いつも長女が言っていました

 

 お義父さんとお義母さんが

 

  お気の毒過ぎる …

 

 

 

      

 

 

 

 

 

 

ゴリ君の弟さんが恋愛時代

 

彼女の親からの結婚の許可が

なかなか出していただけなかった時に

 

ゴリ君母が、ポツリと口にされたのが

 

「うちの息子の、どこがそんなにダメなのだろう …」

 

ところがある日、彼女の実家の近くで

宅地の売り出しが始まったのを見た

彼女のお父さんが言ったのだそうです。

 

ここに家を建てるなら、二人の結婚を認めてやると。

 

弟さん、それまでの職場を辞めて

彼女の実家近くに引っ越すことを決めました。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

結婚へ向けての準備全てが

彼女家の独断で決められました。

 

顔合わせは、彼女地方のホテルのプラン。

 

移動をするのは、ゴリ君のご両親なので

唯一、ゴリ家から出された希望が

 

「当日は堅苦しくないように、楽な服装で」

 

だったのですが、それを聞いた彼女の母親が言ったのが

私も娘も着物を着ます!

 

ゴリ君のお母さん、自分はどうしたらいいのかと

とても困っておられたのだと聞きました。

 

 

 

   

 

 

 

 

 

結婚式の日取りも勝手に決められて

 

それがまた、ゴリ君母とゴリ君の両方が

とても大切な行事がある時期だったので

 

挙式日がそれと重なった場合には

結婚式の方を欠席せざるを得ない

状況になる時だったため

 

さすがに次男に、一言くらい相談をしてから

決めるべきだったのではないかと

 

苦言を呈されたのだと聞きました。

 

家の新築に関しても、転職したばかりだから

二人の収入が安定をしてから建てた方が良いと

アドバイスをされたのですが、聞く耳持たず。

 

家ができるまでの賃貸が、なかなか決まらなくて

困っていると聞いた、その原因が

 

彼女の希望が全て揃っている部屋が

予算内では、みつからないから

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

子どもが生まれて しばらくたっても

お宮参りの知らせがないので

 

いつするのかと尋ねたゴリ家に

彼女の親が言ったのが

 

自分地方でのお宮参りは100日目。

一か月でなんかしませんよ。

 

さて、やってきた100日目の朝。

 

嫁父が熱を出し、それでも自分も

どうしても参加がしたいから

 

今日は中止と勝手に決められて

 

ゴリ家が取っていたホテルと新幹線の

予約はパー…。

 

当日キャンセルで、宿泊代は支払いに

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

幼稚園受験で娘が落ちたリベンジに

孫には受験をさせると勝手に決めた、嫁の母。

 

無事に合格したものの、手助けは皆無なので

口を開くたびに次男がこぼす。

 

生活が大変。家計が苦しい。

 

四人目、五人目が生まれた時にも

嫁側のサポ-トが全くないので

 

次男が育休を取って、家事一切をしていると

聞いたゴリ君両親が、実家に来るように言いました。

 

あの後、私に仰っていました。

 

親バカが、息子可愛さに引き受けましたが

親子七人の世話は、さすがに大変でしたと

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

会うたびに、娘を大切にしていただいている

お礼を述べる私に

 

ご両親は、いつも言ってくださいました。

 

自分が若い時にした辛い思いを

お嫁さん達にはさせたくない。

 

自分がやって欲しかったことを全部

してあげたいだけですからと。

 

自分の子どもが可愛いからと

我が我がを前に出す親と

 

自分の子どもが可愛いからと

我がをグッと噛み締めて抑える親と

 

どちらが本当の親の愛なのだろう …。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

通夜の日に、次女は七つの打ち合わせをキャンセルし

 

アッという間に新幹線とホテルとレンタカ-の

予約を取って、式場まで駆け付けました。

 

葬儀の日には、姉のこれからを考えて

自分が残って手伝おうかと言いました。

 

昨日、長女に、時間ができた時で良いので

LINEでも構わないから、私の弟に

香典と弔電とお花のお礼を言うようにと伝えたら

 

もうお礼は伝えてあると返事が来たので

 

こんなにバタバタしている中で…と

我が子ながら、ちょっと感心すると同時に

 

高校時代の恩師の教えを思い出しました。

 

私生活とプレ-は繋がっている。

 

今やっていることだけを考えていたらダメだ。

言われてから動くのでは、もう遅い。

 

先へ先へ、次は何をやらないといけないのかを

考えながら行動をするように!

