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歴史Blogを志向しています。このBlogのSite Masterの名前は、高木紀久です。

蓬紀(3)

2024-04-21 22:34:16 | 三国志


蓬紀(2)

2024-04-16 22:05:22 | 三国志
蓬紀


字は元図。荊州南陽郡の出身。袁紹軍の幕僚総長。最初、漢の大将軍、何進に直接仕えていた。その頃、司隷校尉(警視総監)だった、袁紹を見出す。袁紹の信望、家柄、態度から彼に心酔した蓬紀は、袁紹に直接仕えるようになる。のちに許攸とともに袁紹の挙兵に参事する。袁紹軍宗室の元勲。袁紹麾下にあって袁紹の信任が最も厚かった部下。徹頭徹尾、袁紹は、彼(蓬紀)を信頼し切っていた。鄴の太守、韓馥が、彼(蓬紀)の計略によって、鄴を追われると、変わって袁紹が鄴の牧(刺史)として迎えられる。袁紹と北方の覇を競った公孫瓚が、袁紹のために滅亡すると、変わって競争相手となった中央の曹操に対して、持久戦論を唱える沮授に対して、審配とともに短期決戦に打って出るべく訴えた。袁紹軍内で対立する田豊を、主君袁紹への讒訴により獄中死させる。官渡の戦いの戦後、荀彧に批評されている。袁紹の没後は、その末子、袁尚に仕える。袁尚と対立する、袁紹の長子、袁譚に疑いをかけられ、頓死する。一説に刑殺された、とある。

蓬紀

2024-04-15 21:52:15 | 三国志
袁紹軍の幕僚。

魏志倭人伝

2024-04-15 20:28:03 | 日本史
魏志倭人伝


三国時代の蜀の陳寿の著述による三国志の中にある魏志の中にある倭と倭人に関するくだり。三国時代の魏の曹叡の時代に書かれた。大和王朝以前に存在した、邪馬台国(邪馬壹国,耶馬台国)が登場する。邪馬台国を治めていたのは、卑弥呼という名の人物であり、この人物は、女性であり、また、古代エジプトのファラオ、トゥタンカ=アメン王(即位当時17歳)のような若年王(女王)であった。卑弥呼は、~鬼道を能くし、衆民を惑わし~とあるが、この〈鬼道〉については、謎である。おそらく、呪禁道、陰陽道のような、呪道、魔道のたぐいであったと思われる。そうした経緯から、卑弥呼が実力で国の主権をもぎ取ったというより、擁立されたと考える方が妥適だろう。卑弥呼の後に後を襲った壹與もまた若年の王(女王)であった。卑弥呼以前には、小国が乱立して乱れ、ばらばらだった倭国は、卑弥呼後は、統合され、統一国家としてのかたちを形成していくのである。邪馬台国は、魏との朝貢外交を行っていたが、魏の政権奪取後に蜀呉もたいらげて三国時代を終わらせた晋とも朝貢外交関係を継続している。

蓬莱国異聞

2024-04-14 21:07:25 | 日本史
蓬莱国異聞


『蓬莱国異聞』とは、筆者(この記事の投稿者)の誤記憶によるあやまりと思われる。『蓬莱国異聞』なる書物は存在せず、架空の書である。蓬莱国、蓬莱山、蓬莱島、などの呼称が存在する。蓬莱山は、五仙山の一つ、あるいは、三神山の一つといわれる。蓬莱山は、中国大陸の東方百余里(現在の東シナ海)の海中に存在するとされる。こここそ“浦島伝説”、“竜宮伝説”にいわゆる、“常世国”(あるいはその入口)ではないかといわれている。徐福が不老不死の霊薬を求め、光武帝が珍しい貢ぎ物を求めたところである。蓬莱山とは、富士山のことである、とする説が存在する。