歴代内閣総理大臣早覚え法-1 (1885~1901年、1901~1913年)、
歴代内閣総理大臣早覚え法-2 (1913~1924年)、
歴代内閣総理大臣早覚え法-3 (1924~1932年)、
歴代内閣総理大臣早覚え法-4 (1932~1937年、1937~1945年)、
歴代内閣総理大臣早覚え法-5 (1945~1954年)、
歴代内閣総理大臣早覚え法-6 (1954~1974年)、
歴代内閣総理大臣早覚え法-7 (1974~1989年)
の続きです。
今回は平成以降に新たに成立した内閣のうち、55年体制の崩壊、および非自民党の内閣総理大臣までです。
---------------
【平成~55年体制の崩壊】1989~1996年
☆覚え方
ウ → カイ → ミヤ → ホソ → ハタ → ムラヤ
ウ 宇野宗佑 (うのそうすけ)
↓
カイ 海部俊樹 (かいふとしき) 1~2
↓
ミヤ 宮沢喜一 (みやざわきいち)
↓
ホソ 細川護煕 (ほそかわもりひろ)
↓
ハタ 羽田孜 (はたつとむ)
↓
ムラヤ 村山富市 (むらやまとみいち)
◆◆◆
まず、ウ・カイ・ミヤ (鵜飼い見や(?)) で一区切りです。
というのも、宮沢喜一内閣を最後に55年体制が崩壊するからです。
つまり、ここまでは自民党の総理大臣となります。
海部俊樹内閣は2次までありますが、そこまで覚える必要はないでしょう。
◆◆◆
ミヤの次、
ホソ (細川護煕)、ハタ (羽田孜)、ムラヤ (村山富市)
この3人の内閣総理大臣は、自民党ではありません。
・細川護煕 : 日本新党
・羽田孜 : 新生党
・村山富市 : 日本社会党
注意すべきは、
村山富市は日本社会党でいいのですが、
村山内閣は 【日本社会党、自由民主党(自民党)、新党さきがけ】 の連立内閣です。
つまり、村山内閣の時には、自民党は与党に復帰していたということです。
自民党が野党だったのは、細川内閣と羽田内閣の2つの内閣の時です。
-------------------------
ここらへんから、日本の総理大臣は短い在職期間でコロコロと変わっていきます。。。
宇野宗佑内閣は1989年6月に成立し、村山富市内閣は1996年1月に総辞職しました。
6年半の間に6人の総理大臣が誕生しているわけですね。。
次回は、再び自民党から総理大臣が誕生してから、政権交代までを見ていきます。
これが「日本の民主主義」! [ 池上 彰 ] |
↓よかったらクリックをお願いします↓