-
- 登録ID
- 637052
-
- タイトル
源平・義経の史跡巡り しずかblog
-
- カテゴリ
- 偉人・歴史人物 (2位/68人中)
-
- 紹介文
- 源義経、源平合戦の軌跡を追って日本各地の源平の史跡を紹介します。
-
5
記事一覧
カテゴリーを選択 解除
再読込
-
- 源頼家ゆかりの建仁寺(3)
- 本坊の玄関を入ると、俵屋宗達の「風神雷神図」が出迎えてくれます。 国宝「風神雷神図」屛風は、現在、京都国立博物館に寄託されており、レプリカが飾られています。方丈には、海北友松の襖絵が、キャノンの文化財未来継承プロジェクト「綴TSUZURI」による高精細複製品として復元、展示されて…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 源頼家ゆかりの建仁寺(2)
- 法堂は、仏殿と法堂を兼ねている建仁寺の本堂です。法堂 法堂の側面 方丈と渡り廊下で繋がっており、2002年(平成14年)創建800年を記念して、天井に小泉淳作により「双龍図」が描かれました。 ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村 偉人・歴史人…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 源頼家ゆかりの建仁寺(1)
- 建仁寺は、京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の大本山の寺院。鎌倉幕府2代将軍・源頼家が栄西を開山として建立しました。建久2年(1191年)栄西は、宋より帰国。当時、京都では比叡山延暦寺の勢力が強大で、禅寺を開くことは困難であったため、初め九州博多に聖福寺を建て、後に鎌倉に移り、北条…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 法観寺(2)巴御前ゆかりの巴之松
- 木曽義仲の首塚の横に、巴御前ゆかりの巴之松があります。 これは、義仲の命日にあたる1月20日に、巴御前の最期の地と伝えられる富山から巴御前ゆかりの松の苗木が植樹されたものだそうです。巴御前 巴御前源義仲の乳父中原兼遠の娘で,木曾四天王といわれた樋口兼光・今井兼平兄弟の妹。武勇をも…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 法観寺(1)木曽義仲の首塚
- 京のシンボルともいえる五重塔の八坂の塔は、聖徳太子が創建したという法観寺の境内に立っています。 その境内には木曽義仲の首塚と伝えられる石塔があります。 義仲の首は六条河原に晒された後、この法観寺の境内に葬られたといいます。 木曽義仲公 首塚源義賢の二男。父を源義平に殺されたのち木…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 土佐坊昌俊邸跡と堀川夜討
- 鎌倉の小町大路沿いに土佐坊昌俊邸跡の石碑が建っています。 源頼朝と弟の源義経が対立した文治元年(1185年)、頼朝は義経を討つべく御家人達を召集したところ、名乗り出る者がおらず、土佐坊昌俊が進んで引き受けて頼朝を喜ばせたといいます。頼朝から京都・堀川にいる義経を討つことを命じられ…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 妙本寺(4)源頼家の娘・源媄子の墓
- 妙本寺の境内に、源頼家の娘・源媄子(よしこ)の墓があります。 寺伝によると、鎌倉幕府2代将軍 源頼家と比企能員の娘 讃岐局との間に生まれましたが、比企の乱で一族が滅ぼされました。生き残った媄子(よしこ)は、祖母 北条政子の死後、幕府の中で唯一、頼朝の血をひく者として御家人一同の尊…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 妙本寺(3)若狭局を祀る蛇苦止堂
- 妙本寺の方丈門のところに境内の案内図があります。 ここから門に入らず脇の細い道を進んで行くと、階段があり、これを上って行くと、蛇苦止堂というお堂に辿り着きます。 比企の乱で、井戸(一説に池)に飛び込んで自害したという若狭局は、後に北条政村の娘に霊となって憑き、日蓮によって供養され…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 妙本寺(2)比企一族の墓
- 妙本寺の境内には比企一族の墓と一幡の袖塚があります。比企一族の墓 北条時政は、娘・北条政子と組み、源頼家を亡き者にし、千幡(後の実朝)を次期将軍に立てようと画策。1203年、頼家が病気になると、時政は一幡(源頼家の嫡男で、母は若狭局(比企能員の娘)に関東二十八区に地頭職と日本国総…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 妙本寺(1)比企一族ゆかりの寺