 

 

 

 

     

 

 

 

 

 

 

たかがスポ-ツ。されどスポ-ツ。

 

教えが今も、ちゃんと娘達の心の中に。

 

今日も私達の疲れを心配するLINEが来たので

逆にあなた達は大丈夫なのかと尋ねたら

こんなやりとりとなりました。

 

 

(長女) とりあえず今からが忙しくなりそうで

不安が一杯だけど

 

ゴリ君と協力して頑張ります。

 

(私) お母さんも少しは落ち着かれた?

 

うん。多分ね。ゴリ君が凄く頑張っている。

本当に優しいなって思うよ。

 

良い旦那さんを選んだね~。

二人の背中を、子ども達も見ているからね。

 

うん。そうだね。

 

ゴリ君がね、おとうさんとおかあさんと

田舎のおばあちゃんを大事にしないとね

 

だって 照れ

 

ありがとう。私達はワンチ-ムだから

手が必要な時には、いつでも言って。

 

互いに助け合って乗り越えようね。

 

ありがとう。そう言ってもらえるだけで

有難いし、心強いです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

困った時こそ見えるもの。

 

優しいメッセ-ジをくださったブロ友様にも

改めてこの場を借りて感謝を申し上げます。

 

 

 ありがとうございました

 

  

 

 

 

 

 

 

人の数だけ家族の姿 …

 

 

 

 

 

 

これが、地域による習慣なのか

それとも斎場による設定なのか

 

私には何も分からないままで

 

ゴリ君のお父様の葬儀の前に

「親族の集合写真の撮影」があったのですが

 

初めての経験に戸惑ったそれで

私には不思議に思えることがありました。

 

祭壇の前に並べられた椅子の真ん中に

喪主であるゴリ君とお母様が着席させられ

 

その両横に、お父様との関係が濃い順番に

座っていくようにという説明がありました。

 

椅子が満席になった後の親族は

後ろに立って並ぶようにとのことだったので

 

私達は一番最後に端っこの方に

遠慮がちに立たせていただいたのですが

 

駐車場ですれ違った時に

誰かも分からない状態で会釈をした私を

 

完全にスル-して無視して行った

ゴリ君の弟嫁さんのご両親だった方が

 

ゴリ君母の実姉妹より先に、前に出て行ったのが

 

最初の「 え? 」

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

気が付くと、私たち夫婦と次女の横に立っていたのが

 

ゴリ君の弟さんの子どもを、それぞれが抱っこした

チビブ-とイモブ-だったので

 

この子たちは親と並んで前に座るべきだと

 

私達の前の椅子に、手ぶらで座っていた弟嫁さんに

横の椅子に一人で座っていた三男さんを抱っこして

 

ここ ( 一つの椅子 ) に、チビブ-とイモブ-を

座らせてもらえないかとお願いをした次女に

 

戻った返事が、短く一言。

「 三男は、抱っこされるのが嫌なんです 」

 

我が子を抱いてくれている、義兄の子達を後ろに立たせて

自分たち親子が前に座っていても平気な感覚に

 

二度目の「 え? 」

 

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

 

 

やがて始まった葬儀では

 

ゴリ君弟の一歳になるという赤ちゃんが

最初から最後まで、ず-っと愚図りっぱなしで

 

お経が聞こえないほど泣いているのに

 

弟嫁さんのご両親は、その子を一切

抱こうともしないで知らん顔。

 

終わった後に、次女がボソッと言いました。

 

お嫁さんも困っていたのだろうし

親が抱っこして、外に連れて出てあげたら良いのに

 

本当に何もしない親なんだね…。

 

火葬場でも愚図るので、見かねた次女が一歳を抱き

私が三歳の子を抱いてあげたのですが

 

それでもお嫁さんの親は、知らん顔。

 

後から長女が教えてくれました。

 

弟嫁さんのご両親は、本当は通夜にも葬儀にも

来られるつもりはなかったことを。

 

私達が来ていることを知って

急遽、葬儀にだけ顔を出されたのだと。

 

義理とはいえ、子の親が亡くなったのに

葬儀に来る気がなかったことに

 

 

三つ目の 「 え? 」

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

祖父との別れに、泣き叫んで悲しんだ長男の子達と

最初から最後まで一滴の涙も流さないで

 

