求められないので、トレランの走力はあまりなくても完走できると思う。

 

求められるのは、自分のペースにあった歩き方を知り、そしてどんなに辛くても、もう一歩踏み出し続ける気持ちが試されるレースだ。

 

UTMBはレースと言うより旅だと思っている。

そしてトルデジアンは、人生の縮図じゃないか、と思う。

これほど自分を問い続けるレースはなかった。4日目に自信と気持ちを粉々にされたけど、そこから前が見えなくても、出来る限りの工夫をして、そして一步ずつ進む力を知り、確実に強くなれた。

 

全部で2週間という長期休暇を支えてくれた社員、家族。

そしてレース中を支えてくれた橋爪さん・いちたく隊、同じレースに挑んだ参加者たち、純粋に挑戦を応援してくれる沿道のサポーター、主催者・ボランティアの人たち。このようなチャレンジの場所を与えてくれたことに最大の感謝をしています。