- 鎌倉の妙本寺の立つこの辺りは比企が谷といい、鎌倉時代には比企能員や比企尼をはじめとする比企一族が住んでいました。 懐妊した北条政子は、比企の館に入り、万寿(後の源頼家)を出産。比企一族と頼朝の絆は、さらに深まっていくのでした。総門 しかし、建仁3年(1203年)9月2日、2代将軍…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 新年の挨拶
- ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほんブログ村 偉人・歴史人物ランキング
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 北条義時の孫・長時が創建した浄光明寺
- 鎌倉市扇ガ谷(おうぎがやつ)にある浄光明寺は、北条義時の孫であり、6代執権を務めた北条長時が創建した寺院です。鎌倉七口のうちの亀ヶ谷坂(かめがやつさか)と化粧坂(けわいざか)にはさまれた扇ヶ谷の支谷、泉ヶ谷に位置し、鎌倉の交通上、防御上、重要な地域にある寺院といえます。寺伝によれ…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 安達氏の菩提寺・無量寿院跡に建つ鎌倉歴史文化交流館
- 鎌倉歴史文化交流館が建つ谷は無量寺谷と呼ばれ、 近辺には 安達盛長の孫・安達義景ゆかりの菩提寺・無量寿院や甘縄の邸宅があったと考えられています。 敷地内の発掘調査では、鎌倉時代後期の池の跡や礎石が見つかり、 安達氏に関係する遺構の可能性が指摘されているそうです。 この池の跡は、平…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 和田義盛の眠る和田塚
- 第二の執権となった北条義時は、姉の北条政子とともに、三代将軍・源実朝を補佐していましたが、建暦3年(1213)、 信濃の武士・泉親衡(いずみちかひら)が、比企一族の残党を集め、二代将軍・源頼家の遺児・千手丸を擁立して謀反を企んでいることが発覚。この計画に和田義盛の子や甥が加担して…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 甘縄神明神社
- 天照大神を祭る長谷の鎮守で、鎌倉市最古の神社とされている甘縄神明神社は、和銅3年(710年)行基が草創し、豪族染谷時忠によって創建されたといわれています。 源頼義が相模守として祈願した後、八幡太郎義家が生まれたと伝えられ、永保元年(1081年)に当社を再興しています。 源頼朝、北…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 沼津の大泉寺(3)境内を散策
- では、大泉寺の境内を散策してみましょう。 こちらが本堂です。 庫裏 また、境内のあちこちに、可愛いお地蔵さんや動物の像などがあります。 境内には館跡を偲ばせる土塁が残っています。大泉寺の門前には大きな銀杏の木があるのですが、この木に纏わる銀杏観音の話が伝わっているそうです。子宝に…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 沼津の大泉寺(2)阿野全成の首掛け松
- この大泉寺には阿野全成の首が一夜のうちに息子の時元のいた阿野の大泉寺まで飛んで来て、松の木の枝に掛かったという阿野全成の首掛け松の伝説が伝えられています。 また、家臣が首を持ち帰ったが、警備が厳しく館の中に入れなかったため、入り口近くの松にかけたとも伝わっています。大泉寺の入口に…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 沼津の大泉寺(1)阿野全成の墓
- 阿野全成の幼名は今若。7歳の時の平治元年(1159年)、平治の乱で父義朝が敗死したため幼くして京都の醍醐寺にて出家させられ、隆超(または隆起)と名乗り、ほどなく全成と改名。兄の源頼朝が挙兵すると、京を抜け出し、頼朝のもとへ駆けつけ、その時、頼朝は涙を流して喜んだといいます。その後…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 寒川を巡る旅(5)寒川神社
- 寒川町に鎮座する寒川神社は、年間約200万人に及ぶ参拝者が訪れるという関東地方における著名な神社の一つであり、初詣の参拝者数は神奈川県内の神社では鎌倉市の鶴岡八幡宮に次いで2番目に多いそうです。鎌倉時代の『吾妻鏡』には「一宮佐河大神」と記載があり、相模国の一宮とされ、源頼家が誕生…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 寒川を巡る旅(4)梶原景季のレリーフ
- 梶原一族郎党の墓の隣りに立つレリーフには、「箙(えびら)の梅」で知られる梶原景時の長男・梶原景季(かげすえ)が描かれています。 『源平盛衰記』によれば、一の谷(生田の森)の戦いで、勢いあまって敵陣深く入り込み、矢が尽きてしまった景季は、箙に梅の花の枝を挿して奮戦し、坂東武者にも雅…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 寒川を巡る旅(3)梶原一族郎党の墓
