「ばらまき合戦」、過熱の一途=各党財源論乏しく(時事通信) 

与野党は、衆院選で最大の争点となっている「分配」政策のアピールに懸命だ。

競い合いは過熱の一途で「ばらまき合戦」の様相を呈す。ただ、各党とも財源論については多くを語らない。赤字国債に依存するなら、負担は将来世代に重くのしかかる。

(以下、クソくだらないので全部略)

 

時事通信の「わかってない」記事を見て、ちょっと前に聞いた話を思い出しました。

アメリカでは(州によるのかもしれませんが)給付金が相当に手厚いので、就労意欲が特段湧かない人々というのが一定程度いるらしく、そこそこの現金をもってのんべんだらりと過ごしているそうです。笑

確かにそれって全面的な善とは言えないのかもしれませんが、一体その何が悪いのか、明確かつ的確に指摘するのは難しいと思います。

客が来ない、酒を出せない、店を閉めるかどうかのギリギリのところだ…。一年たっても二年たっても延々と「苦しい苦しい」言い続けるのと、国から金ェもらってだらだらしてるのって、どっちが幸せなんでしょうね。いつも言ってますが道徳的な観点は抜きにして。というのも、経済は道徳ではないし、まさにその道徳観がしこたま悪用されて今に至っているわけでして、もはやここまで来てもその観点から抜け出せないのは

 

愚鈍にもほどがある

 

というか、

 

罪深い

 

と言っても過言ではないかと…。

(実際、将来の子供たちにクズのような国を遺すのに一役も二役も買ってますので。)

 

ずっとその「のんべんだらり」状態を容認する政策が立派だとは言いません。でも、まあ、いいじゃないですか。

政策はマクロですから、ミクロの我々個々人にとっては波の高低があり、色の濃淡があります。危機的状況があれば「妙にトクしちゃう」人が出ても仕方ないんです。私がいつも言ってる、災害時のボランティア依存はやめろという話もその一つです。ボランティアの代わりにちゃんと国が人を雇って日当3万円出しゃいいんですよ。その人々は「災害プチ成金」みたいになると思いますが、人が嫌がる仕事をしてお金もらって、いったいなにが悪いんですか?

 

そのアメリカの「のんべんだらり」の人たちは、カネ持ってるんでしょう。誰も働いていないというなら危機的状況ですが、だらだらしてる人たちがいれば働く人もいるんです。言うまでもなく、それらの人々が払うカネは働いている人に渡るんですから。カネが移動する(単なる移転は別ですが)ということは、人が働くということです。繰り返しますが波の高低と色の濃淡はあるとしても。

政府も一緒になって節約して、買いたいモノを我慢して、お店は客が来ない来ないと苦しんでいるよりは遥かに上等です。それは全員が歯ぎしりしながら仕事をサボっているも同然です。

いまだに、ハッキリしたこのレトリックがどこにも見られないので少々嬉しくなってきたのですが(笑)、カネを出さないということは働かないということです。経済的に苦しいと念仏のように何十年も言われている状況で、国民が必死に渋面を作りながら全力でサボっているのが日本という国です。

 

>赤字国債に依存するなら、負担は将来世代に重くのしかかる。

 

いやー、ぜんぜん違いますよ時事通信さん…。

将来世代の子々孫々は、私たちに「まともな国を遺すためにちゃんと働いて!」と言いたいはずですよ。

買いたいものはあるけど節約!客は来ないけど我慢!ってのは、なんか妙に努力してる感あるけど経済的な意味では完全なサボりですからね。つまりは働かないってことだから。

 

国民が働かないことの方が、将来世代の負担になると思わない?

時事通信さん。