席に着くなり勝手に蓋を開けて

お弁当を食べ始めた弟さんの子達の姿に「 え? 」

 

そして葬儀後の諸々や、お母さんのお世話を

全部、兄に丸投げをして

 

昨日の夜には帰宅をしたという弟さん家族に

 

「 え?え?え? 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 天翔ける 雄の子に育てと願いつつ

新し命に〇〇と名付ける 」

 

○○が生まれた時に歌った駄歌です。

 

結婚して七年目に生まれた

私達にとっては大切な宝でした。

 

 

これは、長女との結婚式の時に

ご両親が寄せてくださった

お礼の言葉の中の一文です。

 

責任ある職に就かれていたので

我が子が熱を出した時にも休めなくて

 

子を独り家に寝かせて出勤し

昼休みに顔を見に戻るような生活で

 

子ども達には可哀そうなことをしたのだと

私にも話してくださったご両親でしたが

 

こちらが、結婚式の日にゴリ君が寄せた

親に対する言葉となります。

 

「 熱で休んで、昼休みに急いで顔を看に戻ってくれたり…

寂しいこともありましたが、最近特に

 

両親の方がどんなに辛かっただろうかと

苦労が分かるようになりました。

 

忙しくても僕の話をちゃんと聞いてくれて

幼いなりにもキチンと説明をしてくれて

 

両親の愛情をいつも感じて今日まできました 」

 

 

 

 

 

 

 

 

お父様。雄の子に育った息子さんは

 

妻の誕生日には、赤いバラの花束を贈ったという

父親の背を見習って、今は私の娘のことを

 

大切に守り、子にも愛情を注いでくれる

立派な夫であり親に育っていますから。

 

ただ一つ、私から文句を言わせていただけのるなら

 

チビブ-の結婚式に出るまでは

意地でも長生きしましょうと

 

この三月に、私とした約束を

守ってくださらなかったことですが …

 

 

 

 

 

 

 

今日、長女から届いたLINEに一言

「 銀行口座凍結問題 」とあったので

 

あるあるだね~と返信したら

 

どうしてこんなにややこしいことを

するのだろうかと戻ってきたので

 

「 それは兄嫁様親子のような人がいるからだ 」と返したら

 

「 そういうことねー 」で完結した、私達でしたが

 

弟家族への愚痴一つも吐かないで、黙々と動いている

この子達なら、きっと夫婦で協力しながら

 

お母様のことも守ってくれると思えますから

 

どうか安らかにお眠りしてくださいと

感謝の気持ちが溢るる今宵 …

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日はお若い方達に

 

ちょっと偉そうに言わせてください

 

「まさか」を頭の片隅に

 

 

 

 

 

 

 

 

4月24日 

自宅の階段を踏み外して骨折された

ゴリ君のお母さんの手術日。

 

連休の後半、ゴリ君の弟さんの子どもの試合が

ゴリ君県で開催されるので、上二人の子を連れて

弟さんが実家に帰省の予定があるために

 

同じ時にチビブ-の遠征に帯同する予定の長女が

 

これ以上、お父様に負担をかけるのは無理だとして

5月1日の夜、ミニゴリと末っ子ブ-を連れて帰省。

 

翌日、二人を残して長女は帰宅。

 

5月3日 長女とチビブ-は

朝の3時前に家を出て遠征に出発。

 

同日、我が家には町内会のお役目があったため

 

5月4日 ミニゴリと末っ子ブ-を連れて

私の実家に帰省。

 

母の杖の調整、車いすの使い方等を説明。

 

5月5日 数日分のおかずの作り置きをした後

長女宅に向けて実家を出発。

 

夜の11時前に、長女とチビブ-が帰宅。

 

翌日7時半、ゴリ君とイモブ-が

○○市近郊選抜大会に出場のため家を出る。

 

同時にチビブ-と長女も、練習試合のために家を出る。

 

8時過ぎ、イモブ-の試合の応援のため

ミニゴリと末っ子ブ-を連れて、私達も出発。

 

午後、練習試合を終えた長女達と合流。

 

試合の決勝戦。1点差で負けていた残り6秒で

イモブ-がシュ-トを決めて逆転優勝。

 

この日一日、私は体育館でずっと待って

ずっと探していました。

 

孫達の試合には必ず来られているはずの

ゴリ君のお父さんの姿を。

 

近くにいるから分かること。

近くにいるから分からないこと。

 