- 薬師堂の前に、「梶原景時と一宮館址」の案内板があります。 梶原平三景時(生年不明~1200)は「鎌倉本體の武士」といわれ、源頼朝を補佐し鎌倉幕府の基礎を築いた文武ともに優れた武士です。梶原氏は、桓武(かんむ)平氏の流れをくむ鎌倉党の一族とされ、同族には大庭氏、俣野氏、長尾氏らがい…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 寒川を巡る旅(2)梶原景時館跡
- 自転車を借りて最初に向かったのは、一之宮地区にある梶原景時館跡です。 正治元年(1199年)正月に源頼朝が死去すると、梶原景時は引き続き宿老として二代将軍・源頼家に重用されました。 その後、頼家の失政を理由に政務が停止され、十三人の合議制が置かれると、景時もこれに名を連ねました。…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 寒川を巡る旅(1)寒川町観光協会
- 「鎌倉殿の13人」が放送された年、寒川を訪ねて来ました。寒川町(さむかわまち)は、神奈川県の湘南地域北部に位置しています。相模線の寒川駅で下車し、北口にある寒川町観光協会へ。 梶原景時、梶原景季、梶原景高、梶原景茂のキャラクターのパネルがお出迎え! 中にはグッズやお土産物がいっぱ…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 鎌倉坂ノ下の御霊神社
- 鎌倉坂下の御霊神社は、平安時代後期に建立されたと推定されています。 もとは関東平氏五家の始祖、すなわち鎌倉氏・梶原氏・村岡氏・長尾氏・大庭氏の5氏の霊を祀った神社であったとされ、五霊から転じて御霊神社と通称されるようになりました。 その後、後三年の役で活躍した梶原景時の先祖・鎌倉…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 梶原の御霊神社
- 湘南モノレールの湘南深沢駅から徒歩約10分、梶原の御霊神社が見えてきます。建久元年(1190)梶原景時により創建されたとされています。坂ノ下の御霊神社は「ごりょうじんじゃ」と読みますが、梶原の御霊神社は「ごれいじんじゃ」と読むようです。 ご祭神は、鎌倉権五郎景正で、本殿には、梶原…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 源頼朝・梶原景時ゆかりの六郷神社
- 東京都大田区の六郷神社は、京浜急行六郷土手駅の北東、徒歩約10分のところにあります。 社伝によれば、天喜5年(1057)源頼義、義家の父子が、この地の大杉の梢高く源氏の 白旗をかかげて軍勢をつのり、石清水八幡に武運長久を祈ったところ、士気大いに奮い、 前九年の役に勝利をおさめたの…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 梶原氏館跡に建つ来福寺
- 梶原稲荷神社から南に下ったところに来福寺があります。 梶原稲荷神社からこの辺りが梶原氏館跡といわれています。 990年(正暦元年)、智弁阿闍梨によって開山されました。 本尊は、地蔵菩薩で「経読地蔵」と呼ばれています。1501年(文亀元年)に梅巌という僧が、源頼朝が戦没者供養のため…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 梶原景時が勧請した品川の梶原稲荷神社
- 品川区東大井にある梶原稲荷神社は、源頼朝の命により梶原景時が建久3年(1192)萬福寺を創建した際、寺の守護神として勧請したのが起源と伝わっています。 元応元年(1319)萬福寺は兵火に見舞われ、馬込村(大田区)に移されました。 その際、焼け跡に残された稲荷社は梶原景時の屋敷に奉…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 建長寺に伝わる梶原景時の伝説
- 鎌倉の建長寺では、梶原景時の亡霊が施餓鬼供養に遅れてやってきたという伝説が残されています。 毎年、景時のために7月15日、山門にて午前8時に国宝の梵鐘が撞かれ、「三門施餓鬼」と「梶原施餓鬼」が続けて行われています。 ブログランキングに参加しています。応援よろしくお願いします!にほ…
源平・義経の史跡巡り しずかblog -
- 鎌倉の勝長寿院と源義朝の主従供養塔
- 源頼朝は治承4年(1180年)8月に挙兵し、10月6日、かつて父・義朝と兄・義平の住んだ鎌倉へ入り、大倉の地に大倉御所を構えて鎌倉の政治の拠点としました。また鎌倉に三大寺と呼ばれる鶴岡八幡宮(寺)、勝長寿院、永福寺を建立しました。その一つの勝長寿院は、頼朝が父・源義朝の菩提を弔う…
源平・義経の史跡巡り しずかblog
読み込み中 …