遠くにいるから分かること。

遠くにいるから分からないこと。

 

互いに情報交換をしながら

 

一緒に笑ったり怒ったりした

孫達の応援隊の同士として

 

ゴリ君のご両親とは

本当に仲良くさせていただいていました。

 

試合後、お父さんが来られなかった理由を

尋ねた私にゴリ君は言いました。

 

今日は弟の子の試合の方に

行っているのだと思います。

 

そうなのかと安心し

長女宅で入浴と夕飯を済ませてから

 

7日の午後に会議の予定が私にあるので

長女宅を出たのが5月6日の20時半頃。

 

1時間ほど走ったところで、長女からLINE。

 

せっかく来てもらったのに

何のおもてなしもできなくて、ごめんなさい。

 

そんなことない。楽しませてもらったと

返信を打っていたところへ、長女から電話。

 

出るなり「今どこ?」と言われたところから

私達の状況が一変したのです。

 

夕方、試合結果を伝えた長女にも返信がなく

 

イモブ-のシュ-トで逆転したよと

伝えたゴリ君のLINEも既読にならず

 

不安になってかけた電話にも応答がないので

ゴリ君が実家に様子を見に行ったところ

 

お風呂で倒れていたお父様を発見。

 

取り乱したゴリ君から長女に電話。

 

とにかく救急車を!と伝えた後に

お母さん!どうしたらいい?と私に電話。

 

意識が無いという以外、何も分からないというので

 

私達はサ-ピスエリアで待機しながら

長女と連絡を取り合って

 

救急車で行ったら帰る足がないので

実家の戸締りに行った後

 

病院が分かったら、そちらに行くようにと伝えて

待っていたのですが、やがて届いた知らせは

 

お父様が亡くなられたという知らせでした。

 

喪服もないので自宅に向かい、7日の早朝に家に着。

 

入院中のお母様の外泊許可が二日しか出ないので

お通夜が7日の夜となったと連絡を受け

再び長女宅に向けて家を出る。

 

夜、次女と現地で合流、お通夜へ。

 

私達の姿を見るなりゴリ君が来て

涙をポロポロ流しながら話してくれました。

 

おかあさんから尋ねられた時に

弟の方の試合に行っていると言いましたが

 

実際には行っていなかったんです。

 

母親の病院は、未だに面会が規制されていて

面会には予約が必要で、その予約もなかなか取れなくて

 

7日にやっと、入院してから初めての面会に

父が行けることになっていたんです。

 

僕は何も知らなかったのですが

行っても会えないと分かっていたのに

 

それでも父親は毎日、洗濯物を届けに

母の病院に通っていたみたいで

 

昨日も朝から母の病院に行っていたみたいで …

 

僕が見つけた時には、もう冷たくなっていて …

 

母親が、今はちょっと混乱をしていて

僕のことを「お父さん」と呼んだかと思うと

 

父親の遺体に向かって、僕の名前を呼んだり

父の携帯に「今どこ?」と送ったりしているんです。

 

実は私に届いたLINEでも

いつもは、とても聡明なお母様からの文章が

 

意味の分からない不思議な文字になっていて …

 

私に会うなりお母様が仰ったんです。

 

自分が入院なんかしたばっかりに

お父さんにストレスを与えてしまって

 

こんなことになってしまったのだと。

 

今日の葬儀で、喪主の挨拶を終えた後、

席に戻って声を出さずに泣く父親を見た

5歳の末っ子ブ-がそばに行き

 

頭をなでなでする姿や

 

四人の孫達がお腹の底から声を出して泣き

祖父との別れを悲しむ姿に

 

たまらない思いで、私達も涙が止まらず

 

後ろ髪をひかれながら帰路に着き

ただ今、サ-ピスエリアで仮眠中です。

 

30代で父親を見送ることになったゴリ君兄弟。

 

まさかこんなことが起こるとは

誰が想像できたでしょうか。

 

5月4日の夜。

長男次男と父親で、実家で焼き肉をして

楽しかったのだという報告が来たので

 

7日の面会の時にまた詳しく教えてねと

約束していたのに…と泣かれたお母様。

 

誰の心にも悔いを残してしまうのが

大切な人との別れです。

 

まだまだ親は若いから大丈夫、などと思わずに

 

時々、もしかして … まさか … を想像して

どうか親に、声を聴かせてあげてください。

 

年寄りからの、余計なお世話のお願いです。